IV. 先住民


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極東ロシアに初めて定住したのは古シベリア族である。古シベリア族はさらに、主として北部を中心とするチャクチ、ユカギール、コリャク、アジアエスキモー、カムチャツカの各部族、サハリンのニフキー部族、アムール川沿いのナナイ族に分かれる。西暦3世紀を迎える頃には既に、満州族 (ツングース族の一つ) とトルコ族がこの地域に定住し始めていた。満州族にはイヴェンキ、ウデゲ、ウルタ、イヴェニ、アイヌのグループがあり、極東ロシア全域に広く定住した。トルコ族はヤクート族が多く、現在のヤクートのほぼ全体に定住し、レナ川とインジギルカ川、コリマ川の沿岸に大きな集落をつくった。
 15世紀にはロシアの商人達が、これらの部族から毛皮の貢ぎ物(ヤサク)を政府に取り立てさせ、黒テンとキツネの毛皮の供給を確保するようになっていた。ロシアの植民地戦略の根底にはこのヤサクの制度があり、"初期の植民地支配、資源分配、軍事戦略、軍隊配備はすべてヤサクを目的に置いてなされた。この制度はその後、毛皮の取引がシベリアの経済生活を支配する時代が終焉した後も長く略奪の傷跡をシベリア社会に残した"。ロシアの商人達は東方に入り込んでくると、村落を占領し、老人達を集め、部族の長を人質にし、彼らにヤサクの制度を取り入れるよう強いた。政府は、各村落が納める毛皮と魚、動物全体の10%を支払い、この制度を続けた。 "先住民が大勢住んでいる場所を見つけると、ロシア人は警戒するどころかおおいに喜んだ。彼らを従属させれば毛皮という税金が大量に転がり込むからである"。
 毛皮には大きな需要があり、商人達が諸部族に過剰な捕獲量を強いたためアメリカクロクマ、ホッキョクグマ、キツネ、カワウソ、黒テンの数が破壊的に減少した。過剰な捕獲が行われるとロシア人との間で交易が行われるようになり、それまでなかった道具、矢尻など品物がロシア人から流入するようになった。必要なだけ殺すということではもう満足できなくなった多くの部族は、余るほどの狩猟を行い、毛皮は山と積まれた。このようにして、ライバルの部族が狩猟場に侵入すると部族間の争いに発展し、反目が生まれ、衰亡が早まった。
 19世紀末頃には極東ロシアのかなりの部分がロシア人の植民地となつていたが、先住民が狩猟あるいは漁業で暮らしをたて、固有の言葉を持ち、その慣習を守っている地域もたくさんあった。北部のツンドラ地帯には遊牧民が住み、トナカイを生活の糧にしており、トナカイが生息できるこのような地域では、狩猟と漁労がライフスタイルの基盤だった。南部の諸部族は北部の諸部族より定住の度合いが高く、遊牧は狩猟ができるシーズンに限られていた。極北の地域の先住民も完全に自給自足の態勢を維持し、必要なものは全てトナカイから得ることができた。
 1920年代初頭以後、共産主義国家の時代に入ると、部族の土地は国有地となり、魚類、木材、毛皮、金を利用して金を儲けるため極東部の工業化が始まった。"先住民の土地は、檻の中の動物をひと突きすれば隅から隅まで残らず取り上げることができた"。国営農場は漁網で河川を遮り、あらゆる規則を破り、季節ごとの漁期のルールを犯し、先住民からその伝統的な食糧を奪った。
 スターリンの時代、集産化と強制労働が激化して、先住民は固有の言語を捨ててロシア語を使わなければならなくなった。いわゆる非収益村落は国の手で解体され、そこに住んでいた人々はひとまとめにされて大きな村落をつくらされた。小規模の、自給自足が可能だった社会を失った先住民は以前より大きい村落に住むようになったが、住民全員が食べて行けるだけの食料基盤がなかった。サハリンのニフキー族の例は悲劇的だが、特別なものではない。ニフキー族の人々はリグリキ市とネクラソフカ市に移住させられたが、ここには漁業にも狩猟にも適する土地がなく、アルコール中毒、失業、その他の社会問題が発生するのに時間はかからなかった。
 このような悲しい歴史にも関わらず、先住民の中には自分たちの慣習をしっかり守っているところもあり、特に北部の奥地は、少ない人口と未開発の土地に助けられている。直近の国勢調査は1989年に行われたが、極東ロシアの先住民の人口は約88,000で、マガダンとカムチャツカ、ヤクートに最も多い。公式には、ニフキー族とサハリン島のオロチ (ウルタ) 族以外の先住民はみな人口が増加していると発表されているが、大部分の先住民社会には結婚によってロシア人が入り、その文化に適応しているので、この数字は誤解を招くであろう。
 最近になって、彼らは権利保護団体を結成した。このような団体が集まって1991年にモスクワで開かれた第一回北部少数民族会議で重要な決議が採択されたが、この中に、政治の一形態として部族ソビエト (部族会議) と長老評議会の形態を復活すべきであるという決議もある。これは、共産主義時代の初期に広く行われていた形であり、理論上は、その土地と村落の行政管理権限をその先住民に与えるものである。先祖伝来の土地をもっと自分たちの力で治めたいという要求は新しい形の保護区、すなわち"伝統的自然利用区域"としても実を結び、既に、合法的な土地管理権が先住民グループに移譲された。この新しい形の土地利用を要求するに当たっては、地域先住民団体が積極的に動いている。例えばハバロフスク地方政府は40以上の区域を伝統的土地利用区域とし、沿海地方では、ウデゲ族の土地の保護を目指してビキン川流域に伝統的自然利用区域を設ける努力を地域先住民団体(PRAIP)が続けている。先住民にとって重要な問題は他にもいろいろあるが、先住民の諸計画に関して地域への連邦補助を増やすこと、先住民の土地と資源利用権を保護する確実な連邦法と地域法を制定すること、もその一つである。

