国際協力銀行の環境ガイドライン統合に係る研究会 第2

議事録

 

日時:20001023日(月)午後5時〜7

場所:国際協力銀行

出席者:

メンバー(敬称略、アイウエオ順)

 一方井 誠治/環境庁地球環境部企画課長

 入柿 秀俊/国際協力銀行開発業務部企画課長

 大村 卓/環境庁地球環境部環境協力室室長補佐

 加藤 隆宏/大蔵省国際局管理係兼環境調整係長

 木原 隆司/大蔵省国際局開発企画官

 小林 香/大蔵省国際局開発政策課課長補佐

 清野 達男/環境庁地球環境部環境協力室技術協力第1係長

 林 幸宏/経済企画庁調整局経済協力第1課課長補佐

 原科 幸彦/東京工業大学大学院・総合理工学研究科教授

 前田 匡史/国際協力銀行金融業務部企画課長

 松本 郁子/地球の友ジャパン

 松本 悟/メコン・ウォッチ

 森 尚樹/国際協力銀行環境社会開発室第2班課長

 柳 憲一郎/明海大学不動産学部教授

当日参加者:(敬称略、アイウエオ順)

 洲濱 隆/国際協力銀行環境社会開発室

 中舘 克彦/国際協力銀行開発業務部企画課調査役

 三好 裕子/国際協力銀行金融業務部企画課調査役

議事録作成:

 坂本 有希、大河内 淑恵/(財)地球・人間環境フォーラム

 

<設置要領について>

前田:1回研究会の議論を踏まえ、設置要領をセットした(「国際協力銀行の環境ガイドライン統合に係る研究会設置要領」参照)。

 

<情報公開について>

大村:情報公開のためのホームページ(HP)についてだが、業者と契約をすると始動に1ヵ月くらいかかってしまう。なるべく早くということであれば、その間つなぎでどこかに置かせてもらい、とりあえず運用を始めた方がいいかもしれない。メールで流したHP運用要領については皆さんからは反対はなかったように思う。

前田:アドレスの問い合わせがすでに来ている。当方のHPとリンクさせることも考えているが、まだHP担当者と話をしていない。話をしてもし問題なければ進めたい。

大村:なるべく早急に立ち上げる方向で、暫定的に、例えば大学などどこかに置くということも考えたい。

 

<環境ガイドラインの基本的コンセプトについて>

前田:<資料「JBICの現行環境ガイドラインの基本的コンセプト」に基づき説明>

 特に質問等がなければ、これを議論のスタートラインとして確認いただきたい。

原科:目標は、国際金融等業務と海外経済協力業務を一つの同じ表現にすること。今ほぼ同じなのは「適用する環境基準」のところだけ。

三好:実際の文言はまったく同じではないが、意味合いが同じなのでこのように書いた。

原科:作業としては、とりあえず両方合わせた表現を作ってみるか?

前田:単純に足すということもできるが、実務との乖離があるかないか、それから地球の友から出ている「何のためにやるのか」という根本的な話も、議論したい。これはあくまでも現状をまとめた報告なので、これをベースに議論を深めていただければと思う。

松本(郁):<資料「国際協力銀行(JBIC)の社会・環境ガイドラインの目的・原則に関する意見書(ガイドラインは何のためにあるのか)」に基づき説明>

前田:そもそも論については初回で議論をするのは重いだろう。むしろ、今後議論を深めていく中で常にリファーしていく話ではないかと思う。松本さんの説明に関し質問などあればどうぞ。

森:セーフガードの話だが、世銀(世界銀行)やOPIC(米国海外民間投資公社)などとJBICではそもそもガイドラインを定める視点が違っている。世銀等は自分達のやり方を決めて、これに従わなければ駄目だと言っているのに対しJBICのガイドラインは、その国の制度・やり方をベースにしてそこからはずれる部分については指導するという形をとっている。前者は自分自身が事業主の立場で定めるガイドライン、後者は事業主のやり方を確認する立場で定めるものと、基本的な性格の違いが大きい。まず、その辺のポジションをどうするのか、ある程度決めないと議論がぶれるのではないか。

