国際協力銀行の環境ガイドライン統合に係る研究会 第9回

議事録

 

日時:2001年2月27日(火)午後5時〜7

場所:国際協力銀行7階 中会議室

出席者:

メンバー(敬称略、アイウエオ順):

 伊藤 美月/外務省経済協力局有償資金協力課

 入柿 秀俊/国際協力銀行開発業務部企画課長

 大村 卓/環境省地球環境局環境協力室室長補佐

 加藤 隆宏/財務省国際局開発政策課係長

 川崎 研一/外務省経済協力局有償資金協力課企画官

 木原 隆司/財務省国際局開発企画官

 小林 香/財務省国際局開発政策課課長補佐

 佐藤 寛/アジア経済研究所経済協力研究部主任研究員

 寺田 達志/環境省地球環境局総務課長

 本郷 尚/国際協力銀行環境社会開発室第1班課長

 前田 匡史/国際協力銀行金融業務部企画課長

 松本 郁子/地球の友ジャパン

 松本 悟/メコン・ウォッチ

 本山 央子/地球の友ジャパン

当日参加者(敬称略、アイウエオ順):

 上村 英明/市民外交センター

 中舘 克彦/国際協力銀行開発業務部企画課調査役

 三好 裕子/国際協力銀行金融業務部企画課調査役

 山村 繁/国際協力銀行環境社会開発室社会開発班

議事録作成:

 坂本 有希、畠中 エルザ/(財)地球・人間環境フォーラム

 

<環境と社会開発について>

前田:最初は佐藤さんからのプレゼンです。

佐藤:<「環境と社会開発」に沿って説明>

本山:社会配慮に関するペーパーを用意した(「社会配慮に関して」)。そこでは、ステークホルダーの中でも声を聞かれる必要性のある人への配慮に絞って検討している。私たちが参考にしたのは旧OECFの『Handbook on Social Dimensions ODA Loans』であり、ハンドブックに書いてあることをガイドラインに活用しながら、もう少し踏み込んだステートメントをしたらどうかというのが基本的な提案である。

 どういう人に情報を届け、声を聞き、そのニーズが反映されることが必要かということから考えると、2ページの「社会配慮に関する審査」で提案しているように、政府のプロジェクトの直接的・間接的受益者と被害者の分析を必ず行うこと、影響を受ける人々の懸念やニーズを把握して計画に反映すること、貧困層、特に女性に与える影響を分析すること、あるいはジェンダー、先住民族に関して、特にガイドラインの中で厚く書き込むことが適当ではないか。

 我々が過去の例を見ると、物理的な影響範囲が見誤られていてステークホルダーが見落とされることがあるので、ここももう少し工夫することを付け加えたい。

前田:プレゼンテーションに関する議論の前に、現行のガイドラインの構成を確認する。国際金融等業務では、社会環境は「環境配慮の適切性を確認するための基準等」の中に盛り込まれている。個別のチェックリストの中では、それぞれの社会環境配慮の項目がセクターごとに書かれている。海外経済協力業務も基本的な構成は同じである。環境配慮に関する基本的事項の中では、住民移転について四つの構成要素からなっている。

 海外経済協力業務のほうで、環境ガイドラインの記述とハンドブックの関係を説明して欲しい。

入柿:ガイドラインに書かれていることは、審査の項目として最低限遵守するという位置づけである。ハンドブックはベストプラクティスを描いて、借入人もしくは事業者に望ましい社会配慮のあり方を提示することによってプロジェクトの質を高めていくという趣旨である。義務づけはしないが、ベストプラクティスを示すことでそれなりの質を高めていく。

 社会配慮がどのようになされているかということは、我々の審査項目の一つである。ただし、ハンドブックに書いてあることについての確認はいちいちしない。ハンドブックの中身にはさまざまなことが入っているが、「やらなければ貸さない」という意味でのガイドライン的なものではない。

 ガイドラインの中には住民移転の項目がある。基本的な考え方は四つ述べていて「〜しなければならない」という言い方をしている。ハンドブックでは、住民移転に関してはかなりのページを割いて住民移転のベストプラクティスを入れている。そこはルーズな関係があって、ガイドラインに従って社会配慮をしているかどうか、実際にはハンドブックを参照することがある。ハンドブックは全体としては、借入人へのレコメンデーションであり、プロジェクトデザインを実施していくための方策を述べたレスポンス集である。