V. 森林と林業


森林

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ロシア極東地域はその45%を森林が占め、その広さは日本の国土の7倍を超す。この森林をどの程度伐採せずに残すか、学者の試算は25%から50%と分かれている。この数値は、他の先進工業国より大幅に高い。スウェーデンとフィンランドでは、長い年月をかけて完成した森林が木材の伐採搬出のために減り、もとの面積の1-2%になってしまった。西ヨーロッパ全体では、もとの森林の1%程度しか残っていない。カラマツ林はヤクート、マガダン、アムール州、ハバロフスク地方に多く、伐採量の62%がここから供給されている。モミ林は沿海地方、ハバロフスク地方南部、サハリン州に多く、木材生産高の約13%を産出する。マツ林は全体の6%、カンバ林は7%、である。林業の関係者はよく"ロシアの森林は増えている"と言うが、これは誤解を招く発言である。大量の伐採搬出と火災により、二次林の落葉樹林ではなく成熟した針葉樹 (トウヒ、マツ、モミ) が、年間約0.8%の速度で森林全体に広がっているからである。
 山岳地帯であり、基盤整備もできていないため、伐採搬出のために入れない森林が全体の40%あるが、鉄道が通り、人口の多い地域を初めとして、交通の便の良い場所では既に過度の伐採が相当進んでしまった。この問題には森林分布の不均衡という状況も絡んでいる。北極圏の地域には、極度の寒さのため樹木は事実上育たない。森林の約4分の3は永久凍土地帯にあるが、寒冷な気候と湿度の低さも手伝って樹木の成長と繁殖が制限される。樹木の成長に一番時間がかかるのはマガダン州、一番早いのは沿海地方である。

木材資源
 合計(10万m2針葉樹(10万m2
ロシア極東全体21,257.817,861.7
サハ共和国(旧ヤクート共和国)9,4139,136.6
ハバロフスク地方5,378.54,617.2
アムール州2,033.11,644.7
沿海州地方1,938.11,335.1
カムチャッカ州1,230.4146.9
サハリン州689.7597.6
マガダン州574.9383.6
資料:Lesson(M.1991).

 極東ロシア南部は沿海地方に初まってサハリン州 (千島列島を含む) 、ハバロフスク地方、アムール地方と続く一帯は、生産性が最も高く、多様な生物が生息する森林を持っている。シホテ-アリニ山岳地帯のウスリー・タイガは最も豊かな森林であり、今もなお未開の分水界を多数秘めている。下にその一部を挙げておくが、極東ロシアには他にも保護を要する古来の重要な森林がたくさんある :