柳:確かに世銀のやり方というのは自主配慮型で、日本の場合は他者配慮型。日本の場合、長期のタームでみれば、被援助国から援助国になってまだ30数年と日が浅いのに、ODAでは大国になってしまったという背景もある。これからは、自主的な配慮型に転換していくのかなという気がする。環境基本計画での見直しでも、ODA/OOFについて環境配慮が出ている。平成5年の環境基本法の条文中に、エージェンシー側での環境配慮を進めるというのがある。根拠となる条文を日本は持っている。

大村:環境基本法は、開発援助のみならずその他の公的支援も、そして民間事業者が海外で事業展開する際にも環境配慮をすべきことを定めている。ただし、民間事業者の場合、政府のできることは情報提供等に限られている。環境基本法に基づいて作られている環境基本計画も、ODA/OOFを含むような形で理念が活かされている。国際協力銀行法にも目的として「国際経済社会の健全な発展に」とあるが、やや漠然とした書き方。具体的に「環境被害が及ばない」といった言葉で明確に書いているものとしては、政府開発援助大綱、ODAに関する中期政策に環境に関して厳しく審査する、問題があったら支援しない等がある。国際協力銀行の中のODA業務については、さらに海外協力業務実施方針がありそこに定められている。OOFについては、基本法と銀行法、ガイドラインの間に開きがあり、わかりにくい。環境・社会面でどういうところに注意するかの原則論においてはOOFODAも変わらないはずだが、見えづらくなっている。環境以外の人権などを入れるかどうかは、私もよくわからない。先ほどの「相手国の基準・考え方に沿うのか、自分の考え方に照らし合わせるのか」という議論は、大事だと思う。援助機関がプロジェクトの1から10までみることはできないと思う。現場にいる人々・システムで何が起こっているかをきちんと捉え、修正すべきところは修正するというように、実施主体者が責任をもってやるべき。この人達にいかにきちんとやっていただくかが重要。実施者がまず責任をもってやって、足りないところは支援していくという日本流のやり方は、いいのではないかと思う。

小林:松本さんの提案の中で、「女性の平等な参加を含む社会公正に十分注意を払う」とあるが、具体的にはどういうことか。プロジェクトへの融資が女性の平等な参加を阻害してはいけないという意味なのか、それともプロジェクトが女性の平等な参加を促進するものでなければならないという意味なのか。

松本(郁):ガイドラインの中でも社会配慮の部分で女性の参加が確保されているかということを項目の一つに入れていた記憶がある。開発において特に女性の権利・社会参加の機会が欠けがちな例(地域の代表者だけが参加するなど)が多い。女性の参加に注意することで参加の質を向上させることができる。

小林:パブリックコンサルテーションなどの手続きへの参加ということか。

松本:あるいは、ODA業務の場合は事業プログラムそのものという場合もある。

入柿:社会配慮について、ODA業務では社会配慮ハンドブック(非公開と書いてあるが英語版は公表している)の中にポジションや政策について書いている。環境ガイドラインにまでこれらを入れていくのは、議論が広がり過ぎないか。それから、借入国の責任について、世銀でもEIA(環境影響評価書)作成責任は借入国であると明記し、世銀はそれを審査するとしているので、JBICとそれほど違わないのではないか。

 「新ガイドラインへの提言」の1.について、「人々や環境に被害を与えないよう」という書き方はネガティブな感じがする。むしろ「持続可能な発展を支援するため」というふうにポジティブに捉え、セーフガードではなく「開発に貢献できるような形での環境配慮」というような、積極的なトーンにすべきではないか。

原科:JBICの設立法にある「わが国及び国際経済社会の健全な発展に資する」という言葉の中身は幅広い。ネガティブインパクトを与えないという意味も入ってくると思える。「ネガティブな影響を与えないだけでなく、加えて持続可能な開発のため」という書き方もありえる。従来の環境政策は「日本国民の福祉の向上に資すること」が目的だったのが、環境基本法では「人類の福祉のため」という書き方。物理的な環境だけでなく社会的な環境も含むよう、幅広く捉える必要がある。環境基本法が立派な理念を掲げている以上、それに呼応する形でJBICでも導入部分では高い目標を定めていいのでは。ただ、具体的な手続きはケースバイケース。

松本(悟):「世銀のように自分のスタンダードで相手に干渉するやり方」なのか「日本のように相手を尊重するやり方」なのかという切り口だけにしてしまうと、方向性を固定してしまう気がする。一歩引いた中立的なやり方もあるはず。世銀のやり方が、必ずしも自分のやり方に相手を引き摺りこもうというものではない。基本的に相手国を尊重しつつ、一方の原則として「被害を与えない」という方針も可能。「被害を与えないようにしてもらうこと=相手国を干渉すること」とは同一ではない。