前田:今までのところでもっと突っ込んで議論したいところ、確認しておきたいところはないか。

松本(悟):佐藤先生のプレゼンテーションで確認したい。表「開発融資案件における影響と融資機関によるその対処の可能性」で、「予期せぬ被害者」の「予期できる負の影響」とは、既存の状況で確認ができるということか。「予期せぬ被害者」が「予期できる」というのがわからない。

佐藤:基本的には実施主体があらかじめ想定する被害者と、それ以外の人たちがいて、その人たちについて既存の基礎情報から想定され得る影響の部分であり、ここは「実施主体の想定よりもさらに広い部分」という使い分けである。この部分についてはJBICも既存の情報、あるいはほかの機関の情報の中から拾えると思う。

前田:大村さんからコメントは?

大村:いまの件は、幅広くとらえようとしてもさらにこぼれてしまうものがいちばん問題である。特に事業が開始してからそれが顕在化してくることが問題なので、ここの扱いは極めて重要だということで出てきたのだと思う。

本郷:同じ表について確認です。被害者は「予期できる」「予期せぬ」の二つに分類され、予期された被害者の影響項目は予期できる影響項目と、最大の努力をしても予期できなかった影響項目に分かれ、ここについてはモニタリングでカバーしていくということ。もう一つは、縦軸に見たときに、被害者として予期できた人と、最大の努力をしても予期できなくて、やってみたら出てきたというところで、人の広がりが出てきたという意味ですね。最大の努力をしてもわからなかった部分は、四つに分けた左上の部分(予期された被害者の予期された影響)を除いた三つの全部が予期できないという理解でいいのか。

佐藤:概ねいい。負の影響の「予期せぬ」のあとから出てきた被害者はNGOが声をあげることによって初めて顕在化する部分で、四つに分けた場合にはいちばん難しいと思う。

 これは住民移転の部分だけにフォーカスを当てて議論することもできるが、そこだけにして、いかに対象者を正しく把握して有効な代替措置を取るかという点に絞るほうがいいのだろうか。

本郷:いまの四つで考えると、住民移転に限らずすべて同じだと思う。我々の使っているモニタリングは予期せぬものが出てくる可能性は排除できないので、三つの象限をカバーするために使っているのである。

佐藤:住民移転に関してはウルトラCがあって、正の影響にしてしまうことができる。プロジェクトが移転先の地域のインフラを整えれば、移転という事実をおいておけば生活環境を改善し得る。だから住民移転だけは逃げ道がある。住民移転の場所はかなり明確にできるので、ここだけをリファインする作業もできるだろう。

本郷:実際のプロジェクトの中では、正のところに持っていくというよりは負の影響に対する対策の一つの要素としてのメリットを考えている。複雑に考えると、そこから逆に予期せぬことが起きて負に戻る可能性もある。

前田:本山さんの議論に戻るが、ガイドラインのほうの「社会環境とは何を指すのか」「どこまでのことを言うのか」という点については、国際金融等業務では「社会環境(特に住民の非自発的移転)」と書いてある。「特に」以外のところがはっきりしない。円借款のほうで言うと住民移転は書いてあるが、そのほかについてはそれぞれのセクターが一般的な原則かどうかはっきりしない。その点について、例えば世銀グループの書き振りはどうだろう。

大村:世銀グループのGP4.01付則Aの「EAのための潜在的な問題チェックリスト」というドキュメントにたくさん並べてある。今日配った表には、配慮すべき事項を具体的に列挙したらどうかと提案されている。

前田:配慮する項目は何かということだが、目的、原則、考え方とある。これはセクター横断的に一般原則などを書くべきだということなのか。

大村:そうだ。

本山:社会配慮をどう考えるかというと、もちろん第1は社会的な被害を防ぐことだが、プロジェクトの意思決定を行っていく中で、意思決定に参加しづらい人たちがどうやって意思決定に参加していくのかも含めて、もう少し広い意味で考えたほうがいいと思う。

木原:佐藤先生のプレゼンテーションに社会開発と経済開発があった。経済開発は自然環境の中での開発で、それが社会環境に影響する。この分類でいくと非ODA部分は経済開発の部分で進んでいる。その場合、さっきの象限はどのへんまでできるのか。それによって配慮する社会分野も変わってくるのか、こないのか。

