21世紀の新環境政策論~人間と地球のための持続可能な経済とは第24回 トランプ大統領のパリ協定離脱演説から日本の脱炭素政策を考える

2017年07月20日グローバルネット2017年7月号

京都大学名誉教授
松下 和夫(まつした かずお)

米国のトランプ大統領が去る6月1日に行ったパリ協定離脱演説は世界に衝撃を与えた。だがトランプ氏の思惑とは逆に、この演説は、世界各国、自治体、産業界、市民社会などのパリ協定に対する取り組みへの意思を再確認し、加速させる効果を生んだ。

トランプ大統領は、パリ協定は米国の産業と雇用を痛めつける不公平なものだとする一方、公平な条件に基づくパリ協定か、まったく新しい協定に再加入するための交渉を開始すると語り、再交渉や再加入に含みを持たせた。しかしフランスなど各国首脳は、パリ協定の再交渉を拒否し、国連気候変動枠組条約事務局もパリ協定の再交渉はあり得ないと言明した。

トランプ大統領はパリ協定で約束した温室効果ガス削減目標を実施に移せば、米国は大きな犠牲を強いられ、2025年までに270万人の雇用が失われ、2040年までにGDP3兆ドル、650万人の雇用が失われると語った。これは気候変動対策の経済的な便益を無視した信頼性の低い偏ったレポートに基づいた見解である。米国の石炭産業が衰退し雇用が減ったのは、採掘技術高度化で人手が要らなくなったこと、天然ガスや再生可能エネルギーに対するコスト面の優位性を失ったことが原因で、市場経済メカニズムの必然の結果である。

パリ協定は米国にとって不公平だということも強調されたがこれは当たらない。協定では、各国は温室効果ガス削減目標を自主的に設定できるとされている。また、各国の公平性の基準としては、「共通だが差異のある責任と能力に基づく取り組み」の考え方が広く受け入れられており、温室効果ガスの1人当たり排出量も歴史的累積排出量も、アメリカが際立って高い。中国やインドも再生可能エネルギーの拡大や石炭消費の抑制など野心的目標と対策を実施しようとしている。

トランプ大統領は、先進国による途上国の温暖化対策への援助、とりわけ「緑の気候基金」への拠出も問題とした。先進国は一部の途上国とともに、緑の気候基金に資金拠出を行うことを約束している。すでに、43ヵ国、103億ドルの資金拠出が約束されており、米国の約束拠出額30億ドル中10億ドルはオバマ政権のときに拠出された。今後残りの拠出は停止されることになる。ちなみに、日本は米国に次ぐ15億ドルの資金拠出を約束している。

米国の拠出打ち切りは確かに影響が大きい。他の先進国の負担増、途上国自身による資金拠出、民間資金の活用などが必要となる。ただし気候変動緩和や適応への投資は、新たな産業や雇用創出につながる未来への投資だ。グリーン・ボンド(環境債)などを活用し、余剰資金を環境対策に誘導する仕組みが重要となる。

トランプ演説に世界はどう反応したか

トランプ大統領演説は、気候変動対策にも米国経済の発展にも逆行する内容だ。しかし世界の化石燃料依存文明からの脱却の流れは止まらない。すでに米国の多くの州・都市、産業界のリーダー、市民社会はパリ協定の実現に向けた取り組みの強化を表明している。

ブルームバーグ・前ニューヨーク市長の呼び掛けで広まった「We Are Still In(まだ参加している)」と題した声明には、ニューヨークやカリフォルニアなど9州や全米125都市に加え、902の企業・投資家、183の大学が署名している(6月5日現在)。企業では、アップル、グーグル、ナイキなどが名を連ねた。これとは別に、共和党系を含む13州の知事や200以上の市長、500以上の企業家らが再生可能エネルギー導入などに力を入れることで合意し、連邦政府が国連に提出する国家目標に代わる「社会の削減目標」を取りまとめ、国連に報告書を示すという。