 世銀などにはガイドラインもポリシーもたくさんある。社会配慮のガイドブックやインボランタリー・リセトルメント、情報公開等のプロセスを具体化するガイドラインがある。本来はポリシーで政策部分を、ガイドブックで具体的な部分をというふうに、住み分けができれいればいいが、現状ではできていない。とりあえずガイドラインには手続きだけではなく、基本理念も含む方がいいと思う。

柳:「環境に対して被害を与えることのないよう」という目的は、ネガティブだと私も思う。持続可能性の概念の底辺には、当然資源を損なうような行為はしないというのがあるだろうが、持続可能性を実現するようなプロジェクトに融資をするというのが、世界各国の基本的スタンスではないか。ここで従来の公害防止目的のようにセーフガードを打ち出すのはどうかと思う。あまりに守りに徹したやり方にならないだろうか。

前田:高邁な理想だけがあり、それを実際どのように確保するかがはっきりしていないと意味のないことかもしれないが、あまりにも腰の引けたような姿勢だといかにも責任逃れしているような気もする。第一義的には実施主体に責任があることははっきりしているが、そこをあまり強調しすぎると援助機関の責任逃れに聞こえ、時代遅れ。どういうふうに理念を上手く手続きやポリシーに落とし込んでいくか。その作業が重要だろう。

 世銀とIFC(国際金融公社)の違いがJBICの国際金融等業務と海外経済協力業務の違いにぴったり当てはまるとは言えないが、参考になることは間違いない。ステップがはっきりしていて、どの部分が誰の責任で行われるかが対外的にも明確にされている点も参考になる。手続き部分は、理念のいかんにかかわらず対外的にアカウンタブルにすることには誰も反対しないだろう。

 米国の干渉主義をそのまま取り入れることはできないが、手続きのプロセスをきちんと書くということ、それから理念の部分にファイナンサーの責任をきちんと書き込むことはやるべき。

大村:銀行の国際金融等業務の中で、基本的考え方として、必ずしもセーフガードにとどまらない部分がある。世銀がセーフガードという言葉を使い出して、昔より一歩引いたという印象が強かったが、民間資金の途上国へのさかんな流れを考えたとき、持続可能な発展に対して民間資金の支援をしている機関がもっと積極的な役割を果たしてもいいのではないかとIFC等も言っている。どこまでポリシーとして書き込めるのかは難しいところだが、可能ならば積極的に書き込んでみてはどうか。

原科:セーフガードを明記することが積極的でないという見方もできるが、逆に最近では「公害問題は終わった」式の議論になりがち。セーフガードは当然で、それだけにとどまらずに「持続可能な発展」へ向かっていく、この組み合わせにすればよい。「持続可能な発展」だけでは内容があいまいであり、最低限これだけは守るという意味でセーフガードは必要。

柳:ネガティブチェックばかりが従前の日本のアセス。基準を定め、それに合うか合わないかばかりやっていた。転換はこれからで実績もわずかしかないが、ネガティブチェックから創造的な方向にいかなければならない。教育のやり方でもそうだが、ここが悪いあそこが悪いという教育の仕方は、型のはまったものはできるが、一歩超えて発想することができない人間になってしまう。よいところをどんどん誉めて本人の持っている能力を高めるといったやり方は、日本は下手だ。援助・融資についてもこういったものが求められている。基準を作ってその通りやっているかだけをチェックするのではなく、それに代わるものを発想すべき。「最低限環境に対して被害を与えない」というのは、○か×かの基準に思えて仕方ない。理念的なことばかりで現実的ではないと言われるかもしれないが、第三国にとって「持続可能性とは何か」を真摯に考えた上で、それに対して支援ができるという方向にいくべきではないか。

原科:確かにネガティブチェックばかりだったのは事実。しかし、アセスの領域が狭かった。今は社会配慮まで含めている点で従来とは違う。セーフガードに関しても、単に物理的環境だけでなく社会環境まで視野に入ってくる。もちろん、プラス「持続可能な発展」という理念が必要。

