特集/セミナー報告 環境と福祉の統合と社会への定着 (講演2)障害のある人の社会参加を広げるために
~障害者権利条約を基本設計図に、パラリンピックを新たな好機に

2017年04月24日グローバルネット2016年12月号

日本障害フォーラム幹事会議長
NPO法人日本障害者協議会代表
藤井 克徳(ふじい かつのり)さん

 

「三大素晴らしさ」を持つ障害者権利条約の誕生

障害者の権利に関する条約(障害者権利条約)は、女性差別撤廃条約や子どもの権利条約などに並んで、国連では29番目にできた人権条約です。また、今世紀に入って初めて制定された人権条約で、2006年12月に国連総会にて採択されました。全50ヵ条により構成されますが、その素晴らしさを三つの観点から紹介してみたいと思います。私はこれを「三大素晴らしさ」と呼んでいます。

まず一つは、世界で初めて障害者問題に関する共通のルールができたということです。例えば障害者の差別とはどういうことか、ユニバーサルデザインとは何か、など定義をすべてそろえました。これによって、今後国際的な共同研究や調査、交流などが一層しやすくなります。パラリンピックにおいてもこの定義が大いに貢献するのではないかと思います。

二つ目は、誰もが一致できる共通の目標ができたということです。私はこれを「障害分野にとっての北極星」と呼んでいます。真っ暗な中でも、そこに向かって進めばいい、という北極星のようなものです。国連加盟193ヵ国(当時は192ヵ国)が全会一致で採択した、途上国も先進国も関係なく、みんなが一致できる目標なのです。

そして三つ目は、障害のある人への支援だとか、障害問題の政策のための基本的な考え方のように思われますが、実は内容は非常に奥深いもので、「社会へのイエローカード」だということです。生産第一主義、経済効率第一主義、男性中心の社会、というような今の社会の標準値を、もう一度「障害」という観点から少し戻しましょう、というのが条約の考え方の根底にあるのです。これは障害を持つ人だけでなく、高齢者や子供、女性、病気の人、外国人など、すべての人に生かすことができます。

また、この条約は制定過程がとても素晴らしかったのです。延べ100日くらいかけて審議されましたが、その間、国連の議場では、「Nothing About Us Without Us(私たちのことを、私たち抜きに決めないで)」が幾度となく繰り返されました。

このスローガンが実質的に生かされたからこそ、この条約は価値があるのです。本来、条約というのは政府間交渉で作られるものですが、この条約審議においては障害当事者の団体からの発言も許され、各国政府と民間が一体となって作られたのです。

私は物事というのは、経過において魂が培われていく、当事者がどれだけ参加できるかということが決め手だと思っています。パラリンピックも同様で、「関わった」という帰属意識というのが重要でしょう。

さらに、この条約には「障害者が他の者との平等を基礎として」という文が全体で35ヵ所登場します。例えばグラフ用紙の真ん中に線を引き、それをゼロラインとします。すると、その下がマイナスゾーンになりますが、この条約というのは、「まずマイナスゾーンを埋めましょう」と「一般市民との平等性」を強調しているといえるでしょう。

障害の捉え方に新たな観点

国連は「障害」の捉え方をこの条約で大きく変えました。

前文
この条約の締約国は、
(e)障害が発展する概念であることを認め、また、障害が、機能障害を有する者とこれらの者に対する態度及び環境による障壁との間の相互作用であって、これらの者が他の者との平等を基礎として社会に完全かつ効果的に参加することを妨げるものによって生ずることを認め、

例えば、私の場合はこれまで「目が見えない」ということだけが問題になっていました。しかし、音声パソコンや音の出る時計など、移動手段や情報などが適切に提供されれば、全盲状態でも仕事を続けることができるし、障害も感じにくくなります。障害というのは取り巻いている周りの障壁との関係で重くもなれば軽くもなる、そんなことをこの項で言い切ったのです。つまり障害の多くは社会の方に潜んでいる、ということを条約は提示したのです。

2020年の東京五輪や今後の都市づくりにあたっても、このことからいろいろなヒントが生まれてくると思います。

スポーツや多様性についても独立した条項

この条約は、障害のある人に関わるスポーツに関しても方向性を示唆しています。

第三十条 文化的な生活、レクリエーション、余暇及びスポーツへの参加
5 締約国は、障害者が他の者との平等を基礎としてレクリエーション、余暇及びスポーツの活動に参加することを可能とすることを目的として、次のことのための適当な措置をとる。
(a)障害者があらゆる水準の一般のスポーツ活動に可能な限り参加することを奨励し、及び促進すること。
(b)障害者が障害に応じたスポーツ及びレクリエーションの活動を組織し、及び発展させ、並びにこれらに参加する機会を有することを確保すること。このため、適当な指導、研修及び資源が他の者との平等を基礎として提供されるよう奨励すること。
(c)障害者がスポーツ、レクリエーション及び観光の場所を利用する機会を有することを確保すること。
(d)障害者がスポーツ、レクリエーション、余暇及びスポーツの活動(学校制度におけるこれらの活動を含む。)への参加について他の児童と均等な機会を有することを確保すること。
(e)障害者がレクリエーション、観光、余暇及びスポーツの活動の企画に関与する者によるサービスを利用する機会を有することを確保すること。

