ハンピの建造物

(文化遺産、1986年指定)
Group of Monumets at Hampi


繁栄を極めた王国の首都
   ハンピはかつてビジャヤナガル王国(1336年−1649年)の首都であり、その面積は約26kuとインドの文化遺産の中では最大である。ヴィジャヤナガルは「勝利の町」を意味する。当時、デカン高原一帯のイスラム王朝が優勢な中、ヴィジャヤナガルはヒンドゥー教国として対抗した。王国の勢力は南インド全体に及び、現在のマドラスやゴア方面も支配下にあった。インドに勢力を伸ばしていたポルトガルとも盛んに貿易を行っていた。ヴィジャヤナガルには世界中からモノや人が集まり、その繁栄ぶりはこの町を訪れたムガル朝の宮廷歴史家アブ・アル・ファズルやイタリア人ニコロ・ヴィスコンティら外国人旅行者によっても記録が残されている。
  ヴィジャヤナガル(現在のハンピ)の町は天然の地形を利用して要塞化されていた。北はトゥンガバドラ川、東は岩山に囲まれている。そのほかの部分は城壁で防御していた。灌漑工事も行われた。現在も当時の水路の一部が残っており、農業に利用されている。

各遺跡紹介:
   ハンピは非常に広大な地区に建造物の遺跡が散在している。主要な建造物を個別に解説する。ハンピは王宮地区と寺院地区の2つに大きく別れる。

1.王宮地区
マハナミディヴァ

   王宮地区の最大の建築物はマハナヴァミディバである。ここでクリシュナデーヴァ・ラヤ王の戦勝を祝うナヴァラトリの祭がとりおこなわれたが、今では基壇しか残っていない。高さ10m、最下部面積は40u、最上部は24u。基壇の側面には馬、象、戦士、踊り子、楽師などの像が彫られている。王宮跡、謁見の広間跡など周囲には宮廷の建物群の基壇がいくつもある。大きなプールのような長方形の濠があるが、これは王宮で使う水をためていた水槽である。
   さらにその東側に黒い石で作られた正方形の水槽がある(写真69)。石は階段状に組まれていて、底まで下りることが出来る。丁度ピラミッドを逆さにし、内側から眺めたような形をしている。1990年代になって発見され、発掘される以前は砂に埋まっていたため、破損がほとんどない。この水槽に関する歴史的資料は残っていないが、他の建築材と違う黒い石を使用している点や独特なデザインから王の宗教儀礼に使用していたと考えられている。

王妃の水浴場
   15m四方、深さ1.8mの水浴場で、水は用水路からひいていた。周りは回廊で囲まれている点、水槽に向かってバルコニーが突き出ている点などイスラム建築の影響を多分に受けている。回廊の天井には24のドームがあり一つ一つデザインが違う。

ハザラ・ラーマ寺院
   王宮地区の北西のはずれにはハザラ・ラーマ寺院がある。ヴィシュヌ神に捧げられた寺院で、インドの大叙事詩ラーマ・ヤーナの場面が至る所に彫刻されている。さらに、ガネーシャ(ゾウの頭を持つ吉祥の神)やハヌマーン(猿王でラーマ・ヤーナの主人公ラーマを助けた)の浮彫、ヴィシュヌやその化身ナラシンハの彫刻が柱や壁に施されている。

王妃の宮殿跡とロータス(チトラグニ)・マハル
   王宮の建物群から北にはなれたところに王妃の宮殿があった。現在では基壇しか残っていない。ロータス(チトラグニ)・マハルはヴィジャヤナガル様式の代表的な建築物の一つ。建築はヒンドゥー様式とイスラム様式の折衷である。屋根はヒンドゥー寺院によく見られるような四角錐ピラミッド型で、その表面は複雑な凹凸から形作られている。柱と柱の間はアーチ状になっている。アーチの形はイスラム建築によく見られる尖状アーチにひだを加え、輪郭線を3重にしてある(写真73)。この形が柱から柱へと幾重にも重なる。この建物は王妃が私的に使用していたと思われる。
   政治的にはイスラム勢力と対立していヴィジャヤナガルだが、意識的にせよ無意識的にせよイスラム文化の影響を受けていたのである。人や物は国家や宗教を越えて交流があり、ヴィジャヤナガルの兵士の3分の1はイスラム教徒であった。