前田:実際のプロジェクトを見ていると、次の二つの点で明確なガイドラインの存在が重要である。

 もちろん環境配慮についてはプロジェクトの実施主体が第一義的な責任を持つが、ファイナンサーがどこまで立ち入るかというのは、自らが判断をするわけで、最低限どこまで環境配慮がなされなければならないかを示しておくことは、ファイナンサーにとってもプロジェクトへの参画を決める上でセーフガードになる。この点は非常に重要。

 また、外見的にはEIAもあり不備のないようでも、サンプリングが不適切だったり、潜在的な被害者達を公聴会に呼んでいなかったりといった状況が今まであったように思われる。もちろん、これらは援助国の責任の範疇だが、JBICのガイドラインでは裁量の幅が広すぎて、現場の判断に任せすぎている。融資する現場の人間からは逆に使いにくいものになり、アカウンタビリティの確保もできない。ケースバイケースと言えば聞こえはいいが、何がケースバイケースかわからない。何が最低限の要件、例えば、適応する環境基準が現地のものとどこまで違った場合別のものを適用するか等、はっきりしない。実務的に難しいかもしれないが、ある程度きちんとしてないと現場での適用時に使いにくい。いつまで経っても、誰に責任があるのかわからないプロジェクトがずるずる続き、皆資金を出してしまっていて今さら引けない、という具合にどんどん深みにはまっていく。こんなケースは最も避けるべき。「これを超えると融資しませんよ」というのをはっきり明言しておくのが重要。

松本(郁):ネガティブな目標だけでなく前向きな目標はもちろんあった方がよい。が、最低限あってはならないこと、JBICとしては融資できないという最低ラインをはっきり示す必要がある。大切なのは、途上国で国内法が守られているかどうかを確認すること、また、JBIC自身が1から10まで確認することは無理でも、例えば公聴会が開かれているか、EIAが公開されているか等、いくつかのポイントを決めて、それらが守られているかを最低限確認すること。

 旧OECFの社会配慮ガイドブックが作成されているが、あれをすべてガイドラインにするのではなく、「このケースではこの辺をきちんとチェックして下さいよ」というような、マニュアル・グッドプラクティスとして明らかにしている。すべてガイドラインにしなくても、このような方法でいいのではないかと思う。

柳:例えて言えば、排出基準と環境基準の違い。人間の健康に重大な被害を及ぼすものには順守しないと罰則規定があり強制的な排出基準、行政上の目標値としては、達成できなくても罰則規定のない環境基準。要件裁量の部分は排出基準的なもので、自由裁量の部分というのは環境基準的なものと捉えることができる。最低ラインとしては、人の健康や環境への「著しい」被害というのがベースにある。

大村:借り手にどこまで何をやってほしいかを示すことが重要という前田さんの意見には同感。旧OECDガイドラインには、審査で行うもってやることと相手国側で行うべきことの両方を示すことが明記されている。それから、法律を順守するという言葉、当たり前のことだが書いた方がよい。ミニマムな要求事項をはっきりさせることが重要。また、その情報を肝心な人々に十分提供したかどうかの確認も大切で、これについてはグッドプラクティスという形で補うことができる気がする。例えば世銀の新ガイドラインでは、アセスのTOR作成とEIA準備書作成段階での計2回の公開協議が確保されている。これは世界の経験・流れから生まれてきた方式で、積極的に取り入れていくべき。

入柿:そもそもなぜ環境配慮が必要かというと、やはり持続可能な発展を実現するためだと思うので、「最低限の目標」も持続可能な発展を妨げないということにしてよいのではないか。

原科:アカウンタビリティの問題。説明を丁寧にすることが肝要。持続可能な発展は人によって解釈・概念の捉え方があいまいなので、明記する必要がある。

大村:「持続可能な発展」の言葉で尽きているのではないかという意見もあるが、もう少しブレイクダウンして様々な考え方を示す方が望ましいということであって、どちらかを選ぶという問題ではない。新しい環境影響評価法で採用された概念としては、例えば「負荷の低減」(環境への負荷は人間の行為と避け難く結びついているが、それはできる限り少なくした方がいいという考え方)。それから対策を考える場合も、まず影響を回避する、無理だったら最小化する、それも無理だったら補償するというような、段階を示している。

 

<論点・全体スケジュールについて>

松本(郁):論点について前回話が出たので、NGOで議論したい論点をまとめた(<JBIC新ガイドラインに盛り込まれるべき事項〜他機関比較とケーススタディから>参照)。3月末を目標に最終的なまとめを行うつもりなら、論点ごとにおおまかなスケジュールを決めた方がよいのではないか。