この条約は一昨年、日本では国会の承認を得て閣議を経て批准され国連に登録しています。ここに掲げた条文は、日本政府の公定訳です。批准と同時に、この条約は国内法規として一般法規の上位、つまり憲法と一般法律の間に位置することになります。もし国内法がこの条約に矛盾する場合は、条約に沿った法律改正が必要になります。第三十条の5(a)、(b)、(c)、とくに(c)は障害者のスポーツ参加に関係しています。(a)はもっと一般スポーツに交わっていくという、とても深い意味を秘めた内容です。これは今後、実践的に深めてほしいと思っています。

第十七条 個人をそのままの状態で保護すること
 全ての障害者は、他の者との平等を基礎として、その心身がそのままの状態で尊重される権利を有する。

これは条約の中で最も短い条項です。ここでは「社会の側が障害者に近づきましょう」と、ダイバーシティー(多様性)について述べており、短いけれど障害分野の基本に関わる重要な内容です。

私はこの条約について、パラリンピックの成功や国内での障害者スポーツ活動を含めた、新たな日本の社会づくりの基本設計図の一つにしてほしいと思います。是非とも、組織委員会など関係者の皆さんに深めてほしいと願っています。そして、政府も障害者団体も、この条約を大いに活用していこうということを、もっと戦略的に社会へ向けて発信してもいいのではないでしょうか。

パラリンピックを新たな社会づくりの好機に

パラリンピックをどのように迎えうつか。大会の開催はあくまでも通過点です。その後の人口減少など、課題の多い日本において、大会から何を得るべきか。パラリンピックは決してゴールではないのです。

1964年に東京で開かれたパラリンピックで、スポーツとほとんど無縁だった日本の障害を持った人たちは、スポーツの練習に励んできた世界の障害者の姿を見て驚き、刺激を受けました。さらに多くの若者たちが大会での通訳を申し出て、力を発揮してくれるという大きな副産物もあり、当時のパラリンピックはいろいろな意味で障害イベントの黒船的な衝撃となったのです。

2020年の東京オリンピック・パラリンピックは、成績だけで一部の競技者だけを称えるのではなく、多くの障害者にとって意味を持つような大会になってほしいと願っています。障害者スポーツの底上げの新たなきっかけにしなければなりません。また、バリアフリーやアクセシビリティなどに配慮した、新しい都市づくりの起点にしてほしいと思います。

小・中学生の子供たちに「差別の反対は何ですか?」と聞くと、決まって「平等」という答えが戻ってきます。それは確かに正解です。しかし、それが現実に生かされていれば、社会はもっと変わったと思います。

実際に現実を見ると、差別の反対は残念ながら「無関心」と言わざるを得ません。「無関心」という怪物にどうやって切り込んでいくか。やはりそれには観念やモラル、意識だけではなく、目に見える具体的な処方を講じなくてはならない。そういう意味でも、パラリンピックは格好の教材、絶好のチャンスになり得る、ということを関係者は認識してほしいと思います。

リユースカップ事業を障害者の働く施設で

私たちは、障害を持った人たちに、下請け作業だけでなく時代の最先端の仕事をしてもらいたいと、20数年前に東京都昭島市に土地を購入し、生活協同組合と連携し、洗びんセンターを設立しました。センターでは現在、90名近い障害者が働いています。生協だけでなく、酒造メーカーなどとも提携して、年間約450万本のびんを洗浄しています。

消費者から集まったびんを、障害を持つ人たちが働く洗びんセンターで洗い、食品メーカーに返す。消費者、洗びんセンター、食品メーカーの3ヵ所の循環作業です。これをリユースカップの循環型事業に組み込めないか、現在、関係者と検討しています。経済的にも環境的にも有益性の高いリユースカップは企業だけでなく、各種イベントやスポーツ競技の会場となるスタジアムなど、今後もっと活用できるはずです。これに障害を持った人たちが関わるようになれば、まさに環境と福祉面での新しいチャレンジといえるでしょう。

ささやかな実践ですが、これまで時代の最後方にいた障害者が、胸を張って最前線に立って進んでいける―何とも痛快ではありませんか。こんなことが社会で飛躍的に進んでいくことを期待したいです。

「明日は今日の続きではない、今日の続きではない明日を作っていきたい」。そんな思いで、市民みんなが共に社会を築いていけたらいいと思っています。

藤井 克徳(ふじい かつのり)さん
日本障害フォーラム幹事会議長、NPO法人日本障害者協議会代表
きょうされん専務理事

1949年、福井県生まれ。東京都立小平養護学校(肢体不自由養護学校)で勤務後、1977 年に共同作業所全国連絡会(現・きょうされん)の結成に参加した。1994 年からは第2 リサイクル洗びんセンター(精神障害者通所授産施設)施設長を務める。

東京都地方精神保健福祉審議会委員や内閣府・中央障害者施策推進協議会委員を務めるなど、障害者の自立支援や障害者福祉施策について、行政に対し提言し、新聞やテレビなど多数のメディアでも積極的に発言している。著書に『えほん障害者権利条約』(2015 年、汐文社)など。

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