佐藤:自然環境とは例えば森林という意味ではなくて、直接社会には関わらないという意味だが、基本的に非ODA部分はほとんどすべてそこに入ると思う。

 予期できない負の影響は、実施主体が民間の場合は責任外だという考え方があり得る。むしろこの部分については当該政府が環境政策を実行するなどしてカバーすべきで、一介のプロジェクトでそこまで拾うことはあり得ないという考え方もあるだろう。私はそこを必ずしなければいけないと言っているのではなくて、この部分についての明確な方針をガイドラインに盛り込むべきだと言っているのである。

本郷:いまのことは二つのポイントがある。一つのプロジェクトの受益者と被受益者もしくは被害者はかなり離れたところにいるかもしれないが、影響という意味では誰かが評価する必要がある。

 もう一つは守備範囲の問題である。例えば植林ではエンドユーザーの話など、どんどん広がっていくが、我々が実際に融資する場合に関与できるのは、植林に近いところに止まっているような気がする。

佐藤:例えばインドネシアでのダム案件の例では、住民移転をさせるかどうか決めるのは受け入れ機関のインドネシアの開発公社である。しかし、彼らが住民移転計画づくりを日本人のコンサルタントにやらせてもいいと思わせるのはJBICのガイドラインの存在だと思う。できる限り幅広いところを取らなければいけないという前提なら、JBICのガイドラインが、貸した相手にプレッシャーをかける以外に方法はないし、それによって相手機関の政策能力が高まる部分もある。ただ民間については、全くイメージがわかない。

本郷:そのイメージは使い分けだと思う。相手国政府の責任範囲は当然広いので、そちらを改善するためにハンドブックを作って働きかける。一方で国際金融等業務の融資について言えば、審査的なものとしてやっていく。審査的なほうはかなり強制力があるが、ハンドブックによる働きかけはそれと比べるとかなり弱いというか、ニュアンスが違うと思う。

佐藤:ガイドラインに基づいた審査の段階でハンドブックをどれほど参考にするかという双方の距離感は将来的には近づいていく方向か。

本郷:結果として、審査が望ましいと考えるハンドブックの世界に近づけばギャップは小さくなると思う。しかし、そこまで強制する世界ではないような気がする。

入柿:何をもって被害とするかというイメージで違和感がある。上で植林をして下の人がベネフィット(便益)を受けるというのは自然環境の話だと思う。我々が社会配慮ハンドブックで扱っているのは、文化的な女性と男性の役割、伝統的なものの破壊、コミュニティという類いの話である。

 このような点について配慮するのは望ましいが、ベースラインの文化人類学的な分析やデータがない場合がほとんどである。我々の審査にはなじまないところがかなりある。そういう部分については、我々はやったかどうかではなくて、プロジェクトの中に組み込んで、ベースラインのデータの収集などを全部コンポーネントとして入れていって、配慮するという話だと思う。そういう観点からいくと、ガイドラインの中にきちんと書く項目ではないだろう。

松本(悟):それは社会配慮の重要なところである。しかしコミュニティが壊れないようにコミュニティが持っている既存のものを尊重する一方で、例えば参加型で物事を決めるとか、その国内部での力関係などによって、つまりコミュニティやその国の社会が持っている要素によって、本来防ぐべき環境社会影響が防げない、本当にプロジェクトが影響を与えるところの声を聞き取るのはなかなか難しいことが起こりうる。社会配慮の逆の面として、これに対応する方法を考えなければいけない。入柿課長の話では、そこを審査の中に取り入れるのは難しいというニュアンスを感じた。

入柿:それは難しい。コミュニティの将来の話なので、基本的には参加型で決める。社会配慮は、そもそもどういう状況にあるのかわからない。現状がわからなければ、影響はもっとわからない。そこを審査の段階できちんと示すのは不可能に近い。

松本(悟):声があがらない人にどうやって情報を届けるかという話もあったが、なぜ声があがってこないのか、JBICあるいは実施主体側が真摯に受け止めて、そこを考えなければ、被害が予期できない人たちの影響を防ぐのは難しい。そこに配慮が必要だと思う。