前田:特に重点的に議論した方がよいものと、時間があれば議論した方がよいものと、濃淡をつけるとどうなるか。

松本(郁):皆さんご意見があると思うが、アセスメントそのものについて一度専門家から話を聞くべきかと思う。環境レビュー、住民参加、情報公開、実施責任などが重要。その他の課題という部分は、ガイドラインに含まれていなくても、例えば3年後の改定を視野に入れて、それまでに議論するということでいいのではないか。

前田:大きく分けるとポリシー、骨子のステイトメント、手続き、環境アセス、レビュー、このくらいに分かれると思う。核として時間を割くことになるのは、環境アセス・レビューではないか。スケジュール案としてたたき台を作ってみる。

松本(郁):情報公開のところで議論があれば、それも一つの課題では。

原科:今から5ヵ月弱で10回の会合だから、ある程度の見当をつけておく必要がある。

前田:ECG議論での最大の論点になっているのは、数値目標を採用してある程度客観的なものを出せばよいのか、個別案件の特性に最大限に配慮したベンチマーキングという手法を用いるかという点。ベンチマーキングは聞こえはいいが、基準として使う場合、何が要件かわからないという状況になる。この議論は、我々がガイドラインを作る際、特に輸出信用については参考にせざるを得ない。

大村:世銀/IFCが「Pollution Prevention and Abatement Handbook 1998」(汚染防止・削減ハンドブック)を「国際的に合意された基準だ」と主張しているが、私は疑問を感じていて、現在環境庁でも詳しく調査中。技術者に実際みてもらい日本の基準・プラクティスとどう違うのか検証している。年明けぐらいには皆さんにお出しできるかと思う。それを踏まえ数値的な話をどうするか議論できるのではないか。社会環境についてのそういったものは、議論になっているのか。

前田:そこまで行っていないはず。

大村:どちらかというと、工学的な対策がとりやすいようなところについて数値基準を設けるのか、アメリカのようにデザインガイドラインとして済ませるのか、一つ一つ詳しく見るのか。

前田:一件一件見ていくことができるのであれば望ましいことだが、できるはずのない人々がいきなりそういう議論をするのはどうかと思う。専門家が一人もいない機関や全員で数十名しかいない機関など、たくさんある。

松本:排出基準がアセスメントの手続きの中でどこまで重要な要素となるかよくわからないのだが、その辺のことを具体的に説明していただけると助かる。

森:工場地帯にある住宅地について、住宅地域の基準を適用するのか、工場地域のものを適用するのか、IFCと意見が分かれたことがあった。現地政府は、対象地域は現法上あくまでも「工業地域」と分類していたが、IFCは近くに工場地域より厳しい基準を使った。排出基準をプロジェクト地域の特性も勘案して検討していく必要がある。

前田:そもそも基準がない場合、ベンチマーキングを一件一件やっていければいいのだが、ほとんど適用されない。最低限の排出基準値をもっている米国などは、独自の基準を当てはめている。プロジェクトのロケーションも考えずに一律に適応するのは画一的でよくない等の議論もある。どれくらいの人的資源と時間を投入すればよいかという点もよくわからない。参照されているのは、世銀やOPICの基準だが、それが果たして適用可能かどうか。

大村:適用可能性と同時に、ベンチマーキングの際問題になるのは、その適応が裁量に任される恐れがある点。ECAでは競争禁止の問題が逆に出てくる。恣意性を極力排除した形にする方法が重要。

原科:こういうことを議論するのは、まさに先程から話しているセーフガードという考え方が重要。現地の人々や環境に対して被害を与えないという基準が最低限のものとして必要。その上を行くのであれば、これに留まらない。結局絶対基準でチェックするだけでなく、相対基準(評価)が必要で、代替案の比較検討という考え方が出てくる。持続可能な開発を考えるのであれば、基準はクリアして当然、プラスどうしたらよりよい方向に行けるかという議論が必要。個人的には代替案の議論は必須になると思う。

松本(悟):結果として論点を絞っても網羅的なものになっている。松本()さんの表ではNGO側の視点が強く反映されているが、ここに含まれていない議論の視点・論点があるはず。これをたたき台にしつつも、皆さんからここに含まれない見方・ポイントを集めた上で、前田さんにスケジュールをまとめてもらってはどうか。