森林保護の重要性

森林保護の重要性については、現在、世界的に認識が深まりつつある。地球上の大部分の動植物の棲み家は森林である。森林は食物を与え、隠れ家となり、先住民も森林から知恵をもらう。気候は森林によって安定し (木材を伐採すると気候変動の速度が速まる) 、侵食と洪水も森林によって抑えられる。森林は清らかな水源を保ち、養分の補給を調整し、淡水と海洋の生態系の中で水温を調節する。我々はこの内の2点に焦点を置きながら極東ロシアとの関係を考えてみたい。

生物多様性の保全
生物多様性は3つのレベルに分けられるであろう。すなわち、1)生態系と生息地の間とその内部の多様性、2)種の多様性、3)種の遺伝的変化、である。生物多様性の保全とは、基本的に、地球上の様々な植物と動物の種が絶滅しないようにすることに他ならない。全ての生物は、絶滅とは逆に豊かに生きることが許されている。ロシアの植物と動物の大部分に棲み家を提供しているのは森林であるから、森林の生態系の保護は非常に大切なことである。人間が生き残るためにも、生物の多様性は保たれなければならない。誰でも知っている通り、例えば農業では、農業や栽培に携わる人は自分の作物を得る根元として様々なな野生種に依存している。野生のコメからいくつかのタイプが失われたら、コメの多様性が狭ばまり、いずれはそのために病気にかかりやすくなり、時とともに収量が減っていくであろう。
 土地利用 (木材の伐採、農業、採鉱、石油採掘) により森林が失われることも生物多様性を脅かす一因になる。そのために生息地が細分化され、種の個体数が減少するからである。科学物質による汚染 (例.酸性雨) 、気候の変化、人間による新種の持ち込みなども生物多様性に好ましくない影響を与える。
 ロシアは、地球規模の生物多様性保護の必要性を認識し、1992年にリオデジャネイロで開かれた地球サミットにおいて「生物多様性条約」に調印した。地球サミットでは生物多様性の必要性を広く訴え、その保護を脅かす影響要因に対処することを諸国が約束した。ロシアと国際社会は様々な機会を捉えて、古来の温帯森林が世界最大の規模で残る場所を擁している極東ロシアとシベリアの広大な森林を守らなければならない。

気候変動の安定化
CO2ガスが地球温暖化の主犯であることは科学者が明らかにしているが、ロシア極東地域の広大な森林はCO2ガスの貯蔵庫の役目を果たしている。ロシア極東地域とシベリアの森林は400億トン−アマゾンの熱帯雨林のそれの約2分の1−の炭素を貯蔵できると推定されている。この二つの大森林の生態系はともに炭素の巨大なシンクとなり、CO2を取り込んで、酸素を放出しているのである。
 しかし森林伐採は、CO2ガス放出の多さで化石燃料に次ぎ、ロシアの森林で大規模な伐採が行われると大量の炭素が大気中に放出され、地球温暖化を加速するおそれがある。このことには、森林伐採をどう行うかが大きく影響するのであり、持続可能性を重んじ、選んだ樹木のみ伐採し、森林の多様な構造を破壊せずに残せば、CO2放出量は最低限度に抑えられる。しかし、皆伐−ある場所の木を全部切り倒すこと−を行うと大量の炭素が放出されるだけではなく、森林の構造が破壊されるために、森林の炭素貯蔵能力が落ちる。一般に考えられているのとは逆に、植林しても土壌に "炭素を呼び戻せる" とは限らない。よく管理されている植林プランテーションに蓄えられている炭素の量は、未開の森林の3分の1ないし2分の1と推定されているのである。
 CO2の他、メタン・ガスもロシアの森林から放出されており、その温暖化作用はCO2の20倍も強い。ロシア極東地域の森林の約4分の3は永久凍土にある。永久に氷が溶けず、水分を蓄えている土地にこの森林は依存しているのである。乾燥した夏が訪れると、永久凍土が溶け、樹木と周辺の植生に水分と養分が送られる。冬が来ると再び凍り、水分が蓄えられる。北の森林にとってこの自然の移り変わりを欠くことはできない。
 大規模な森林伐採が行われるとこの永久凍土が直射日光に曝されていつになく溶け、森林だった場所がどんどん沼地化する。普通、永久凍土では、樹木が枯れても分解せず地上に堆積するが、永久凍土が沼地化すれば枯れ木という有機物は急速に分解し、植物物質からも永久凍土からも中に閉じこめられていたメタンが放出される。永久凍土で覆われた地域には大量の伐採が行われた場所が多数ある。が、生き返った所はない。科学者はまた、地球の温暖化が進めば永久凍土の溶解も広がるだろうと警告を発している。メタン・ガスが放出されると、ひいては地球の温暖化が進み、悪循環が続くことになろう。
 行動を起こす時間はまだある。森林伐採を止めること、特に皆伐を止めること、化石燃料の使用を段階的に中止すること、も重要対策の一つである。同時に、極東ロシアとシベリアには、土壌中にCO2を蓄えることにより気候変動を最低限度に抑えるのを助ける広大な原生林を保護し、大規模な伐採から永久凍土を守るという独自のチャンスもある。広大な土地を保護すれば、気候の変動に応じて移動する動物達に生息地の回廊を与えてやることができる。