本山:社会開発型のコンポーネントを組み込んでいくことはあり得るとして、なぜこのタイプが必要で、なぜこの方法がいいのかを一体どこで判断するのか。そこを最初に審査のところで判断していくことが難しいのであれば、なおさら先に社会開発コンポーネントを入れ込むことが本当にいい結果に結び付くのかどうかの判断は非常に難しいという気がする。

入柿:ここはイメージが違う。こういうアイデンティティだ、この人たちはこういう助けが必要だからこうすると思うかもしれないが、そこも含めてコンポーネントを入れてしまう。

 例えば低所得者のいる集落を通る道路のプロジェクトの場合、一般的にその人たちへの対応をどうするか、基本情報の収集から始めて、そのための計画立案をする。そして、非常にラフなかたちで詰めていくが、実際に中身を固めていくのはプロジェクトをやりながらである。これは全然決まっていないわけでもないし、びしっと決まっているわけでもなくて中間段階である。

佐藤:ODA方式に関してはいろいろなことが考えられて、プロジェクトの中に取り込むことが可能だから、わりと簡単である。本郷さんは「ガイドラインが審査に影響を及ぼすことはできても、その反対は難しい」と言われたと思う。仮にある部分を政府が対応すべきことだと考えた場合、個々の審査ではそこについてはほとんど何も言えない。しかしこのガイドラインは、日本のお金を使って環境に影響を与えるプロジェクトの扱い全体を考えるので、そこをどうやってJBICの融資方針の中に取り込むかも含めて考える。つまり個々の審査ではできなくても、ガイドラインの中ではこの部分の記述が必要である。

本郷:いまのケースでは、プロジェクトから直接影響が出てくる部分はモニタリングの範疇に入る。だから予期しようがしまいが、そのプロジェクトから直接波及する部分はガイドラインの範囲でカバーされると理解している。例えば植林をして下流のほうで何かあった場合など、プロジェクトから離れた部分は少し違う。だから3次元で考えなければいけない世界かもしれない。

 国際金融等業務で我々が直接相手にしている事業者の責任の範囲であれば、投資金融でも必要な部分はモニタリングをしていく。事業者が責任を持たない相手政府の責任範囲について言えば、むしろODAのテクニカルアシスタンス的なアプローチが適当かもしれない。

佐藤:先ほどのプロジェクトの場合、初めから下流がメインの受益者として想定されているが、その手段として上流に植林することでいままで家畜を放牧していた人たちができなくなる。「その人たちをどう考えるか」ということであり、上流に何かして下流に起こったことも拾えというのではない。もともと下流に目的があって、そのために上流でやったことで不都合が生じる部分をプロジェクトで拾えるのか、例えば下流の稲作の担当官庁は農業省、林地は森林省という場合はどうするのかという話である。

本郷:我々が直接影響を及ぼし得るのは、原則我々のカウンターパートなどである。

佐藤:我々の貸す先と本来配慮しなければいけない住民を管轄しているところが違う場合、どうやってそこに影響力を及ぼし得るのか、そもそも及ぼす必要があるのか、及ぼす必要があるという立場に立つならどのようなルートでいくのかという頭の整理が必要だろう。

木原:いまの例では下流が受益者にいて、上流でプロジェクトが行われるが、植林をやることで本当にそこに生活している人たちに影響するかどうか借入人からJBICに提出させる手続きは、一般的なレビューの中で見ていく方法と「そういうかたちのEIAが作られていなければいけない」という雛型で示すやり方がある。

佐藤:そのときには、ネガティブのところが明らかにならなければいけない。次にローンを出す側の責任として、その人たちに対するなんらかの措置まで組み込めるかどうかということがある。

前田:声をあげられないというのは、社会的弱者と同じではないか。その社会的弱者が特定できるのかということで、開発援助に対する環境アセスメントに関するOECDの理事会勧告の中にも「特定の脆弱な人口集団」という議論がある。

 文化遺産等も通常の利益調整とは別の価値があって、特定の集団にとっては極めて価値が高い問題でも、その他の人にとってはなんでもない。この利益調整は、途上国の場合はきちんと図られないのではないか。それに対して公的機関としてほかのものよりも一定の高いレベルの配慮をする必要があるのかということは、別に議論したほうがいいだろう。

