日本の未来に魚はあるか?―持続可能な水産資源管理に向けて第11回 試験操業から新たな道を探る、福島県の漁業

2018年05月15日グローバルネット2018年5月号

東京海洋大学 教授
川辺 みどり(かわべ みどり)

日本の漁業は「所得は少なく、後継者はおらず、漁村では高齢化が進み、生産環境は劣化し漁業資源は減っている」と悲観的に語られることが多い。だが、このステロタイプなイメージは、福島県の沿岸漁業(ここでは沖合底びき網漁業も含める)には必ずしも当てはまらない。高齢化は確かに進んではいるものの、東日本大震災後にも生業としての魅力に惹かれて着業した若い漁業者が何人もいる。福島県の漁業関係者は今、7年前の原発事故による海の放射能汚染に対し、水産物の安全・安心の確保に努めながら、新たな漁業のビジネスモデルを模索している。ここでは、沿岸漁業の再開に向けて行われている試験操業を取り上げたい。

●福島県の豊かな水産資源と多様な漁業

福島県の海岸線は総延長約160km、北端の新地町から南端のいわき市までほぼ単調に延びる。福島の海は、約30~60kmの大陸棚が沖に張り出した遠浅の海であり、沖には北からの寒流・親潮と南からの暖流・黒潮が交接する豊かな潮目の海が広がっている。

豊かな漁場に恵まれて、福島県では漁船漁業が発達した。2010年3月発行の『福島県水産要覧』によれば、2008年の漁業経営体数は743を数え、そのうち相馬市松川浦名産の青のり養殖の75経営体などを除く615経営体が漁船漁業を営む。漁船隻数計865隻のうち、船外機付き漁船237隻、動力船10t未満533隻というように、沿岸で操業する小型船が多い。震災前の沿岸漁業の生産量は約2.5万t、生産金額は約92億円であった。

福島県沿岸部の「浜通り地方」は、北部の相馬双葉(相双)地区と南部のいわき地区とに分けられ、それぞれの浜の地理地形に適した漁業が発展してきた。沿岸では、小型漁船で網を引きながら浮魚のシラスやコウナゴをとる「船びき網漁業」、海底に網を立てて掛かった底魚やカニ類などを漁獲する「刺網漁業」、餌を仕掛けたカゴを海底に沈めてタコ・カニ類などを漁獲する「かご漁」、網口に付けた鉄の桁枠を船上から綱で引き,海底を掘り起こしながらホッキガイを採る「貝桁網(かいけたあみ)漁業」、潜水してアワビやウニなどの磯根資源を採る「採鮑(さいぼう)漁業」などが営まれ、沖合では、オッターボードと呼ばれる開口板に付けた網で海底をさらってヒラメなどの底魚類を漁獲する「底びき網漁業」が相馬市原釜を中心に盛んである。

福島県は、資源管理の先進地としてもよく知られている。1978年には現在の相双漁協磯部支所内でホッキガイ操業船主会を組織し、ひき網回数や出漁時刻の設定、休漁区の設定などを行った。さらに、全国に先駆けてグループ操業制を取り入れ、水揚額の均等配分を行う「プール制」を導入している。こうした漁業者自主的管理と漁業調整規則などに基づく公的規制とを組み合わせた資源管理型漁業を全県的に展開していた。

●原発事故からモニタリングと試験操業へ

試験操業から戻り、松川浦漁港に水揚げする沖合底びき網船(根本芳春氏撮影)

豊かな海の恵みを享受していた福島県漁業の様相は、東日本大震災を境に一変した。福島県の沿岸漁業は、震災直後から、津波による甚大な被害と原発事故による混乱や、その後の放射性物質の検出などから、通常操業をすべて自粛している。そして、この7年間、福島県の漁業関係者は漁業再開のためにさまざまな取り組みを行ってきた。