森林の分類

ロシアでは森林を、グループI、グループII、グループIII、の3つのカテゴリーに分けている。グループIは厳重に保護する森林を言い、環境、文化、科学、リクリエーションなどの点からみてその価値を守らなければならないものである。保護地域 (ザポヴェドニクス、ザカツニクス、自然のモニュメント、等) がグループIの森林である。都市のグリーンベルトとなる、侵食防止に役立つ、沼地化を防ぐ、河川その他の水域の緩衝地帯になる、重要な採種地である、などの森林もグループIの森林とされることが多い。急傾斜にある森林など、生態系が壊れやすい森林もグループIに入る。商業的伐採は禁止されるが、 "衛生保持のための伐採" (病気にかかった森林の伐採または火災防止のための伐採) は許可されることが多いが、木材会社がこの条件を拡大解釈することもあるため、生態系保護の上で問題になることがある。連邦森林事業部の許可が下りれば、10ヘクタール以内の皆伐もできる。ダチャス (dachas) (田舎家) を立てるためにグループIの森林が伐採されるケースも少なくない。
 グループIIの森林は、保護の機能も、限られてはいるが産業的な機能も果たす森林である。大部分は既に伐採が広く進んでおり、主要な産業拠点に近いのが普通であるが、環境の点からも産業の点からも回復させなければならない森林である。グループIIIは最大のカテゴリーであり、商業用伐採に理論上は使える森林である。ロシア極東地域の森林全体に対して、グループIは11.7%、グループIIは3%、グループIIIは残り85.3%、を占めている。

林業

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背景

共産主義政権の時代、ソビエト連邦の森林は無尽蔵の資源とみなされて無駄の多い使われ方をしていた。皆伐し、切り倒した木材の内最高のものだけ残して他は腐敗するのにまかせたのである。あるエリアの木を伐採し尽くすとその土地を捨てて、伐採隊は樹木のある別の一帯へと移動していた。木材生産も森林保護も国家森林委員会と林業省の所轄だったので、利害相反し、好ましい形で森林資源が利用されるはずがなかった。国家森林委員会の在庫課が年間許容伐採量 (AAC)を決定して、木材の年間割当量をレスコージー (leskhozy) (地域森林事業部) に割り振り、レスコージーが森林保護の監督に当たり、植林を行い、レスプロモホジー (lespromkhozy) (木材会社) の認可を出していた。認可を受けたレスプロモホジーは、伐採した木材量 (立米) の代価を払った。
 ソビエト時代には、成果をはかる尺度は扱った木材の総量であり、利益や効率ではなかった。低い価格は、多額の政府補助により人為的に保たれていたのである。原木はヨーロッパロシアと輸出に回すことが最優先され、利益が木材産業地域に再投資されて加工施設整備や、効率を高めると同時に伐採搬出の際の自然への影響をできる限り軽減できる機械類の購入に使われることはなかった。

