事例4:環境モデル都市づくり 関 洋一/水俣市 環境対策課 環境企画室 次長 |
水俣というと、まず思い浮かべるのが水俣病のことだと思います。残念ながら水俣という地名が知られるようになったのは、公害によってでした。私たち水俣市民は環境で痛めつけられたまちですが、だからこそ、環境で立ち直っていこうと1992年に環境モデル都市づくり宣言を行い、環境のまちづくりをスタートさせました。
1.ごみの23分別と減量化の試み
水俣市では1993年から、ごみの19分別を始め、現在では23種類の分別を行っています。始めて7年になりますが100%の分別といっていいほど、住民が率先的にやるようになっています。ごみの分別収集を始めた当初、年間1万5千トンあったごみが8千トンまで減りました。ダイオキシン問題が浮上した頃で、「家庭や事業所、学校の焼却炉などで燃やしたごみについては、燃やさずに分別収集に出してくれ」と役所から言いました。しかし言ったとたんにごみが1万2千トンまで戻ってしまいました。
これ以上ごみの減量を市民だけに求めるのは酷だなという考えから、家庭に入ってくるごみを少なくしようということになりました。市内の女性グループ16団体の代表に集まってもらい「ごみ減量女性連絡会議」を立ち上げました。
この会は、大手スーパーに対して、生鮮食品など95品目については、トレイを使わないで販売してほしいという要望を出しました。1998年の9月、65品目についてスーパー4店舗と食品トレイの廃止申し合わせ書の締結に至りました。2000年10月、新たに20品目についてトレイ廃止の申し合わせが成立しました。
それからレジ袋をなくす運動として、ふるさと創生基金の運用金でバッグを買い、全世帯に配布しています。また、エコショップ認定制度は、最初食品トレイの廃止に踏み切った4店舗を認定したのですが、現在13店舗を認定しています。
2.「我が家のISO」「学校版 環境ISO」
水俣市役所は、環境マネジメントの国際規格であるISO14001を1999年2月に認証取得していますが、一般家庭を対象にした「我が家のISO」という運動も進めています。正式の規格ではありませんが、34項目の提案を宣言し、省エネ、省資源に努めてもらっています。「学校版環境ISO」は、市内16小中学校のすべてが認定済みです。
3.環境マイスター制度
最後に環境マイスター制度について説明します。マイスターとはドイツ語で職人の親方という意味ですが、環境にこだわったものづくりをしている職人ということで「環境マイスター制度」をつくりだしました。
これは水俣病が背景にあります。水俣でみかんをつくって売るときに水俣産というと売れないのです。水俣病が発生したことで私たち水俣市民は水と食べ物にこだわって暮らすようになりました。職人の方も水と食べ物にこだわって、環境と健康にこだわって、ものづくりをしています。
この方たちが堂々とものを売れるように行政が認定する制度ということで、環境マイスター制度をつくったのです。ものが流通するのを行政が直接保証するという制度ですので、資格審査は大変厳しくなっています。21人から申請があり、現在14名が環境マイスターとして認定されています。
現在、水俣市は当初5万5千人の人口が、今3万1千5百人となり、少し寂しいまちになっているのですが、このような環境への取り組みが評価されまして、ごみ分別は、今では小中学生が修学旅行でバスを何台も連ねて見学に来るほどになりました。環境教育の学習の場ということで注目を浴びています。また産業については、「ごみ」という資源が水俣にあることに目をつけた企業がどんどん入ってきています。
市長は就任2期目になるのですが、「環境のことばかりやらず、道をつくれ、工場を誘致してこい」とか、いろいろ最初のころ言われていましたが、市長が環境にこだわってやってきた結果、工場も誘致されますし、人も来るようになりましたので、これからが楽しみだと思っています。