あすの環境と人間を考える~アジアやアフリカで出会った人びとの暮らしから第8回 「ケータイ」がもたらした変化~ナミビアの牧畜地域における携帯電話の急速な普及とその活用

2016年08月15日グローバルネット2016年8月号

総合地球環境学研究所
手代木 功基(てしろぎ こうき)

モバイル・ファーマーの出現

「彼は“モバイル・ファーマー”に雇われているのさ」。私の調査を手伝ってくれている友人のイルモリエは、近くに移り住んできた家畜を世話する男性を見て言いました。

ここは南部アフリカ・ナミビア共和国の北西部、ナミブ砂漠にも程近い、乾燥した地域です。2010年頃から、人もまばらなこの地域に新たに移り住んでくる人々が増え始めました。移り住んでくる人々はみな家畜を管理している牧者なのですが、自らの家畜を飼養しているようには見えません。そして、彼らの多くが首から携帯電話をぶら下げているのです。不思議に感じた私が彼らは何者なのかを尋ねたところ、イルモリエは冒頭のように答えました。イルモリエが「モバイル・ファーマー」と形容したのは、都市に暮らしながら、家畜の売り買いや屠殺といった管理に関わるすべてのことを、牧者に携帯電話を経由して連絡してくる雇い主のことだったのです。

近年、携帯電話の普及に代表される情報通信環境の急速な変化が、アジア・アフリカの各地で進展していることはよく知られています。その変化の過程や速度は地域によって異なっていますが、アジア・アフリカの農村部で暮らす人々が、急速に普及してきた携帯電話を彼らの暮らしに取り入れ、活用しているであろうことは容易に想像がつきます。一方で、冒頭のモバイル・ファーマーの事例に象徴されるように、その具体的な実態はあまり知られていません。本稿では、ナミビアの牧畜地域における携帯電話の普及状況を報告するとともに、携帯電話を活用することによって人々が都市や農村といった空間を軽々と飛び越え、生業活動を展開している事例を紹介します。

携帯電話の急速な普及

ナミビアの通信事情は、ここ数年で大きく変化してきました。それを身をもって体験した象徴的なエピソードがあります。私は2006年から冒頭で紹介した村で調査を行ってきました。初めての調査は約8ヵ月間の住み込みで行うことにしていたため、滞在の前に、緊急時の連絡手段として首都で携帯電話を購入しました。当時、村の中では携帯電話の電波はほとんどなく、歩いて20分ほどの山の頂上に行って電話する必要がありました。電波がないこともあり、村では携帯電話を所有する人は数えるほどしかいなかったため、当時私が持っていたノキアの携帯電話はモノクロ表示で最低限の機能しかないにも関わらず、みんなの注目の的でした。子どもたちは携帯電話に入っている単純なゲームをやりたいがために、ひっきりなしに私の携帯電話を貸してくれと懇願していました。

「ケータイ」を操作する村の若者

それから2年ほど経って、集落にも携帯電話の電波が届くようになったころから、村人の中にも所有者が増え始めました。さらに2年後の2010年には、ほとんどすべての世帯が携帯電話を所有するようになり、最近では各世帯に1台というよりも、個人で1台ずつ持つほどになってしまったのです。今では村人たちが持っている携帯電話は、ほとんどすべてがカラー液晶となり、その多くにはカメラが付いています。人によってはスマートフォンを持ち、フェイスブックなどのソーシャルネットワーキングサービス(SNS)を使う者も出始めています。そして、時を経ても壊れることがなかった人一倍頑丈な私のノキアは、子どもたちから見向きもされなくなっただけではなく、最後には村の中でも「時代遅れのシロモノ」として逆にばかにされる対象へと化してしまったのです。

このようにナミビアでは携帯電話が急速に普及し、それが通信事情を一変させました。アフリカ諸国の多くでは、固定電話よりも携帯電話が普及しています。ナミビアにおいても同様で、固定電話は2004年において人口100人あたり6.4回線にすぎないのですが、携帯電話は2005年の時点ですでに24.4回線であり、現在では普及率は7割を超えるまでになっているのです。

携帯電話の生計戦略への活用

こうした携帯電話の普及は、当然牧畜地域に暮らす人々の生活を変化させています。村に滞在していると、もはや彼らが携帯電話を手にしていない時間はほとんどありません。インタビューをしている最中に電話がかかってきて、それで調査が中断してしまうこともしょっちゅうです。談笑している様子からは、都市部に住む友人や親戚と頻繁に連絡を取り合っていることが読み取れます。しかし、観察を続ける中で、人々の生計戦略においても携帯電話が重要な役割を担っている様子がわかってきました。

典型的な例が先述したモバイル・ファーマーです。例えばモバイル・ファーマーのイコンゴ氏は、村から300㎞ほど北の都市に定職を持ち、そこで働いています。彼は、北部の都市に住みながらも顔見知りの村長に家畜の飼養を認めてもらい、給料を元手にヤギ30頭とウシ10頭を購入しました。そして村に建設した小屋に親戚の牧者を住まわせて、家畜の飼養を任せるようになったのです。イコンゴ氏が村を訪れることは年に一度程度しかありませんが、彼は、携帯電話を使って牧者と頻繁に連絡を取り合い、常に家畜の状態を確認しているのです。そして牧者に家畜を売却させたり、その収益で家畜囲いを修復・拡張したりという作業も行わせていました。現在、20世帯に満たない小さな村の中には、イコンゴ氏の他に、2名のモバイル・ファーマーが人を雇って家畜を飼養するようになっています。

このように、携帯電話の普及にともない、遠方に居住しながら家畜の状況を逐一確認することができるという状況が生まれ、それによってモバイル・ファーマーが台頭してきました。モバイル・ファーマーたちは、都市で安定的な収入を得ながら、そのカネを家畜に投資し、生計安定化や向上の手段として、また老後の生活保障として利用しているのです。アフリカの他地域においても、携帯電話が農村部における生計維持や貧困削減に貢献することは報告されてきましたが、実は都市住民にとっても生計の向上や退職後の生活保障といった観点から、農村部へ経済活動を空間的に拡大することが可能となっているのです。

狭まる世界、変わりゆく地域

このように、携帯電話によって物理的な距離を超えて情報交換が可能になったことは、農村、都市双方に暮らす人々に新たな生計戦略を生み出す可能性をもたらしています。今回は紹介し切れませんでしたが、古くから村に住む人々も携帯電話を活用して都市の人々と連絡を取り合い、家畜を必要な時により高い価格で売る方法を生み出していました。

おそらく、彼らは今後もさまざまな形で情報通信技術の発達を活用し、生計戦略をますます変化させていくに違いありません。そしてその空間スケールも、近い将来にはナミビア国内にとどまらず、日本に暮らす私も含めた世界規模のものになっていくでしょう。しかし、こうして機会が空間を超えてやってくるようになったことで、それにうまく乗れる人と乗れない人、活用できる能力がある人とそうでない人の差異がより明確になってくる可能性も秘めています。こうした点に留意しながら、今後も絶え間なく変化し続ける地域を丁寧に見つめ、そこから将来の環境と人の関わりを考えていくことが私たちには求められているのではないでしょうか。

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