ソビエト後の林業の構造

国営の木材企業が共同株式会社とジョイントベンチャーに変わって民営化が進むと、国有企業の管理者だった人間が大勢、民営化された新しい会社の幹部の座についた。そのため "母校" の伐採のやり方が今も木材産業の癌として残ることになり、かつまた、人脈や影響力を利用して森林事業部や地域管理局と木材割当であやしい取引をし、儲けた金を外国に開いた銀行口座に溜めて脱税をする者がこういう経営幹部の中に現れてもいる。確認した情報ではないが、チョウセンマツ(Korean pine)その他の保護種の違法輸出も、無申請の木材出荷も増えていると言う。
 森林資源に対する現地の監督権限を強めるため、森林資源の利用と管理、賃貸方針に対する地域政府の権限を強化する作業を連邦政府が進めている。しかし、どの地方機関に森林資源が移譲されるのかはっきりしない。土地の賃貸借と森林利用・管理をめぐる諸問題の解決を目指して、1993年3月に新しい森林法が連邦議会で成立した。森林の賃貸その他の利用・管理の業務監督を誰に担当させるかを明確にするための法律だったが、森林の土地と賃貸業務に対する管轄権限を地域政府管理部と各地域の森林事業部に平等に分けたため、実際には、結局所轄の点で混乱が生じた。この森林法には他にも色々な欠点がある。政府関係者の刑事罰または個人の責任が明確にされていないこと、伐採から守るべき国有地 (公園と保護区) の骨子が示されていないため地域政府が国有地に対する管轄権限を主張することが考えられること、などである。最も重大な欠点は、非政府組織が検査官として行動する合法的権限がこの法律によって奪われたことである。
 したがって土地使用と森林管理に関する連邦と地域の方針の不明確さが、新しいジョイントベンチャーと共同株式会社の活動に対する政府の監督力を殺ぐ結果を生んでいる。木材の伐採搬出が激増したため森林事業部では監視が以前より難しくなり、連邦予算の削減がこの問題に輪をかけている。が、地域によっては、これらの問題について政府関係者間で合意が形成され、現地の情勢に適した具体性のある規制を打ち出す作業が始まっている。ハバロフスク地方では1995年9月までに、 "当該森林の賃貸区域"、"科学的研究調査のための森林利用"、"観光、スポーツ、健康増進のための森林利用"、"森林破壊に関する罰則"、"森林利用に関する地方委員会" などの法規が定められた。
 ロシアでは連邦、地域、地方の各政府の責任を明確にする作業が徐々に進んでいるが、林業関係の規制を無視するのが林業業者の伝統であるから、持続性ある森林利用を妨げている最大の長期的障壁はこのような規制の不履行にあると言ってさしつかえないであろう。弁護士のケビン・ブロック氏は旧ソ連に長く暮らした人だが、ロシアは "無法の法" が支配する国であり、 "法律の規則より出会った相手の方が重要であり、法律の大半は全く "法律" ではなくて行動指針にすぎず、実際に適用されるときは限りなく変化した" と、この状況をズバリと言い切っている。司法が独立していず、森林事業部の規制執行予算も十分ではないから、木材伐採会社と政府関係者に規制を守らせる重い責任が市民グループとメディアの肩にかかっている。
 以上の問題を解決できない内は、おそろしい無駄も、拙劣な伐採方法も、悪い森林管理も止まず、林業の癌であり続けるであろう。


木材産業の問題点

無駄の多い方法
伐採される木材の40-60%が無駄にされている。木材の発表損失量は実際の損失全体の3分の1か2分の1にすぎないことが最近行われた空中写真調査によって証明されたが、政府の試算では年間820万立米が無駄にされている。伐採の段階では、伐採業者は一番良い木材を選び、あとはその場に放っておく。運送の段階では、伐採された木材の量が運送能力を超えていることが多い。長い間その場に置いておかれるので、材木が腐ったり虫に食われたりすることも少なくはない。河川で運んでも、水中に沈んで大量の損失が出るだけではなく、産卵場を壊し、樹脂のヤニその他の有害物質が水中に放出される。加工の段階では、チップや切り屑などが炉蓋その他の有益な製品に利用されることはめったにない。地方に製造業が育っても、この無駄の問題の解決にはまだ長い時間がかかるであろう。

開発が遅れる加工業
ロシア極東地域の木材産業には、競争価格で付加価値を付した製品 (家具、ベニヤ板、その他) を製造して木材1本当たりの収入を高め、副産品によって木材の有効利用を高め、伐採必要面積を縮小し、雇用を創出して地元に貢献する方向に向けて歩み出すことが必要である。また、二次林の硬木落葉樹 (現在、原料ベースで、米国と日本の30%に対し9%) を利用するように加工器機の普及に努めて、時代を経た軟木針葉樹を守らなければならない。

