日本の沿岸を歩く海幸と人と環境と第94回 魚醤作りから「教育とビジネス一体」実現―新潟県・糸魚川
2025年01月17日グローバルネット2025年1月号
ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)
本州を分断する糸魚川静岡構造線がある糸魚川市。その沖の日本海は海底の起伏が激しく好漁場になっており、南蛮エビ(甘エビ)やベニズワイガニ、ニギスなど多彩な魚介類が捕れる。ここにある新潟県立海洋高校は実習で魚醤を生み出し、さらに元教員が立ち上げた水産加工会社「能水商店」や糸魚川市と協力し、学校教育とキャリア教育の連携事業として定着させた。生徒たちは加工や販売などの現場で理論を体験的に学んでいる。生徒たちの充足感や各方面からの高い評価が地域を元気にしている。
●廃棄サケを有効に利用
直江津から「えちごトキめき鉄道」で糸魚川駅に着いた。駅前には当地出身の相馬御風の案内板があった。童謡『春よこい』や早稲田大学校歌などの作詞者であり、日本産はないと思われていたヒスイの存在を言い当てた人物。親不知海岸やヒスイ海岸を見て、駅から15㎞ほどにある食品工場を兼ねた株式会社能水商店に到着した。

親不知海岸
代表取締役の松本将史さんは新潟市生まれで、日本大学海洋生物資源科学科を卒業後、2002年に県立海洋高校の教諭となった。ここで水産食品の製造、品質管理、流通などを担当したが、赴任早々、近くの能生川(二級河川)のサケ放流増殖事業で採卵後のサケが利用されず廃棄されていることに驚いた。
そこで高校の食品実習の中で生徒と一緒に活用策を探り、サケとばの商品化に成功した。「釣った魚はすべて食べなくては」と松本さんは信条を明かす。さらに多くの廃棄サケを利用する方法として魚醤に加工するアイデアが出てきた。食品科学コースの「課題研究」として生徒たちと開発を開始し、松本さんは東海大学海洋学部(静岡県)で半年間、加工方法の研究をした。折よく新潟県の研究機関が考案した魚醤製造法を導入し、独特の臭みを取り除くことができた。
13年に魚醤が完成し、商品名「最後の一滴」として道の駅「マリンドリーム能生」で試験販売を開始した。高校生ビジネスを盤石にするため、松本さんは糸魚川市の支援を求めて奔走し、糸魚川市の「水産資源活用産学官連携事業」が実現した。産学の連携では海洋高校が商品開発、マーケティング、販売を担当、一方、運営の受け皿として海洋高校同窓会が水産加工販売の事業所「シーフードカンパニー能水商店」を立ち上げた。ここが生産、施設管理、財務、会計を担った。生徒たちは部活動の放課後と休日に作業場で働き、土日にはイベントなどで販売活動をした。疑似的な学校内実習とは異なり、生徒たちはリアルなビジネスに本気モードで頑張ったという。

サケ魚醤「最後の一滴」
最後の一滴の販売は好調で、人気テレビ番組で紹介されたこともあって17年までの3年間で年商3,500万円にまで拡大した。収益を国内外の展示会や催事販売に生徒を派遣する費用などに充てることができた。
松本さんは、高校の教育課程に縛られずにさらに事業を拡大したいと考えた。18年に高校を退職、退職金を資本金に充てて株式会社能水商店を設立。食品科学コース3年生の「課題研究」と「総合実習」としての実働は年間20時間増えて120時間程度になった。
●発眼卵の放流を始める
魚醤の原料提供元である能生内水面漁業協同組合との関係も深まった。松本さんは漁協の組合員(24年に代表理事組合長)として、能水商店の社員とともにサケの増殖事業に参画。近隣河川の廃棄サケも回収して加工している。また、海洋高校と連携して眼が現れた受精卵を川床に戻す「発眼卵放流」も始めた。稚魚で放流するより生存率が高くなることが期待されている。21年以後、毎年20万粒前後を放流している。
海洋高校は「サケ資源を守る環境教育を通した地域づくり」に功績があったとして23年度新潟県環境賞大賞を受賞した。これはほんの一例で、これまでに「ディスカバー農村漁村の宝 農林水産大臣賞」(2016年)など多数の受賞がある。社会的な認知度が高くなり、以前の定員(80人)割れは解消し、県外からの入学者が増えている。能水商店には同校卒業の若者が就職、転職してくるケースもあり、現在5人の社員のうち2人、パート12人のうち2人が海洋高校OBだ。
松本さんは「当初は手探りでしたが、生徒たちの頑張りに加えて同窓会、地域の人たちの理解と温かい支援をいただき、ここまでやれました」と感謝する。
AI(人工知能)の登場など産業構造が著しく変化する中で、海洋高校は文部科学省のマイスター・ハイスクール(次世代地域産業人材育成刷新事業)に指定された(21年)。松本さんは管理者として週数日高校に勤務している。
生徒への職業教育支援はさらに拡大し、松本さんは別会社の株式会社LIGHTSHIPを設立した。能水商店とは別建ての広域通信制高校サポート校「ライトシップ高等学院」を今年4月に開校するためだ。学習拠点は糸魚川市の東隣の上越市直江津。全国に前例のないシステムで、新潟産業大学附属高等学校と提携する。カリキュラムは週5日のうち3日は生徒が地元企業で働き(有給)、1日は通信学習、1日は地域おこしのためのソーシャルビジネスに取り組む。卒業後は大学進学もできる柔軟的なシステムだ。OJT(有給での職業教育)の受け入れ可能な企業は既に50社を超す。
日本では不登校や就職後の高い離職率など、教育と就職のミスマッチが深刻な社会問題になっている。それだけに教育と社会の関係構築の新たな手法に関係者の関心が集まる。松本さんは「充実した職業人生を歩めるように、働くことの意味ややりがいを体感できる機会を提供したい。県内企業の担い手不足の解消に少しでも貢献できれば」と期待。技能習熟だけでなく郷土愛を持ったリーダー人材が育つこと、一時的に故郷を離れてもまた戻ってくれることも願っている。筆者はサケのような回帰を想像した。
●大の里ら実力力士輩出
能水商店では作業場で魚醤のろ過作業を見せてもらい、近くにある道の駅「マリンドリーム能生」の「新潟海洋高校アンテナショップ能水商店」も訪ねた。約100m2の売り場に高校生が開発した商品約40点がそろい、最後の一滴から作ったビターカラメルをトッピングしたソフトクリームが大人気だという。

新潟海洋高校アンテナショップ能水商店
海洋高校には有名な相撲部がある。昨年の5月場所で史上最速優勝を果たした大の里(9月場所も優勝)をはじめ、王輝(引退)、白熊、嘉陽、欧勝海が同校出身者。販売中の「ごっつぁんラーメン」は「最後の一滴」「甘えび醤油」がおいしさの決め手になっている。
道の駅にはベニズワイガニの売店が集まった「かにや横丁」があり、見学ができる上越漁業協同組合の昼競りも人気の観光スポットになっている。
糸魚川で新潟県取材を終えると、糸魚川駅から富山経由で広島への帰途に就いた。その後の8月3日に「糸魚川おまんた祭り」があった。「おまんた」は糸魚川の方言で「あなた方」の意。新潟県が生んだ国民的歌手、三波春夫の『おまんた囃子』が呼びかけるのは「祭りの日に故郷に戻って一緒に踊ろうよ」である。