佐藤:例えばJICAのプロジェクトはそこがあやふやのまま「本来すべき」という想定のもとに動いていると思うが、「社会的弱者だから特別な配慮が必要だ」というところを取らなくてもこの議論は成り立つだろう。社会的弱者だから配慮が必要なのではなくて、こうしたプロジェクトのネガティブなインパクトは社会的弱者により大きくかかるという経験則があるから配慮をしなければいけないのである。

入柿:もう一つは先住民族である。これは国際的に認められた弱者で、日本もアイヌ民族を持っているが、国の中では利害調整ができても、それに我々が乗れないこともある。

大村:ODAの場合はどうやって開発するか、そのコミュニティに関わっていくかということがあるので、もともとスコープの範囲内だと言ってしまえば話はわかる。民間の場合はどこまで事業者に社会配慮をやってもらうのかが焦点だが、最近は民間事業者も社会的影響を放置しておくと企業の信頼性に関わるからなるべく避けようと思っているだろう。

 世銀のポリシーの非自発的移住のパラグラフ3に「世銀の移住政策の目的は、プロジェクトによって移動させられた人々がそのプロジェクトから利益を得るよう保証することである」と明快に書いてある。これを民間の人に言ってもそんなに違和感はないと思うが、そのへんはどうだろう。

本郷:民間の事業者にとって利益は必ずしもそのプロジェクトや短期的なものには限らない。当然、長期的な視野も入っている。彼らは真剣に取り組んでいるので、我々が言っていることは当然理解しているし、実行していると思う。

 どこまで影響が広がるのかがポイントである。日本の企業が一生懸命考えても、その広がりは自分たちが直接関わる部分に限定されているだろうが、その範囲においては相当程度がんばってやっていると思う。

 金融機関も同じである。プロジェクトファイナンスをやるところは特に顕著で、単に評判を傷つけるだけではなくて、直接的にプロジェクトのキャッシュフローを枯渇させ、貸し倒れリスクにもつながるので、かなり慎重に分析した上で判断している。

大村:例えば世銀のポリシーを民間に対して「我々はこういうポリシーで臨んでいる。これを敷延してやって欲しい」と言うことに対する違和感はないのか。

本郷:世銀の考え方を参照することに対する違和感はないと思う。もう一つ言うと、一つは守備範囲の問題、もう一つは絶対的なレベルの有無だと思う。価値判断は国によってかなり違うので、民間は国、プロジェクト特有の事情に応じてやっているはずである。ある特定の理想を持って、それをなんとか達成しようというアプローチは取られていない。その二つが注意すべき点だと思う。

本山:ガイドラインは、一定の基準で「〜でなければならない」という書き方は難しいと思う。むしろここでのポイントは「声をあげられない人たちを特定する努力をこちらでどれだけチェックできるのか」ということで、今回のような提案をしている。このへんに関して、ここまでは書き込める、ここまではできないというのを具体的にどうやったらいいのだろうか。

山村:一般的なプロジェクトでどう見ていくかという基本的な考え方は、当該プロジェクトを始めたときにだれがloserでだれがwinnerになるのかというアイデンティフィケーション(特定)の最初のスターティングポイントしかない。例えばジェンダー、ソーシャルマイノリティーなどを実際にどう特定していくかというと、個別の地域の事情やプロジェクトに応じて定性的な社会調査なりベースライン調査をかけていかざるを得ない。ただ、それを特定できたら問題がないかというと、実際にプロジェクトを行う段階でいろいろな問題が出てくる。そのためのモニタリングも必要になるだろう。

本山:ガイドラインの中に審査項目として、こういうポイントを書き込むことが有効なのか。それはグッドプラクティスに書いておけば十分なのか。そこがよくわからない。

山村:ガイドラインに書いてあることだけがバイブルになること自体が非常に怖い。地域や状況、プロジェクトの類型に応じて変わってくるので、「これを見た」と書き込んで「チェックされている」「オーケーだ」というのがいちばん怖い。逆にチェックリスト形式にせずに、グッドプラクティスということで、そこをスターティングポイントにしてどう考えてもらうかということのほうが大切ではないかと考えている。

