食卓からみる世界-変わる環境と暮らし第5回 移ろいゆくもの。失われないもの。~ロシア極東タイガと狩猟先住民族ウデヘの暮らし(その2)

2018年04月16日グローバルネット2018年4月号

タイガフォーラム ロシア極東ビキンツアー2015・2016年参加者
高橋 真美(たかはし まみ)

前回(2018年2月号)に続き、本稿では、ロシア極東地域で伝統を受け継ぎながらも過渡期を生きる先住民・ウデヘを取り上げる。今回は彼らの生活拠点であるクラスニヤール村と、彼らの生業における今昔の変化に焦点を当ててみたい。

●ウデへの村、クラスニヤールと彼らの生業

村への道程は、極東ロシアは沿海州の主要都市、ハバロフスクが起点だ。前半は高速道路を、後半は車体を変え、地図上で確認することも困難な無舗装の道なき道を進むこと約8時間、ようやく到着する。ソビエト連邦体制下の1958年に誕生した比較的新しい村落で、全ウデへの約3割がここに集住、ビキン川のほとりにかつて点在していた村々の中で唯一、現在もその伝統的な生活や慣習を伝える、まさにウデヘの村である。規模は、東西に約2㎞、南北に約1㎞弱、村内には役所に郵便局、全校生徒が約80人の学校(11年制)に、伝統民族衣装や生活用具などが展示され、ウデヘの歴史を伝える民族博物館がある。家屋は、装飾や彩色が施された木造の母屋を中心に、周囲には家庭菜園や井戸が見られ、バーニャという名で親しまれるロシア式サウナや、この地域では珍しいアンバルと呼ばれる高床式倉庫が別棟として建っている(写真1)。

写真1:母屋とは別棟で建てられたバーニャ

ウデヘは狩猟と漁労を中心とする民族で、かつてより生きる糧をビキン川から得てきた。大型獣においては夏から冬にかけてイノシシやアカシカ、漁獲においては秋に獲れるシロザケやイトウ、コクチマスなどが主な対象だ。『ロシア極東の民族考古学―温帯森林狩猟民の居住と生業』(大貫静雄他編)によれば、これらの肉・魚類は薫製として保存食にされ、食資源の安定を保持しようとするウデヘならではの傾向がみられる。

さらに5~6月には、ゼンマイ、ワラビなどの山菜類が、初夏から初秋にかけては、ジャムなどの原料になるベリー類や果実類が一番の収穫時となる。

●身近になった消費経済と食事情の現代化

一方、ソビエト連邦崩壊以降それまでなかった生活物資の浸透によって引き起こされる変化が著しいのも事実だ。2000年以降、まず食肉の保存において、船外機と冷凍庫の導入は大きな影響をもたらしたという。それまで主流だったソ連製から、徐々に馬力のある日本製の船外機が利用されるようになると、移動時間が格段に短縮、しとめた肉の保存処理をする必要がなくなり、生の状態のままで帰村が可能になった(写真2)。また中国製の大型冷凍庫が出現したことで、夏でも肉を腐らせずに済むようになったそうだ。そしてソ連崩壊後は、日本製の自家用車が主流になり、一般家庭でテレビを使用するためのパラボラアンテナとチューナーの設置も進んだ。近年はビデオデッキやノートパソコン、携帯電話など、電子機器類も多く流入している。

写真2:船外機付きの板舟。オモロチカと呼ばれる丸木舟も使用する

このように、消費型サイクルが構築されつつある状況下、村の猟師たちも一層、現金収入源を意識し始めた。そしてこの変化は、彼らの食生活にも影響を与えていることは間違いない。

クラスニヤール村でいただいた食事で真っ先に思い出すのは、ホームステイ先の食卓だ。魚のフライ、新鮮な生野菜やキノコの炒めもの、スープなどいろいろな調理法でいただいた。中でもペリメニと称するロシア風水餃子はシカ肉を使用、肉汁たっぷりで絶品だった。

基本的に肉や魚、キノコやジャムの原料であるベリーは森から、野菜は家庭菜園で採れたものと地産地消のスタイルだ。対照的に、チーズ、サラミなどの加工肉、マヨネーズ、お茶に添えられたチョコレートなど、外部から入ってきたと思われる食品も並んでいた。

現在、村内の売店では、生野菜、冷凍肉、果物に種々の加工食品・飲料など、あらゆる食材が入手可能だが、店の利用目的や頻度は、世代や所得によって異なるようだ。年配者にとっては、前述のように生産者と消費者同士が見える関係にあるのが通例で、彼らが店で仕入れる物といえば塩、小麦などの食料雑貨で、中でもとくに小麦は、パン生地や麺、ペリメニの皮、他各種伝統料理の材料として必需品とのこと。しかしながら総じて、店での購入自体頻度が低いことには変わりがない。これに対し、若い世代のウデヘにおいてはこの逆だという。とりわけ家庭に猟師がいない場合や、十分な収入があり、自給生活の必要がないケースが当てはまりそうだ。

乱獲を避け、動物性タンパク源が欠如した際は菜園の収穫や親族からの分配で補い合い、相互協力の関係を維持する生き方を知る年配者のウデヘ。そして、物質的豊かさを享受する若いウデヘ。加工品への依存度は異なるものの、両者ともに目まぐるしい環境の変化の真っ直中にあることに違いはない。

●時代を共有する者として

近年、さらに多くの若者が経済面で裕福で近代的な暮らしを実現するため、ハバロフスクなど都市への進学を希望するようになっている。義務教育を終え、そのまま村に残る者が就ける職は限られているため、専門技能やビジネルスキルを磨きたい若者は、都市に出て高等教育を受ける道を選択するのが当節だ。

そうなると、若き担い手の流出により次世代のハンターが減少、村の食料事情にさらなる影響を及ぼしかねない。しかし3年前、ビキン川流域がビキン国立公園(面積1万1,000㎞2)に指定されたことで、新たな雇用が村に生まれていることを考慮すると、今後は村内にとどまり、新たな訪問者の増加に伴う対応業務、例えば宿舎の建設や事務員など人材確保に貢献する者の活躍も大いに予想される。

太古より、自然環境、民族、変動するさまざまな環境のはざまで、知恵とたくましさ、そして共存能力を培ってきたウデヘの人々はまさに今、新たな局面を迎えている。

「テリトリーの木の一本一本は全部頭に入っているから、GPS(衛星利用測位システム)は僕には必要ないんだ」。ベテランハンターのリョーシャは、少し得意げな表情で話してくれた。そう、彼らを取り巻く変化というものが人類の必然だとしても、きっとクラスニヤールには、独自の手段と展開が待っているに違いない。同じ時代を共有する者として、村の行方と人々の姿を、これからも見守り続けたい。

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