カジュラホの建造物

(文化遺産、1986年指定)
Khajuraho Group of Monuments

チャンデラ王国の都カジュラホ
  カジュラホは現在は小さな村にすぎないが、10世紀にはチャンデラ王国の首都であり、80以上の寺院が立ち並ぶ一大宗教都市だった。現在は20の寺院が残る。大部分はヒンドゥー寺院だが、ジャイナ教寺院も3つある。寺院の大部分は最盛期の10世紀頃に建設された。
  「カジュラホ」の名はカジュラプラに由来していると言われ、金色のナツメヤシのある村という意味が含まれているという。伝説によるとヘマヴァティという若い美しい姫がいた。彼女の美しさに惹かれた月の神チャンドラは、端正な若者の姿に変身し、ヘマヴァティが月夜に水浴びをしているところに現れた。姫はチャンドラに恋をして結婚した。彼らの子は非常に勇敢で素手でライオンを倒し、チャンデラ王国の創始者となった。紋章にはライオンと組み合っている王子が描かれている。
  寺院は地面よりも一段高い基壇(1)の上に作られており、入り口から玄関、ホール、聖室で構成されている。スタイルは北方型と呼ばれるもので、聖室のある本殿(ヴィマーナ)が砲弾のような塔の形をしている。屋根は入り口から奥に向かって次第に高くなり、まるで山々が連なるように見える。大小同じ装飾の反復によって、複雑な外面を作っている。いくつもの小さな塔がタケノコのように本殿の塔(シカラ)を覆っている。
  寺院壁面の彫刻は5つのタイプに分けられる。(1)幾何学的植物装飾。(2)宮廷の生活を描いた彫刻。(3)神話の動物または実在の動物。(4)神々の像。(5)愛し合う男女の像と女性の像。様々な彫刻が無数に施されている。人物像は表現に無理がなく美しい。なかでも男女の結合を描いたミトゥナ像が注目を集める。現代のインドは性描写に関して非常に保守的だが、ここにはアクロバティックなセックスのポーズもある。
  なぜ、カジュラホでミトゥナ像が作られたのかはっきりしていないが、幾つかの解釈がなされている。性の結合に生命のエネルギーを求めた密教やタントリズム(2)が当時浸透していたからという説や、神との出会いを女性の肉体美を持って表現したという説、シヴァとパールヴァティ(3)の結婚を表現したという説などがある。

注(1)基壇:建築用語で、建物本体の下にある台。英語ではplatformと呼ぶ。

注(2)タントリズム:6〜8世紀に成立した宗教概念。タントリズムを取り入れた宗教セクトでは、現世での解脱のために集団性交などの性的儀礼や死体の儀礼など他の宗教ではタブーとされるような行為を行った。「不浄」な要素を身体に取り入れ、自己の絶対自由を獲得するという思想を持っていた。

注(3)パールヴァティ:シヴァ神の妻。もともとはシヴァと関係の深いヒマラヤの女神であったと考えられている。

主要な寺院
  西の寺院群には最も重要な寺院が幾つか残っている。

カンダリヤ・マハデーヴァ寺院(写真17)
  カジュラホ寺院群の中で最も完成度の高い建築物とされている。外面は縦・横に複雑に彫られた溝や外壁を埋め尽くす人物彫刻(写真16)、さらに塔の形が大小反復しており、複雑であるが全体では均整がとれている。後ろの本殿部分に行くほど高くなっていく。ヒンドゥー教の聖地ヒマラヤの峰の連なりを連想させる。基壇は3mの高さで、最も高い塔部分(シカラ)は30.5mになる。「カンダリヤ」は「山(ヒマラヤのカイラーサナータ山)の洞窟に住むシヴァ」を意味する。
  寺院内部にはシヴァリンガが祀られている。

ラクシュマナ寺院
  最も古い寺院の一つでヤショヴァルマン(別名ラクシャヴァルマン)王(925年〜950年)に捧げられた。基壇側面には人々の日常生活や兵士達の姿が彫刻されている。

ヴァラハ寺院
  ラクシュマナ寺院に向いている小さな寺院で、屋根はピラミッド型である。

マタンゲシュヴァラ寺院
  ラクシュマナ寺院の隣にある。高い基壇の上にあり、屋根には赤と白の三角旗シヴァの旗が掲げられている。いまだ信仰の対象であり、村人が毎日参拝している。