松本(悟):世銀のセーフガードポリシーの非自発的移住に「本来不利益を被るであろう移住する人たちがプロジェクトから利益を得るように保証する」とあるが、私自身が日々悩んでいた立場から言うと、もともとその人たちに便益になるためにプロジェクトをやっている場合と、被害を受ける人たちに代償として便益を図る場合とではかなり違う。

 通常は便益があがらなくてもあまり批判されず、思っていたよりも便益が少なくても時間をかければいいだろうということになるが、代償として便益をもたらす開発プロジェクトをやることになると、私の経験から、通常の開発プロジェクトで本当にそれができるぐらいの経験が積み上がっているのかという危惧がある。

 普通のプロジェクトでも生活向上、貧困削減が難しい中で、代償だから必ず被害を受けた人たちに便益をもたらさなければいけない、必ず前より生活レベルをあげなければいけないとなると実際に可能なのか。もちろん書く意味はあると思うが、この話をしてから先に進みたい。

佐藤:環境ガイドラインとは別に社会開発の文脈で考えた場合、いちばん難しいのはだれをターゲット・グループにするかである。基本的に社会開発というのはかなりえこひいきなので、だれをえこひいきの対象にするかという選び方がかなり難しいが、非自発的移転の対象者は文句なく対象にできる。対象者選びのときにこことリンクさせれば社会開発の実験をすることも許されるという意味で、社会開発の側から見るととてもいいターゲットだという部分がある。

本山:いまのお話はもっともだと思うが、非自発的移住は最大限避けなければならないということが議論の前提だと思う。世銀のポリシーでも、いまの議論でも、代替的なものを与えることが彼らが被った被害を代替するのだということに流れていくことに危惧を持っている。

本郷:我々の認識では、そういう方法でできるだけ非自発的移住をミニマイズする方向でやっていかなくてはいけないということは確認している。ただ、現実問題として非常に難しいのは何をもって「最大限」ということである。

佐藤:移転させるコストが限りなく高くなればなるほど事業者は自動的にミニマイズさせるから、移転のコストがかなり高くなるようなガイドラインの設定も当然あり得るだろう。「移転する場合には○○をしなければいけない」とガイドラインで誘導できれば、自動的に事業者がミニマイズすることはあり得ると思う。

本山:世銀が過去の非自発的移住のレビューしたところ、必ずしも非自発的移住件数が減っていなかった。コスト的なところだけで事業者をなるべくしない方向に誘導できるのかということに関しては、我々は疑問を持っている。JBICのポリシーとして、非自発的移住をあらゆるかたちで避けるということをもう少し強調しないといけない。コスト的なことだけでは難しいのではないか。

寺田:ガイドラインを極めて厳格に審査基準のようなものと考えるのか、それともプロジェクトの質を高めるもの、ないしそのガイドラインに沿って出てきたものからよりよい質のものを選択するのかで、かなり違うと思う。両方併せ持ったガイドラインでは、かなり書き分けなければならないだろう。

 環境省地球環境局の立場で言うと、いまの時代の流れは、開発では環境、社会、経済のすべてがバランスよく調和したものが大事だという話になっている。我々は「サステイナブル・ディベロップメント(持続可能な開発)」と言うが、いいプロジェクトを選ぶ過程においては環境配慮も社会配慮も経済の問題も全部同一の時点で組み込まなければならない。それは言うのは簡単だが、実際は難しいし、厳格なものは多分作れないだろう。

 一方で国際的に見ていかに相手がいいと言ってもやってはいけないという日本の国策としてのものもあるし、国連の決議、国際条約等々によって制約される部分もあるので、そこの区別をちゃんとしておかないといけない。最低限度のものを区別した上で、いいプロジェクトを選択して、ガイドラインに書いてあることによって実施主体により望ましいプロジェクトを作ってもらうという書き方のものが望ましい。

 ただ、その二つをごちゃまぜにすると、実際にはそんな難しいことはできないし、やるほうには過大な要求になる。しかし一方には、大事なことを全然入れてくれないと非常に不満が残る。

 わが国もかつての閣議決定アセスは「○×アセス」で、環境基準のように一定のラインを引いて合格・不合格の二者択一でやっていた。それはどちら側にとってもわかりやすいが、それではいい事業にすることはできない。そういう意味からすると、○×方式の排除に加えて、より創造的な部分をどううまく入れていくのかというあたりが新しい時代のガイドラインだという気がする。

