食卓からみる世界-変わる環境と暮らし第4回 食べること。生きること。~ロシア極東タイガと狩猟先住民族ウデヘの暮らし(その1)

2018年02月16日グローバルネット2018年2月号

タイガフォーラム ロシア極東ビキンツアー2015・2016年参加者
田邊 智子(たなべ・ともこ)

ロシア極東ハバロフスクから車で約8時間、450kmほどの道のりは、途中から森へとつながるでこぼこ道が続く。2015年秋と翌2016年秋に私が向かったのは、ロシア極東ビキン川流域に広がるタイガ(ロシア語で森を意味する)とともに生きる狩猟採集の民ウデヘの人たちが暮らすクラスニヤール村だ。

「私たちはウデヘ」

ウデヘはアジア系(満州・ツングース系)の民族でロシア極東の先住少数民族。総人口は約1,700人といわれ、中国とロシアの国境を流れるアムール川(黒龍江)の支流ウスリー川の支流であるビキン川流域を含む森林地帯で今も伝統的な狩猟を中心とした暮らしを続ける人たちと、ハバロフスクなどの都市で生活する人たちがいる。ウデヘの顔つきは日本人に似ており、遠くて近い親戚に会いに来たような懐かしい気持ちになる。

私が訪れたビキン川流域クラスニヤール村には現在、ウデヘの他、ナナイ、ウリチなどのツングース系民族、ロシア系、ウクライナ系、ベラルーシ人も同居しており、17民族、約600人が暮らしている。役場や学校、売店などで働く人の他、狩猟を中心とした暮らしは現在も続いているが、狩猟を営む人は減少傾向にある。ビキン川流域ハンティングテリトリーは東京都の約5倍、約40家族がその利用権を持って現在も猟を行っており、その大半がこの村で暮らしている。

クラスニヤール村に到着すると、いつも私を温かく迎えてくれるのがホームステイ先の家族と、タイガとビキン川の恵みにあふれるおいしい食事だ(写真①)。夏は35℃、冬は-35℃になるこの村の食卓は、自然と寄り添う食材が並ぶ。代表的な料理は、ビキン川のカワヒメマスやコクチマスなどの魚をぶつ切りにして煮たウハーと呼ばれるスープ。タイガのシカ肉やイノシシ肉もスープ料理として食されることが多い。きのこのマリネやわらび炒めも絶品だ。9月中旬頃でも、家庭菜園のトマトやきゅうりなどの新鮮野菜がサラダとして食卓に並ぶ。その一方で、厳しい冬に向けた食の備えも垣間見られる。家の中にはピクルスの瓶詰が並び、家族総出で収穫した大量のじゃがいもが各家庭の畑に山積みとなる。この村には農薬を使う習慣がなく、虫に食われた野菜は安心でおいしい証拠だ。本当のおいしさとは、手を加え過ぎることではなく、自然に秘められた本来の力を引き出すために手をかけ寄り添うことなのだと、この村の人たちと食卓から教わった。

写真① タイガとビキン川の恵が彩る村の食卓

村で出会った食の中で私が愛してやまない逸品がある。それは村のお母さん、アンナ・カンチュガさんが作るクロマメノキのジャムだ。野生的で濃厚で、それでいて優しい味がする。「今ではタイガの沼地まで足を運ぶ人は少なくなって、庭で育てたベリーでジャムを作る人がほとんど。でも私は昔からずっと変わらず、タイガの沼地まで摘みに行っているの」と、アンナさんはおいしさの秘訣を教えてくれた。タイガとウデヘとのつながりにも、少しずつ変化が訪れていることを教えてくれたのは、たったひとさじのジャムだった。

タイガとビキン川の恩恵を受けながら、17民族が暮らすこの村の人たちは皆、「私たちはウデヘだ」と言う。ウデヘであることを決めるのは血ではなく、この地でタイガとともに食べ、生きる、その覚悟とともに育まれた心を持つということなのだろう。

