“コモンズの悲劇”の悲劇

コモンズの悲劇

アメリカの生物学者ギャレット・ハーディンは、1968年に学術誌サイエンス(Science)で“コモンズ(共有地)の悲劇”と題した論文を発表します。その論文では、誰もが利用可能な共有の放牧地では個々人が自分の利益を最大化させるために家畜頭数を増加させ、放牧地が劣化し、全体としては不利益を受けるとしています。

“コモンズの悲劇”の悲劇

私有化による経済規模拡大などを目指す開発関連の銀行に、コモンズの悲劇は放牧地の私有化は環境面でも良い効果があるという理論的根拠を与えました。アフリカでは1970年代から1980年代にかけて放牧地を私有化し、牧畜民を定住化させる大規模プロジェクトが行われました。しかし、かえって放牧地が劣化し、経済的な不公平が増し、食糧供給が不安定化するなどの問題が起こりました。お金や食糧の面の問題から牧畜民は私有化で手に入れた土地を売り払うという事態も招きました。牧畜業の専門家は、ハーディンが示した放牧地の例のようなことは起こらないと否定的に見ていましたが、コモンズの悲劇は亡霊のように援助政策に影響を与え、かえって放牧地の劣化を招いた地域があります。

モンゴルと内モンゴル

中国内モンゴルでも牧畜民に土地を割りふり、定着化させる政策がとられました。その結果、放牧地の3分の1が劣化したとする報告があります。そのようになった理由の一つは、牧畜民が自分の子ども達には将来、牧畜分野を離れ、都市部で給与をもらって欲しいと願い、その教育費を捻出するために放牧地を過剰に利用したためだとされています。また利用できる放牧地が限定されることで、植物の乏しいところに留まる時間が長くなり、放牧地の劣化が起こりました。そして家畜が十分に草を食べられなくなり、牧畜民の生活水準も悪化しました。それに対してモンゴル国は社会主義時代にも植物が乏しい放牧地に留まらないような利用方法を続けたため、放牧地の1割程度しか劣化しなかったと言われています。

モンゴルの自然~変動の激しさ

モンゴルでは雨の降る量だけでなく、降る場所も降るタイミングも大きく変化します。日本でもある程度は変化しますが、ずっと大きな変化が起こります。個人やコミュニティーが管理できるような範囲の放牧地だけ管理していても、ある年にはその地域内には雨が降らず、ほぼ草がないという状況も十分に起こります。このような環境下で放牧地の劣化を防ぐには、特定の地域内で環境容量を超えないような頭数管理を行うよりも植物の乏しい地域に留まらないように、家畜の移動性を高めることが重要とされています。

モンゴルの文化~人と家畜の共存共栄

梅棹忠夫は著作「ボドとシュトッス」において、中部ヨーロッパ山岳地方の牧畜においては、放牧地の生産力を落とさずに飼えるウシの頭数を示す、環境容量に相当する牧畜民が経験的に用いる単位“シュトッス”があるとしています。それに対して1944年から同氏が調査に入った内モンゴルでは、“ボド”という家畜に関する単位があることを牧畜民から聞き出します。しかし、それは税金などを計算する際に異なる種類の家畜を統合させるための単位であり、環境容量を表すものではありませんでした。生態学者としてモンゴルの調査を始めた同氏は、あるはずだと思っていた環境容量を示す単位が見つからず、「背負い投げをくらった」ような思いだったと述べています。シュトッスのような単位の背景には、ぎりぎりまで家畜を増やすのが当たり前という概念があるのに対して、モンゴル社会は、それほどせちがらくできておらず、環境容量ぎりぎりまで家畜を増やそうという考えがないのだと同氏はまとめています。

私が調査をしているモンゴル国ドンドゴビ県サインツァガーン郡の牧畜民の様子を見ていても、同じ印象を受けます。牧畜民たちは、その年に食べる分だけ、子どもや孫の学費など必要に迫られた分だけ、家畜を売ったり、食べたりしています。家畜を増やす理由を聞いても、現金所得を増やしたいということではなく、多い方がにぎやかでいいじゃない、という答えが返ってきます。彼らにとって遊牧とはお金を得るための仕事というよりも人間と家畜の共存共栄を願う文化そのものです。

悲劇を超えるために

コモンズの悲劇の理論から、今はコミュニティーによるコモンズである放牧地の管理へと援助機関の流れは変わっています。しかし、閉じられた地域内で特定の人々が環境容量を超えないように頭数管理、資源管理を行うという根本的な発想は変わっていません。地域の自然や文化への理解がないままでは、外部者がその地域の人々や自然に悲劇をもたらすことがあります。降水量が比較的安定し、効率的・効果的な経済活動が重視される、いわゆる“せちがらい”国に暮らす人々にとっては、コモンズの悲劇は分かりやすい理論です。しかし、外部者として他の地域に関わる以上は、その地域の風土を知り、私たちにとって馴染みのある考え方が適しているのかを批判的に考える姿勢が必要とされています。

主な参考資料:
Hardin G. (1968). The tragedy of commons. Science, 162, 1243–1248.
梅棹忠夫 (1990). ボドとシュトッス.梅棹忠夫著「梅棹忠夫著作集 第2巻」, 中央公論社, 東京, 381–392.

作成日:2017年02月02日 05時15分