前田:性格にもよるが、ガイドラインの中には審査の基準、スタンダードとして機能するところ、公的機関として我々の立場を事前に相手方の実施主体にわからせる側面など、いろいろあると思う。それが混然一体となっているので、一般的な原則のところに書くのと、具体的な審査の基準の中に書き込むのではかなり意味合いが違ってくる。

大村:本山さんの話に戻ると、当然住民移転数がミニマイズするようなかたちというポリシーを取る、これを明らかに書くのが大事だということである。その上でそれを本当にやったのかどうか、我々がどうやって見たらいいのかというところに戻ってくる。

 これは国内のアセスでも問題となったところだが、一つは合理的な考えでやったのかどうかみんなに見てもらい、判断してもらうことである。そのときに大事なのは、ドキュメントの中にどんな考えを経由して最終的な設計に落ち着いたのかを書いてもらうことである。

 いまの二つをあらゆるところでやっていく。どこまでやったのかについては常に疑問は絶えないので、それはやりながらいろいろ積み重ねていって議論を続けていくしかないと思う。

 そのときに事業者も含めて、もう少しこういう研究会をしたらよいのではないか。本当にいいやり方をするにはどうしたらいいか、関係者がいろいろ知恵を出していく場が必要だと思う。それをぜひ踏まえてもらいたい。特に国際金融等業務と海外経済協力が一緒になって、開発援助の経験が使えることが非常に大きなメリットだと思う。

前田:それでは市民外交センターの上村さんにお願いしたい。

上村:社会的弱者として普通の社会にも貧困層はたくさんいるのに、なぜ先住民族という特別のガイドラインを作らなければいけなかったのか。そのロジックの原則論を話すつもりでやってきた。

 人権は絶対基準である。人権は原理的には国際的関心事であり、国家主権を越えることができる。人権に違反するものであれば、相手国の主権下にあってもそれについて話をすることができる。原則論でいけば、それは決して内政干渉とは言わないという国際的な取り決めがある。問題は、国際的関心事とか絶対的基準と言うからには基準そのものがしっかりしていないとマニピュレート(操作)できてしまうことである。

 国連のもう一つの大事なポリシーは植民地の排除である。人民には自己決定権があるという考え方から、植民地主義を世界からどう排除していくかが国連の命題になった。

 先住民族の権利は、80年代からマイノリティーの権利と明確に区別して議論している。宗主国による植民地主義、新興諸国による植民地主義があるが、先住民族の権利を保護するための法体系、社会制度、政治システムがない。その意味でいま国連で議論しているのは、「先住民族の権利は国際社会の監視および国際法によって救済しないといけない」ということである。国内法を基準にして先住民族の権利を守ることは難しい。だから世銀がガイドラインを作るのである。

 国際法の中での先住民族の権利体系はかなり進んできている。主要な国際人権法は6条約と言われている。これは監視機構を持っている条約で、締約国は条約を批准している状況を国際的に監視される。日本政府はこの6条約を99年に全部批准した。特に先住民族の権利に関わってくるのは国際人権規約・自由権規約であり、人種差別撤廃条約、子どもの権利条約、国際人権規約・社会権規約がこれに続く。

 次に発展したのが国連の専門機関のプログラムである。ILO(国際労働機関)は非常に早くから先住民族の権利に取り組んできて、1989年に169号条約を作っている。日本は未批准である。UNESCO(国連教育科学文化機関)、WIPO(世界知的所有権機関)、WHO(世界保健機関)もある。そのほかの条約機関はラムサール、生物多様性条約である。

 法的視点から見ると、先住民族の社会には独自な慣習法が存在する。ベネフィットとコストの問題ではなく、彼らが納得する法システムの中にどうプロジェクトの価値を入れるかということであり、その意味で固有の権利が存在するのである。

 また、公共の福祉という概念は先住民族の権利には優越しない。歴史的に何世紀にもわたって差別や迫害されてきた、ある特定の民族や集団に対して公共の福祉という概念は成り立たないので、その社会には「公共の福祉のため」という議論は成り立たないのである。

前田:非常にインフォーマティブな情報であった。

 

次回:2001年3月14日(火)午後5時〜

松本(悟)−モニタリング

次々回:2001年3月30日(金)午後5時〜

Policy & Principles等、提言案執筆分担決定