つなげよう支えよう森里川海―持続可能な新しい国づくりを目指す第2回 企業が地域課題に本気で向き合う時代になった 

2017年07月20日グローバルネット2017年7月号

一般社団法人高梁川(たかはしがわ)流域学校 代表理事
大久保 憲作(おおくぼ けんさく)

岡山県・倉敷のまちと大原イズム

私は1980年ごろからまちづくり運動に関わってきました。青年会議所という団体に所属し、当時、21世紀の倉敷市のあるべき姿を本にまとめようと、総合研究開発機構による『事典 日本の課題』を読み、刺激を受けました。当時の機構理事長は政府による「全国総合開発計画」の策定に深く関わった下河辺淳氏。800ページを超える大著は日本の英知による論文集で、社会が市民・企業・行政の3主体で成り立っていることを、初めて理解しました。21世紀の倉敷の姿を、「未だ見えざる時代」という冊子に書き上げ、その体験が今の私の心柱です。

当初、中小企業による周辺コミュニティへの働き掛けなど、仲間にも親世代にも理解されにくい時代でした。神奈川県の「文化のための1%システム」を見習って、利益の1%を原資にした「コミュニティ企業財団」を設立しようと先輩方の企業を回りました。汗顔の思い出ですが、若気の至りの原点は、倉敷紡績二代目社長、大原孫三郎(1880~1943年)とその長男大原總一郎(1909~1968年)という、倉敷の偉大な企業による社会・文化事業の先駆者の生きざまや町への強い思いに触れたことです。私たちは「第二の大原になる」という大それた夢を抱きました。今では当たり前の企業の社会的責任(CSR)や本業を通した社会の課題解決(共通価値の創造(CSV))が、明治の終わりから倉敷で粛々と続いていることに感動したのです。

その時から35年が経過し、私は古希を迎えました。

高梁川流域学校の始まり

明治維新から20世紀の日本は行政が主導し国力復興と経済成長優先を掲げていましたが、1995年1月17日の阪神淡路大震災を機に市民の力が台頭し、まちづくりも市民主役の時代になりました。その頃私は友人の中村泰典氏(後の倉敷町家トラスト代表理事)とコミュニティFM放送局の開局準備をしていました。1996年末にエフエム倉敷を開局。まちづくりの装置としてのコミュニティメディアの開業は、その後の倉敷市民の意識に大きな変化をもたらしました。

環境関連の番組も始めました。新見市花見山を源流とし、倉敷市水島に至り瀬戸内海に注ぐ母なる川、総延長111㎞、流域面積2,670㎞2の一級河川「高梁川(たかはしがわ)」の水環境を考える番組です。流域の市民団体とともに2003年に「水と生きる」をテーマにしたGREEN DAY運動をスタートさせ、以後8年継続。その後GREEN DAYS COLLEGEという講座へと発展し、地域の人材育成運動に進化しました。

高梁川と流域の7市3町

高梁川と流域の7市3町

2013年秋に高梁川流域連盟の創立60周年記念式典が挙行され、連盟正会員の流域の7市3町の首長はもとより、多くの市民団体や企業が集結しました。1954年に大原總一郎氏の提唱によって設立され、連綿と流域の連携活動を支えてきた組織です。2014年の「持続可能な開発のための教育(ESD)に関するユネスコ世界会議」に先立つ60年も前に地域連携や人材教育の目標を説いたのが大原氏でした。

記念式典で、私は「高梁川流域連盟の高遠な理念を実現し、高梁川流域を日本一の流域にしましょう、そのために流域を学びの場にしたい、高梁川流域には古代から未来までの連続した歴史、備中の文化風土、多様な産業集積、中国山地から瀬戸内海に至る森里川海すべてを包含する類希な自然資産があります。それらを保全、編集し次世代につないでいく装置として高梁川流域学校を設立したい」と提案しました。

2014年、倉敷市は国の施策「地方中枢都市圏事業」に流域連盟7市3町の連携実績を軸に応募し採択されました。2015年6月に連携事業の中核と位置付けられた高梁川流域学校(高梁川流域連盟の設立趣意書については、本サイトより確認できます)が開校し、学校長には井原市美星町出身の民俗学者の神崎宣武先生にお願いしました。

事業の社会化と自立が課題

神戸の震災以後、NPOなどによる運動が活発になりましたが、運動資金の調達は大変な苦労です。流域学校の顧問でもある農学者の澁澤寿一先生からは「まずは運動を幅広く知らしめ世間が注目すること。良い事業なら私も参加したい、協力したい、お金や労力を出してもいい、と社会の誰からも共感されること。事業が社会化すれば、市民感覚に敏感な企業からも賛同を得られます」と教えを受けました。昨今企業のCSR事業も本業とは別ではなく、本業に絡めて行われるようになり、従業員が社会貢献意識を共有するという観点から、自分の仕事が巡り巡って社会の困り事の解決に役立つという働きがいになっています。

2011年の東日本大震災を経てさらに時代が変化しました。少子高齢化という現状、日本が世界のフロントランナー、成長・拡大が至上目標であった企業の意識変化が始まっています。企業は地域との関係性をより深く捉えなければ生き残れない時代です。地域の社会運動に共感し、その運動を多方面で応援する。地域住民はそんな企業の姿勢を評価し支持します。従業員は働きがいを感じ、若者はそんな地域思いの会社で働きたいと思い、親は子供をそのような企業で働かせたいと願います。かくしてその企業は生き残るのです。

大原父子が目指し、地域に果たしてきた企業の在り方、事業家の公益的姿勢が見直されています。社会的投資の受け皿として、市民運動が自立のための経済的仕組みづくりを構築するヒントがここにあります。

自立のための経済的仕組みづくり

昨年12月に流域学校では新たな試みが始まりました。それは高梁川流域にある四つの信用金庫(備北・吉備・玉島・水島)と高梁川流域の持続的発展に向けて包括協定を提携したことです(写真)。高梁川流域応援定期預金「高梁川の恵み」を4信金が同時にエリア内で広報し発売しました、定期預金を運用するという本来の金融活動を行いながら、同時に定期募集総額に定率を乗じた額を流域学校の活動への支援にするというものです。経営が異なる4信金が営業エリアをまたいで同一の定期預金を同時期に募集することは画期的です。これこそ企業活動と住民運動が互いの価値を共有するCSV行動として評価されると思います。

写真

中央の女性は伊東倉敷市長、その左側が筆者。左右の4人は各信金の理事長

今後計画されている連携事業の一つが信金ビジネスと連動した「高梁川流域ファンド」の構築です。流域の心ある企業が、社会的投資として託す「志金」。それを生かし高梁川流域の確かな未来のための事業支援がファンドの目的です。社会的投資によるステークホルダーからの評価・収益・報酬、いわゆるソーシャルリターンはどのようなものか。この会社は信頼できる企業だ、応援していきたい――と評価される文化を持つ企業が次世代へ引き継がれていくと信じたいのです。

若いとき、「第二の大原になる!」と抱いた思いを忘れず、辛抱強く、共感する仲間を増やしていきたいと思います。高梁川流域学校では今後、全国からの「志民」による「111人委員会」を組織します。高梁川の総延長111㎞にちなんだ委員会です。学校行事やファンドへの支援はもちろん、厳しいご意見番、社外取締役のような組織であってほしいと考えています。

「経済が世の中の役に立つ:経世済民」という基本原則に戻り、地域の経済人が周辺地域社会の課題解決に自分事としてコミットする時代を迎えつつあります。

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