象舎
   王朝に仕えていた10頭のゾウがこの建物をすみかにしていた。ヒンドゥー・サラセンスタイルで、各部屋の屋根のドームはそれぞれ形が違う。

2.寺院地区
ナラシンハ像
   ナラシンハは獅子と人の形が合体した獣神で、ヴィシュヌ神の化身の一つである。ハンピのナラシンハは一枚岩からできている(写真68)。1528年に造られ、高さは6.7m。このナラシンハ像は瞑想に専念できるよう、足をバンドで固定し、座禅のポーズをとっている。左膝には妻ラクシュミ女神が座っていたが、崩壊し、残っていない。上にはアナンタ大蛇(ヴィシュヌに仕える千の頭を持つコブラ)が彫られている。
ナラシンハ
写真68 ナラシンハ(人獅子)像。ナラシンハはヴィシュヌ神の化身である。座禅が崩れないように足にバンドを巻き付けて修行をしている姿である。

クリシュナ寺院
   クリシュナ・デーヴァラーヤ王によって建てられた。寺の前ではバザールが開かれていたという。獣神ナラシンハの彫刻が至る所に施されている。柱にはさまざまなヴィシュヌ神の像が彫られている。本殿の前にある列柱ホールは神に捧げる踊りを披露するための舞楽殿である。寺院には崩壊寸前の部分があり、修復工事が進められている。

ガネーシャ寺院
   ガネーシャ(1)寺院には高さ6mにも及ぶ一枚岩のガネーシャ像が置かれている。ガネーシャのシンボルである鼻は欠け、損傷がひどく、現在は信仰の対象になっていない。本尊が破壊されたままではヒンドゥー教の信仰対象にならないからだ。

注(1)ガネーシャ:富と繁栄の神、知恵と吉祥の神としてインドで広く親しまれている。体は人間、頭はゾウである。パールヴァティー女神が夫シヴァ神の留守中に自分の垢から息子を作ったが、戻ってきたシヴァはそのことを知らず、見ず知らずの者がなぜここにいるのだと怒って息子の首をはねてしまった。パールヴァティー女神が激怒したため、シヴァは「北へ向かって進み、最初に出会った生き物の首をつけて息子を再生しよう」と約束した。そして最初の生き物がゾウだったため、現在のような姿になったと言われている。
ヘマクータ丘
   ヴィジャヤナガルの都に巡礼に来た人々は前述の姉妹岩、ナラシンハ像、ガネーシャ寺院などを巡りながらヘマクータ丘を通り、最終目標であるヴィルパクシャ寺院を目指した。このヘマクータ丘にも初期に建設された小さな寺院が点在しており、トリクタチャラと呼ばれる東、西、北に部屋が張り出した形が代表的である。
   ヘマクータの丘を下りるとヴィルパクシャ寺院へ通じる門の一部が残っている。壁には壷の浮彫がある。壷から水があふれ出している様子を図案化したものである。この地方は乾燥が激しく、水は非常に大切にされた。ヴィジャヤナガル王国の基礎は灌漑などの治水工事にあったといわれる。水は豊かさの象徴であり、それはヴィジャヤナガルの繁栄と豊穣さの象徴でもある。