 

<配布資料に関して>

入柿:表(「JBIC新ガイドラインに盛り込まれるべき事項−他機関比較とケーススタディから」)にある、“TEL”とは何か。

松本(郁):インドネシアのパルプ工場のことです。JICAがその前に植林を行ったプロジェクトのこと。具体的にこれまでOECFや輸銀の方でやられてきたプロジェクトに関しどういう問題があったのか、どんなガイドラインがあれば未然防げたか・対処できたかということを書いている。今そのケーススタディを進めている途中で来月末あたりにはまとまる予定。研究会でも具体的事例としてどこかで紹介したい。

 

<環境基準について>

柳:適応する環境基準に対する考え方として、よく橋本道夫氏がおっしゃっていたことだが、日本の排出基準がベストで途上国の基準は相対的に低いと想定して、日本の基準だけで考えるのは、特に援助については危険であろう。生態学的にみてどちらの国が環境配慮をよくやっているのかというのは、自然生態系や気候の違いもあるし、日本には途上国と同じような環境状況というのはなかなかないから一概には判断できない。従来の公害規制の考え方だけを押し付けるのは危険だということを意識しておく必要がある。国際基準や日本の基準とプロジェクト所在国の基準が乖離していると言っても、実態をよく踏まえて判断すべき。先進国の基準以外を比較対照する方法もあるべきではないか。難しい問題ではあると思うが。実務の方々の経験を聞いてみたい。

森:自然状況等は国によって多様なので、案件ごとに議論をするのが最も効果的と思われる。柔軟性とアカウンタビリティのトレードオフの問題があるが、相手側との話し合いを通じて互いに歩み寄っていくというのが現実的アプローチかと思う。プロジェクト地域の特性や先方のミティゲーション実施能力等もあり、「この基準でないと駄目」というのは、我々も強制できない部分もあり、ベストにに近づけるためにどうするかというダイアログが経験的には重要だと考えている。

柳:そうなると、相手国との協議の段階で、地元の人々・NGOをそこに加われる、情報を公開していく等の点を手続きの上で明確にして、どういう基準を採用すべきがわからない場合には、そういうシステムを作っておくことで、ある程度整理はできるかと思う。

原科:環境汚染物質(例えば水質汚濁や大気汚染)は、ある程度物理化学的に把握できるから、ユニバーサルなものだと思うので、地域の環境状況によると言っても気象条件等を勘案すればわかること。基準自体はそれほど違わないはず。ただ、大切なのは環境基準が設定されているのは限られた項目。地域の問題はもっと他にあるかもしれない。まさにTOR、スコーピング段階で何を評価して何を特にチェックすべきかという点が重要。その相対判断の結果、特定の基準に固執するとおかしなことになるかもしれないが、個々の基準の物理化学的な側面については、私はユニバーサルに考えていいのではないかと思う。

柳:日本でやっているのは、典型7公害だけ。生物多様性等に関しては不十分で、対応できておない。だから、先程のような協議のしくみを考えておく必要がある。

原科:絶対基準が設定しにくいなら相対基準、相対比較になれば代替案が必要になる。日本のアセス法でも代替案がキーワードになっている。

大村:スクリーニングは、本当にベンチマーキングしなければならないものと、ある程度外形的審査で済むものを区別するという大きな役割を持っている。カテゴリB案件であれば排出基準さえクリアしていれば大丈夫(デザインガイドライン)、A案件になると、例えば工業密集地だから排出基準だけ守っていればいいかのかどうかよくわからないとなると、ベンチマーキングが行われることになる。そこで裁量ではなく、アカウンタブルに進めるための制度が環境アセスメント。調査を行う、そのためのTOR(実施要領)を公開する、結果を公開する、協議を行う等、恣意性を排した形でやるというしくみである。ベンチマーキングがよいのか、デザインガイドラインがよいのかの議論は、スクリーニングの話とセットにしないと十分できないのではないか。それを上手く解決できるものとしてスクリーニングが考えられていると私は理解している。

前田:大村さんが最後におっしゃった点は示唆に富んでいる。なお、先ほど申し上げたが、今後どういうタイミングで何を話し合うかについては、次回提示したい。

 

次回は1110日(金)午後4時半〜