拙劣な伐採方法
ロシア極東地域のほとんどの森林では皆伐の方法がとられている。短期的には一番安上がりな方法であって、長期的に見てどのような結果になるか、良く考えられていないのは残念である。皆伐はしばしば土壌の浸食を招き、河川の系を乱し、森林の再生に必要な貴重な表土を奪う。また、皆伐を行うと土壌が干上がり、種子の生育が妨げられ、林冠に断絶が生じ、風や火災の被害に対する抵抗力が低下する。皆伐を大規模に行うと森林の構成が単純になって、植物や動物の多様な種を維持する力が低下する。皆伐が行われた森林のほとんどは回復しない。皆伐が行われないエリアでもまた、企業は最高級の木だけを伐採するので、森林に伝わってきた多様性が奪われ続けている。このほか、旧式の伐採搬出用重機、悪路、急傾斜エリアの伐採なども破壊的な影響を与える。ロシアの森林法には、30゜を超える傾斜での木材の伐採搬出は技術規定を厳守して行わなければならないとされ、20゜を超える傾斜では皆伐が禁止されている。しかし森林法の施行は徹底せず、ロシア極東地域全体で傾斜地の伐採による侵食、森林と水辺の生態系の破壊が続いている。

森林規制の施行不徹底
割当生産量の制限を定めた環境規制は常に無視されるのが伝統である。森林関連規制は現在も徹底施行されていない。森林事業部の予算不足がこの問題に輪をかけている。

大規模な伐採が行われたロシア極東地域の森林:

森林破壊のその他の原因

 自然火災は森林の成長過程に欠かせない役割を果たすが、人為による火災は違う。極東ロシアの火災の70-80%は人が起こしたもの−林業従事者自身によるケースが少なくない−であり、手に負えなくなることが多い。連邦政府が火災をあまり気にしていない上、燃費の高騰でヘリコプターの費用が賄いきれなくなり、森林事業部にはもはやヘリコプターをいつも消化に使える余裕がない。ロシアの研究者は、1985年以降、火災による森林消失面積が激増したことを報告している。
 森林の荒廃には石油の掘削・開発、石炭と鉄、ダイヤモンド、金の採掘、鉄道と道路の敷設も加担している。ヤクートのビリューイスク-ミルヌイ(Mirrniy)地域では既にイングランドの2倍に匹敵する土地に金の採掘が広がってしまった。かつては大部分が森林に覆われていた所である。

植林

極東ロシアでは、人の手による植林はあまり行われていない。ロシアの生態系学者の多くが、自然に再生させる方がよいと言っている。森林プランテーションには単なる樹木農場の域を出ず、複雑でダイナミックな森林の再建にはなっていないものが多いからである。単一栽培の樹木農場は生物学的に貧困で、自然の複雑な森林で繁殖していた種を支える力がない。人口の森林はまた、害虫に負けやすく、第一次遷移の、ある種の落葉樹と競合しなければならないので、生態系に危険な除草剤を大量に使用する必要も生ずる。プランテーションの木は根系の変形が多く (主因は適切な植え付けが行われないことにある) 、強風が吹くと倒れやすくもある。生態系学者は大部分が、人為的な造林を必要としない伐採方法を推奨している。
 ただ、人の手による造林の人気が高まっているようにみえる。ウェヤーハウザー・コーポレーションは、ハバロフスク地方のバニノ地域でプランテーションをつくるため、800,000本を超える苗木を極東ロシアに向けて出荷した。環境保護活動家は、豊かな資源に恵まれたこの地域に長期的な足場を築くことにこの会社の狙いがあるとみている。

その他の森林利用

シホテ-アリニ山岳地帯を初めとして、非木材森林製品(NTFP)の開発を進めれば潜在力は多大である。非木材森林製品には、チョウセンニンジン (Panax gonseng) 、アメリカタラノキ(Devil's walking stick)(Aralia mandschuria) 、タラノキ(Aralia elata)、ニクケイソウ (Ledum palustre) 、キハダ (Phellodendron amurense) 、有効な癌治療薬のタキソールを針に含んでいるイチイ (taxus cuspidata) 、タイツリオウギ(Astragalus membranaceus)、その他多種類の薬草がある。マツの実、マンシュウグリ(Manchurian chestnuts)、数々のベリー類(ブルーベリー、キイチゴ、ツルコケモモ、クマコケモモ)もそうであり、この地域には野生のマッシュルームとシダ類も豊富である。重要な食用シダの種類にはPleridium aguilinium(訳不明)とOsmunda japonica(ゼンマイ属の一種)がある。
 ロシアにはこういう植物や木の実を集める伝統が古くからある。マッシュルームや薬草を採りに、また木の実を摘みに森へ出かける習慣はロシアの文化に深く根をおろしている。シホテ-アリニ山岳地帯のビキン川、ホール川、サマルガ川などの流域に住むウデゲ族の人々は、非木材製品の金銭的な見返りは大きく、しかも持続可能な形での森林利用が可能なはずであるから、商業利用に代わる森林の貴重な利用方法だと考えている。足りないのは、国の内外を問わず製品の梱包とマーケティングに関する経験と、生産と輸出に対する優遇税制である。将来性があり、環境の持続も可能なこの産業を成功させる上で外国からの投資とマーケティングの専門知識・技術が必要である。