2011年4月、震度5強の余震がまだ続く頃、放射性物質による魚介類の汚染を懸念した沿岸漁業者たちは、魚を捕って福島県水産試験場(以後、水試)に持ち込み、放射性物質の濃度測定を依頼した。こうして始まった福島県の「水産物の緊急時環境放射線モニタリング」(以下、モニタリング)は、今も続き、福島県水試は毎週200検体前後の海産魚介類について放射性物質濃度を検査し、ホームページ上で公表している。2018年3月までに検査した魚介類は約200種、合計5万1,578検体に及ぶ。2015年4月以降の3年間では2万5,803検体を検査した結果、放射性物質の基準値100ベクレルを超過した検体は皆無であったという。

安全性が確認された魚介類については、福島県漁業協同組合連合会の主導で「試験操業」が行われている。小規模な操業と販売を試験的に行い、出荷先での評価を調査し、漁業再開に向けた基礎データを得ようという、水産物流通のパイロット事業である。試験操業は、次の四つの段階を踏んで行われてきた。まず、漁業者と流通業者とが、操業と流通の体制について協議する。次に、地区試験操業検討委員会で合意形成を図る。そして福島県地域漁業復興協議会で、漁業者・消費者・流通者の代表と有識者と行政機関とが協議し、最後に、県下漁業協同組合長会議で試験操業計画を決定する。一方、漁協は、試験操業のために魚市場に検査機器を設置し、県漁連が作成した検査マニュアルに基づき水揚げされた漁獲物を自主的にスクリーニング検査する体制を整えた。

震災翌年の2012年6月、相双漁協がミズダコ、ヤナギダコ、そしてシライトマキバイの3種について初の試験操業を行った。翌2013年10月には、いわき市漁協も小名浜機船底曳網漁協と共同で試験操業を開始した。以後、試験操業は海域を広げ、2017年3月からは福島第一原子力発電所半径10kmを除く福島県海域で行われている。最大44魚種あった出荷制限魚種は5月1日現在7魚種にまで減り、水産業重要魚種の制限はすべて解除された。現在はこれらを除くすべての魚種を対象魚種として、約170種について試験操業を行っている。水揚げされた魚介類は、しばらくは仲買人組合との相対取引が行われていたが、2017年3月からは従来の「競り・入札」取引が再開された。こうして試験操業は年々水揚量を増やし、2017年には約3,000tにまで回復した。

●試験操業のジレンマ

このように過去6年間、試験操業は順調に水揚量を増やしてきた。しかし、このまま上り調子に増加させることに関して、流通業者の中には不安の声もある。すなわち、水揚量が震災前の1割程度しかない現在であれば、売れ行きは好調なように見えるが、水揚量がさらに増え、市場で他産地同種の水産物と競合するようになったとき、果たして福島県水産物は価格を維持できるのか、値崩れが起きはしないか、といった懸念である。

他方、水揚量が少ない今の状況は、別の課題を生んでいる。市場に流通する量が少ないということは、調達先としての信用醸成に極めて不利に作用するからである。さらに、流通量が少なければ、小売店に並ぶ機会やメニューとして提供される機会もまた少なくなるため、たとえ消費者に福島産の魚を買う意思があったとしても、購入する機会が少なくならざるを得なくなる。その結果、一般の消費者は、福島県の沿岸漁業が健在であること、魚の安全性を確保して流通・販売していることという、福島県の漁業の再開に向けた多大な努力を知る機会が少なくなる。これでは販路の拡大につながりにくい。順調に拡大してきた福島県漁業の試験操業であるが、今、こうしてジレンマを抱え込んでいる。

「水揚量を増やすことで値崩れする」という恐れの根底にあるのは、消費者の放射能汚染に対する不安である。実際に過去の消費者アンケート調査などを見ても、福島県産水産物に対して不安を持つ消費者は少なからずいる。こうした不安を解消できるような新たな流通スキームを構築することが、試験操業のジレンマから抜け出すためには必要である。それは、「生産→加工・流通→消費」という福島県水産物のフードシステムの基盤再構築に他ならず、福島県漁業は操業の本格的な再開に向けて今まさに正念場を迎えている。

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