フォーラム随想人生の陰影

2017年06月15日グローバルネット2017年6月号

地球・人間環境フォーラム理事長
炭谷 茂

40年以上前だからずいぶん昔の話だ。

シンガーソングライターの西島三重子の「目白通り」や「千登勢橋」が好きだった。彼女が学生の面影が残るあどけない表情で歌う、自分の失恋体験を込めたような歌い方が訳もなく愛くるしかった。

環境事務次官を退官した後、たくさんの大学から招きをいただいた。これからの人生を考えていた時期なので、ありがたかった。

専任の教授については、辞退したが、客員教授や非常勤講師は、すべて引き受けた。北は、国立帯広畜産大学から南は、長崎国際大学まで11大学になった。夕刻や週末の時間、集中講義で対応した。経済的にプラスでなかったが、担当は、行政学、公共政策、環境論、社会福祉学、人権論などと多岐にわたったので、長年の研究や経験をまとめる良い機会になった。

とくに学習院大学法学部特別客員教授は、実りが多かった。

週4コマの講義を担当する傍ら、研究室で論文をコツコツまとめていた。キャンパスは、喧騒な都心にあっても緑に恵まれ、静寂だった。研究をするのに最適の環境だった。しっかりとした本を1冊まとめられた幸せな時だった。

講義も楽しかった。学部の受講生が300名を超え、出席率はいつも100%近かった。いやが上にも講義の準備に熱が入った。大学院は10人程度の少人数で、討議方式を入れ、私の方も勉強になった。

キャンパスでは多くの学生がのびのびとスポーツに励んでいた。文化活動のポスターは、今風の学生らしかった。

大食堂では学生が周囲に頓着することなく、談笑にふけっていた。何も恐れない青春の真ん中にいる様子だった。

西島三重子の歌は、学習院大学か川村学園女子大学を想定している。私は、屈託のない学生の中にも、あの歌詞と同じような体験をしている学生が、きっといるに違いないと時々想像を巡らせていた。こんな学生が、時代を超えて、「目白通り」や「千登勢橋」を人が寝静まったころにひっそりと聞いているかもしれないと…。

歌は、歌手の人生が投影されると聞く人により一層感動を与える。

5月初めの早朝、NHKテレビで川中美幸が24歳になって初めてヒット曲を出すまでの苦労の人生を語る番組を見た。

父親が交通事故を起こしてから一家は、並々ならぬ苦労をする。母親は、お好み焼き屋を開いて家計を支えるが、貧困のどん底生活が続く。歌唱力の才能に恵まれた川中美幸は、売れる歌手を目指して17歳で歌手デビューするが、24歳の「ふたり酒」までまったくヒットしない。諦めかけるのをいつも母親が激励してくれた。

川中美幸がその後も人気を得ているのは、彼女の歌にこのような人生が投影されているからだと納得した。「遣らずの雨」は、その代表だ。息長く活躍する芸能人の中には、このような人物が多いのだろう。

人生は、経験の積み重ねである。苦しく逃げたくなるような経験ほど、後に役に立つ。仕事を見ても、これまで苦労してきた人は、やはり違う。学校秀才では駄目だ。

今年春に定年退職した社会福祉を専門とする元大学教授とは、長い付き合いだったが、妙に考え方が一致した。社会的弱者に対するまなざしが温かい。その感性は、どこから来るのかいつも不思議に思った。研究者が文献での研究や福祉の現場での事例研究では、得られない何かを持っていた。最近になって自ら「高校まで児童養護施設で生活した」と話したことを知って驚きもしたし、納得もした。

彼のような人が社会保障の理論や政策を築いてくれれば、きっと理想的な福祉国家が現実化するのだろう。

環境政策も同様である。なぜなら環境政策の根幹には、人間の生命や幸せを守ることが存在しなければならないから。

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