あすの環境と人間を考える~アジアやアフリカで出会った人びとの暮らしから第5回 インド北西部の伝統的生業道具の記録保存と活用

2016年02月15日グローバルネット2016年2月号

総合地球環境学研究所
遠藤 仁(えんどう ひとし)

現在急激な速度で経済発展を続ける新興国インドは、先進国と同様に古い道具が打ち捨てられ、工場で作られた大量生産の製品に取って代わられつつある。インドでの大きな問題は、日本などが経験した以上に速いスピードで、その喪失が起きていることだ。

インドの農村のモノの変化

多くの日本の方のインドに対するイメージは、いまだに発展途上で、電力やトイレ、上下水道など公衆衛生施設などのインフラが整っていないといったネガティブなものが多いと思う。とくにインドの農村部の多くで、このイメージはまさに的を得ている。一方で、そのような状況下の村にも近代化の波が押し寄せているのもまた、現実である。  

ここで紹介するのは、インドとパキスタンが国境を接する、インド北西部のハリヤーナー州とラージャスターン州の事例である。筆者は同地域に大学在学時以来、十数年にわたり定期的に訪れているが、とくにこの数年の変化は著しいと感じている。この地域に限らず、インドという国は人口が増大し、村落部にも人があふれているのは言うまでもないが、テレビや携帯電話などの近代的物質文化の産物がどこに行っても目に付くようになってきた。携帯電話などの普及は、すでに政府のインフラ整備を追い越しており、不安定もしくは未整備の電力供給は、ディーゼル式の発電機や近年安価で購入可能となったソーラーパネルで村人自ら補っている。 

写真1

インド北西部の農村の様子

彼らが、そのような近代化の恩恵にあずかることに対して異論はないが、その急速な変化速度には戸惑いを感じる。もちろん、すべての人びとがその変化についていっているわけでもなく、取り残される人びとも多く存在している。また、物質文化の急速な変化は、これまで彼らの生業を支えてきた日常のさまざまな道具にまで及んでおり、人力や家畜の力のみを利用して営まれていた生活様式は、化石燃料や電力なしではどうにもできないものへと変わりつつある。

消えゆくモノを残す方法

インドの多くの地域では、伝統的に農作業や運搬、食品加工(製油や製糖、脱穀など)などにコブウシやウシ、スイギュウ、ラクダなどの大型家畜の力を利用してきた。筆者が調査をしている2州のうち、ハリヤーナー州は首都デリーに隣接していることもあり、このような家畜の力を利用した伝統的な生業はほとんど失われてしまっている(ただし、コブウシやスイギュウ、ウマが車を引いて荷物を運搬する牛車や馬車のみは現役で活躍している)。もう一つの調査地であるラージャスターン州はタール砂漠を抱える乾燥地であることもあり、まだ家畜の力を利用した伝統的な生業を見ることはできるが、年々それは目に見えて減少している。同じ村の同じ世帯で、伝統的な道具が翌年に再訪したときには工場で作られた大量生産の道具に代わっていたことが、この数年間で多く認められた。  

インドではいまだ現役の牛車

もともと、伝統的な技術はその地域の環境に合わせて改良され、適応させてきたものである。工場で生産された製品に比べれば、作業効率ははるかに劣るが、それでも最近まで、人口過密状態のインド経済を支え、化石燃料に頼らない、環境へ与える影響の少ない優れた技術であったはずである。それが打ち捨てられ、消えてゆくのは地域にとっての損失であると考え、記録している。  

考古学、とくに日本の埋蔵文化財行政には、「記録保存」という考え方がある。これは開発とそれに伴う発掘調査で消滅する遺跡を、実測図や写真、文字として半永久的に記録するというものであるが、この考え方を現在の調査の核に据えて、同じ考え方でさまざまな道具を記録している。遺跡と違うのは、これらの伝統的な道具は、作り方を含めた詳しい記録さえ残しておけば、復元は可能だということである。

将来のために

 インド北西部の農村部の、この数年の急激な物質文化の変化について、ここまで見てきたが、そのような変化はなぜ可能であったのだろうか。インドに限らず、発展途上にある国々のとくに農村部は、経済的に貧しいことが多く、調査地もその例に漏れない。そのため、伝統的で安価な道具から急に工業製品に代えた場合、その購入費用だけではなく、維持費や修繕費などを彼らの収入から捻出するのは非常に難しい。購入には、一部で地方政府からの補助金も出ているようであるが、多くは、街への日雇い労働や、出稼ぎで得られた資金を用いている。そして、その工業製品を維持するためにまた、日雇い労働や出稼ぎに行くのである。  

人口が過密状況にあるインドとはいえ、農村部から都市部への労働人口の流出も今後大きな問題となることが予想される。このようなサイクルが続けば、現在はほとんどを国内で自給しているインドの食糧生産が、他国からの輸入に頼るようになり、人類全体の食糧事情が大きく変わることになってしまう。最新の国勢調査(2011年)で人口12億人を超えるインドが、食糧生産国ではなく、食糧消費国となったら、果たしてこの世界は今の人口を保てるのだろうか。  

また、インド北西部は乾燥・半乾燥地であり、水やさまざまな資源が乏しい。工業製品でそれらを根こそぎ採取する最近の方法では、おそらく近い将来にも資源がなくなり、生活が立ち行かなくなることも予想される。部外者である私が忠告することはおこがましいが、消えつつある伝統的なモノたちを詳しく記録し、それらが現地の環境に最適で持続可能性の高い、先人の知恵の結晶であることをさまざまな手段で示すことは可能である。 

写真3

現在では見かけることが少なくなった畜力揚水井戸

そのための方法として、現地の研究者と協力して、記録したモノを活用してもらえるように、彼らが利用しやすいデータベースを作ったり、出版を計画したりしている。すでに、筆者の調査活動の一部は現地の新聞で取り上げられており、現地ではハイテクノロジーを極めた先進国というイメージが定着している日本の研究者が、ローテクノロジーの極みといってもいい自分たちが打ち捨てたものをわざわざ記録していることが衝撃とともに受け止められ、ある程度の手応えをつかんでいる。

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