ヴィルパクシャ寺院
   ヴィルパクシャ寺院はヴィジャヤナガルの時代から現在に至るまで、ハンピの信仰の中心地である。
   ヴィルパクシャ寺院の建物の配置は南インドによく見られる形式である。境内は壁(78m×51m)で囲まれており、52mの高さのゴプラムと呼ばれる入り口の門は寺院の中でひときわ目立つ(写真71)。境内にはトゥンガバドラ川から引いた水路が通されている。小さな寺院が中にいくつもあるのが特徴でムクティ−ナラシンハ寺、パタレシュヴァラ寺、ナヴァドゥルガ寺などがある。
   ハンピ村はヴィルパクシャ寺院を中心に形成されている。寺院の入り口から約1qに渡って直線の大通りが延びている。ハンピ村は巡礼者の宿場町として機能しており、簡易旅館や茶屋が並んでいる。寺院から遠ざかるほど、店が少なくなり、大通りのはずれの方は廃墟になっている。
   この地方の大地は溶岩で形成され、何万年もの間太陽の熱による収縮を繰り返し、少しずつ岩が裂けていった。あたかも何者かが巨大な石を意図的に積み上げたような地形になっている。寺院の建築材料もこれらの石が使われている。建設当時巨大な石を切るには次のような方法が採られた。まず、切断する線にそって深さ5cmほどの穴をいくつも石に掘る(写真70)。その穴にのみを入れてつちでたたいていくときれいに岩が割れる。または、石の穴に木を入れて水をかけ、木の膨張圧力で岩を切る方法も採られた。

ヴィッタラ寺院
   トゥンガバドラ川のほとりにある寺院で、15世紀に建てられた。張り出した前殿の56本の柱にはヤーリ(獅子と象が合体した神話上の生き物)の立像が彫刻されている(写真72)。舞楽殿、前殿、本殿そして境内の付属寺院が完備されており、ヴィジャヤナガル様式後期の建築である。
   ヴィッタラ寺院はヴィシュヌ神に捧げられたもので、寺院の正面には石の車輪がついた山車(ラタ)がある。このラタの中にはヴィシュヌの乗り物である想像上の鳥、ガルーダの像が置かれている。

困難な発掘と修復
   ヴィジャヤナガル王国は1565年、タリコタの戦いでイスラム勢力に敗れ、ハンピの町は徹底的に破壊された。そのため建築については判断材料が乏しく、いまだに不明な点も多い。広大な土地のため、発掘は全体の5%しか済んでいないという。ヴィジャヤナガル王家の人々は東の方向、現在のアンドラ・プラデシュ州方面へ落ちのび、18世紀になってハンピの対岸の村アネグンディに戻ってきた。王の子孫であるデーヴァラヤ家の人々が今でも住んでいる。
   ハンピのヴィルパクシャ寺院には現在でもインド中から巡礼者が訪れている。ハンピの土の下には発掘すべき建物や遺品が多数残されているが、現在は農地になっている部分も多い。政府は農地としての使用を認めているが、深く耕さないという条件が付けられている。

参考文献:
重松伸司『マドラス物語』中央公論社、1993年。
Devakunjari, D., Hampi, Archaeological Survey of India, New Delhi, 1992.
Sewell, Robert, A Forgotten Empire (Vijaya Nagar): A Contribution to the History of India, Asian Education Services, New Delhi, 1995.

貯水槽 石
写真69 貯水槽。他の建築材と異なる黒い石を使用している点や独特なデザインから王の宗教儀礼に使用していたと考えられている。
写真70 切りかけで放棄された石。
ゴプラム ヤーリ
写真71 ヴィルパクシャ寺院のゴプラム。ゴプラムは寺院の門であるが、南インドの寺院ではゴプラムが寺院本殿よりも高く作られる。
写真72 ヴィッタラ寺院の柱に彫られたヤーリ神。ライオンとゾウが合体した想像上の動物。


チトラグニマハル
写真73 チトラグニ(ロータス)マハル。柱と柱の間はアーチ状になっている。アーチの形はイスラム建築によく見られる尖状アーチにさらにひだを加え、輪郭線を3重にしてある。さらにこの形が柱から柱へと幾重にも重なる。

インド編目次に戻る


地球・人間環境フォーラム