最大の経済規模を誇るカリフォルニア州では、既定の2030年に電力の50%を再生可能エネルギーで供給する目標に加え、2045年までに再生可能エネルギー100%を目標とする法案が州議会上院で可決された。ハワイ州では6月7日、「パリ協定」に掲げられた温室効果ガスの排出削減目標を州政府として独自に維持する法案にイゲ知事が署名した。

世界でもEU加盟国、カナダ、中国、インドその他の途上国はこぞってトランプ大統領の決定を非難し、米国抜きでパリ協定の実施を進める決意を固めている。トランプ演説は、米国の孤立を招き、モラル・リーダーとしての信頼も失墜させることになるだろう。

問われる日本の脱炭素政策

世界ではパリ協定の目標実現に向けた「脱炭素経済への移行競争」が加速しようとしている。再生可能エネルギーによる発電コストの低下は続き、風力発電の設備容量は過去5年で2倍以上、太陽光発電は過去4年で3倍となった。

トランプ大統領のパリ協定離脱演説に対する批判は日本からも起こった。しかし日本は米国を批判するに値する脱炭素政策を持っているだろうか。既述のように米国ではトランプ演説に対して、直ちに多くの州政府・都市、先進的企業群、市民社会がパリ協定実現に向けた取り組みを強化することを力強く表明した。

果たして日本にはそれに匹敵する政府の政策、企業の積極的取り組み、地方自治体のイニシアチブ、市民社会の盛り上がりはあるだろうか。実は、はなはだ心もとない。

日本はトランプ演説を反面教師とし、脱炭素で持続可能な経済社会の構築に向け、より積極的な取り組みを一層強化することが必要だ。脱炭素経済への流れは必然で、巨大なビジネス・チャンスである。世界で脱炭素に向けた巨大なグリーン新市場が拡大していく。

気候変動対策と社会的諸課題の同時解決

気候変動対策の実施により、エネルギー支出の削減や国際競争力の強化、雇用の創出に加え、気候変動リスクの回避、資産価値の向上、エネルギーセキュリティの強化など多様なメリットがもたらされる。

現在日本国政府は、「長期脱炭素発展戦略」を策定中である。この策定過程で、パリ協定が求める温室効果ガスの大幅削減と、日本が直面する少子高齢化、人口減少、地方の衰退などの経済・社会的課題の同時解決に向けた取り組みが求められる。

経済・社会の課題解決を目指す社会構造のイノベーションが、脱炭素社会への移行のためのイノベーションのきっかけとなり得る。逆に気候変動対策をきっかけとした生産工程の見直しにより「プロセスイノベーション」が誘発され、IoT(モノのインターネット)やAI(人工知能)を活用した炭素生産性(GDP /二酸化炭素(CO2)排出量)の向上も期待される。

脱炭素経済への移行の核となる政策手段が「カーボンプライシング」(炭素排出への価格付け)である。炭素に価格が付くことによって、CO2排出者は排出を減らすか、排出の対価を支払うかを選択することになる。その結果、社会全体ではより公平かつ効率的にCO2を削減できる。たとえば法人税減税と社会保障改革と一体として大型炭素税の導入を行うことによって、日本社会が直面する諸課題の同時解決を図り、炭素生産性の向上と経済の高付加価値化を誘発できる。カーボンプライシングの導入によって、より効率的な排出削減技術や低炭素製品の市場価値が高まり、低炭素型の技術・製品の開発を促す。

また、再生可能エネルギーなどの地域に賦存する「自然資本」の活用を通じて、従来エネルギー代金支払として地域から海外に流出していた地域の「エネルギー収支」の改善を図り、地方の再生を後押しすることができる。さらには日本発の「環境ブランド」を国際的に発信することができれば、ソフトパワーを通じて世界の尊敬を得ることにもつながる。

※本連載は今後は隔月連載(次号9月号)となり、執筆者も毎号変わる予定です。

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