ヴィシュヴァナタ寺院
  ナンディ寺院と一緒に高い基壇の上に乗っており、その造りはカンダリヤ・マハデーヴァ寺院やラクシュマナ寺院に似ている。本殿から前殿への外壁の彫刻は人物像のプロポーションだけでなく、細部まで細かく彫り込まれ、カジュラホの中でも傑作に入る。当初は聖室(Sanctum Sanctorium)にエメラルド製のリンガが置かれていたという伝説がある。

ナンディ寺院
  ヴィシュヴァナタ寺院の前にあり、ピラミッド型の屋根の小さな寺院である。名前の通りナンディ牛像が座っている。

デヴィ・ジャガダムビ寺院
  カンダリヤ・マハデーヴァ寺院と同じ基壇の上にあり、この寺院の横にはチャンデラ王国の紋章である後足立ちのライオンと戦士の像がある。

  東の寺院群はジャイナ教寺院が中心になる。
  ジャイナ教は紀元前6世紀にマハーヴィーラによって始められた宗教で、カジュラホが栄えた10世紀から11世紀でも商人を中心に信仰が盛んだった。ヒンドゥー教を信奉していたチャンデラ王国もジャイナ教徒を庇護した。

パルシュヴァナタ寺院
  カジュラホを代表するジャイナ教寺院である。内部にはティルタンカラ(ジャイナの24の始祖たち)の像がある。外壁は他のヒンドゥー寺院と同様に人物彫刻で埋め尽くされている。その他アディナータ寺院、ドゥラデオ寺院などのジャイナ教寺院がある。

保全作業
  黄砂岩(4)でできているカジュラホの寺院は放置しておくと、苔や微生物などで壁面が黒ずんでくる。インド考古調査局(ASI)はアンモニアを薄く溶いた水で、表面を清掃する作業を数年に一度行う。
注(4)砂岩:堆積した砂が数千万年の間、圧力によって固まり、石になったもの。建築材としては柔らかく、加工しやすいが、侵食に弱いという欠点がある。また、繊細な彫刻に使用するには不向きである。インドでは良質の砂岩が産出される。成分による色の違いから黄砂岩、赤砂岩など区別して呼ばれる。

  西の寺院群の近くに小さなカジュラホ博物館があり、これらの寺院に置かれていた彫刻や発掘された彫刻が展示されている。
  小さな村ながら、一大観光地であるため飛行場が整備され、デリーやアグラから定期便がある。陸路は交通の便が悪く、150km離れたジャンシー駅からバスで6時間かかる。

略年表
10世紀 チャンデラ朝が現在のマディヤ・プラデシュ州北部に興る。
11世紀前半 王朝の最盛期、カジュラホの主要な寺院群が建設される。
カラチュリ朝の攻撃を受ける。
13世紀初頭 デリー・サルタナット王朝の攻撃を受け、滅びる。

参考文献:
Cassidy, Anghony; Shah, Pankaj; Sinclair, Toby (Photo); Punja, Shobita (text), Khajuraho, The Guidebook Companpy Limited, Hong Kong, 1992.
Deva, Krishna, Khajuraho,Archaeological Survey of India, New Delhi, 1987.

彫刻
写真15 化粧をする女性像(10世紀頃、カジュラホ付近出土、カルカッタ国立博物館所蔵)。
  この作品はカジュラホの寺院群の壁に見られる彫刻に酷似している。現代インドの女性は額に赤い印(ビンディー)、髪の分け目にはシンドゥールという赤い顔料を塗る。この石像の女性も手鏡を見ながらシンドゥールを塗っている。女性の化粧方法は10世紀から余り変化していないことが分かる。
  彫刻は曲線を多用し、丸みを作ることによって女性の肉体美を表現している。体は軽く右に曲げており、落ち着いていて柔らかな雰囲気が感じられる。

Shiva
写真16 カンダリヤ・マハデヴァ寺院の人物彫刻。
中央の男性像はシヴァ神、横の二人の女性は女神たちである。


カンダリヤ・マハデヴァ
写真17 カンダリヤ・マハデヴァ寺院。大小さまざまな大きさの塔が屋根を作り、奧の本殿部分に行くほど高くなっていく。ヒンドゥー教の聖地ヒマラヤの峰の連なりを連想させる。寺院内部にはシヴァリンガが祀られており、寺院はあたかもシヴァのすみかヒマラヤのカイラーサナータ山であるかのように思えてくる。
     

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