木材製品の対外貿易

木材輸出は長い間森林製品全体の20-25%を占めてきたが、現在は増加傾向が続いている。原木 (丸太) の輸出が大部分を占める。ロシア極東地域の木材輸出全体の70%が日本と中国向けであり、かたわら、韓国への輸出が増えてきている。米国には農務省規制による木材輸入規制があるが、主要な輸入国の一つになる可能性がある。ロシア極東地域の数港を通る木材が大部分で、50%以上がボストチニー、ナホトカ (沿海地方) 、バニノ (ハバロフスク地方) の3港から出て行く。日本へは船で運び、中国へは鉄道が使われて来たが、海上輸送も増えてきている。
 1995年3月までは連邦の "特別輸出業者許可書" がないと木材輸出に携わることができなかった。例えばハバロフスク地方にはこの許可を持つ組織が13しかなく、全ての輸出はここで行われていたが、この13の組織でつくる輸出業者協会があって、輸出相手国の輸入業者協会 (日本の場合、KS産業開発協定の参加企商社による) との交渉はこれが行っていた。港に運ばれた木材は輸出業者協会の会員の組織によって "ミキシング" されていたので、どの組織がどの木材をどの企業に提供したのかつかむことは事実上不可能だった。輸入業者は単に、船積みされる港でこれを買うだけである。しかし1995年3月25日、"輸出業者許可書" 取得義務を輸出業者に課さないことを定めた布告にエリツィン大統領が署名した。今は、新しい木材輸出規制が待たれている。
 木材の "ミキシング" とともに伐採が激増したため、違法伐採と、チョウセンマツ(Korean pine)その他の保護種の違法売買取り締まりが以前より困難になっている。非公式の報告ではあるが、出荷する保護樹種に対する課税を輸出業者が何とか逃れようとしているので、実際には公式発表よりずっと大量の木材が輸出されているということである。

木材の日ロ貿易

日本は1960年代以降ずっとロシア極東地域の木材の最大の輸入国であり、現在は世界一の木材製品輸入国である。日ロの木材貿易が最高潮だった1970年代半ばには年間900万立米の木材を、大部分は原木のまま日本は輸入していた。1990年代末にはこれがわずか4%に落ちていたが、1994年には500万立米まで回復、1995年は、鉄道とトラックによるロシア諸港への運送が安定して行われるようになったので600万立米に増加すると輸入業者は予想している。両国の大規模な木材貿易は1960年代に始まったが、ロシアは日本への製材輸出の割合を大きく伸ばすことができないでいる。この不均衡を生んでいる最大の原因は、大規模林業協定つまりKS産業プロジェクトがいくつも行われていることにある。
 日本の企業はジョイントベンチャーに投資するより、原木を港で買い付ける形を好む。ジョイントベンチャーはほとんどが小規模で、加工に重点が置かれている。ジョイントベンチャーは、原木の輸出を続けられるように、加工態勢の整備を望むロシア人の気持ちをなだめる手段にすぎないと指摘する声も、ロシアの生態学者の間には少なくない。日ロの政治的な溝が埋まり、ロシアの情勢がもっと安定すれば、ロシア極東地域に設立される日本のジョイントベンチャーが急増する可能性がある。 "木材マフィア" 、つまり森林利用許可をめぐる不可解でつかまえどころのない状況と、森林資源の所有をめぐるごたごたも、日本にジョイントベンチャー投資に二の足を踏ませる一因であろう。現在、ジョイントベンチャーの大部分はハバロフスク地方にある。
 ロシア(ロシア極東地域を含む)の木材の約75%は、製材かベニヤ板に加工されて日本の建設業と住宅産業で使われている。トウヒ、チョウセンマツ(Korean pine)、ストロープマツ、カラマツが多い。

貿易の傾向

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