必要なものを、必要な時に、必要な分だけ

クラスニヤール村のウデヘの食を支えるのがタイガとビキン川、そして、狩猟と漁労を営む猟師の存在である。私はウデヘの猟師とともにタイガに滞在する機会を得た。村から船外機を付けた猟師の舟に乗り込み約4時間、50kmほど上流にあるウリマ山の麓のキャビンを目指す。ビキン川中流域のこのエリアは、ウスリータイガと呼ばれる針葉樹と広葉樹の混交林が広がり、夏はまるでジャングルのように緑が生い茂り、秋には美しい紅葉が見られる。そして、冬はビキン川が氷の道となり、猟師は舟からスノーモービルに乗り換え、白銀の世界へと猟へ向かうのだ。

2015年9月、私はウデヘの若手猟師リョーシャ・ゲオンカの網漁に同行した。彼はビキン川の流れを的確に読み、狙いを定めて網を仕掛けた(写真②)。その翌朝には、見事にレノック(コクチマス)7匹、チュバック(コイ科の魚)2匹を捕獲し、猟師小屋に戻るとすぐ、手とナイフを使い、慣れた手つきで素早く魚をさばいた。そして、その魚は絶品のハンバーグとしてすぐに食卓に上った。生きるために食べ、食べるためにタイガで狩猟や漁労を営む。このシンプルで当たり前の命の循環がとても豊かに感じられた。

写真② ビキン川での網漁

ウスリータイガにはシマフクロウ、リス、クロテン、アカシカ、ノロジカ、イノシシ、ヒグマ、ツキノワグマ、そして世界最大のトラであり、ウデヘにとって神聖な存在であるアムールトラまで、さまざまな生き物が生息している。彼らの命の源となるのが、チョウセンゴヨウの実、くるみ、どんぐりといった豊富な木の実だ。木の実を餌にイノシシが、イノシシを餌にアムールトラが繁殖し、すべての命が循環し、この豊かな森が構成されている。ウデヘもまた、その命の循環の大切な一員として、タイガの一部として生きてきた。

ウデヘの猟師は基本的に単独で森に入り、シカやイノシシなどの猟を行う。そして、彼らは家族や親戚が食べていくのに必要な分だけの獲物を狙い、決して必要以上を求めることはない。大きな獲物を狙っても、独りで舟に載せ持ち帰るのは容易ではないという理由だが、それはタイガで食べ、タイガに生かされてきたウデヘが、これから先もずっとともに在り続けるために交わした、タイガとの大切な約束なのかもしれない。

変わることはないタイガとウデヘとのつながり

タイガは長い間、深刻な森林伐採の問題と直面してきた。とくに1970~80年代にはチョウセンゴヨウの伐採が激化、日本も輸出先としてこの問題に大きく加担してきた。タイガとアムールトラをはじめとする野生動物保護を目的とし、ビキン川流域約116万haの森林地帯は2015年11月、「ビキン国立公園」に指定され、実質的な保全活動が開始されて間もない。

伝統的な暮らしを続ける先住民族の権利を保障する形で設立された国立公園ではあるが、ウデヘが守り続けてきたタイガとのつながりにおいて、彼らは今後さまざまな変化に直面していくことになるだろう。しかし、どんなに暮らしの形が変わろうと、ウデヘの命はタイガに支えられている。その事実は永久に変わることはない、タイガとともに在り続ける限り。

私が出会ったウデヘの食も暮らしも、そして、彼ら自身も、豊かさにあふれていた。それは、食べるという行為を通じ、タイガの命の恵みを、自らの命の一部として生きるウデヘの内側に、タイガに「生かされている」という感覚が根付いているからなのだろう。彼らと暮らしをともにすると、そこにはいつも、タイガへの愛と感謝と敬意を感じるのだ。

食べること、そして、生きること。タイガとウデヘの暮らしは、そんな毎日の「当たり前」がとても生き生きと輝きにあふれている。

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