そんなに急いで どこへ行く??”夢の超特急”リニア沿線からの報告?第9回 「枯らしてはならない」ある山ヤの叫び(静岡県焼津市)
2025年03月14日グローバルネット2025年3月号
ジャーナリスト
井澤 宏明(いざわ ひろあき)
●「流量減少」予測の沢を遡行
静岡県焼津市に住む「ナウシカ山の会」代表でクライマーの服部隆さん(72)は昨年7月、山仲間ら4人と南アルプスの大井川源流部、西俣支流の蛇抜沢の遡行に挑んだ。服部さんは大学入学直前の春休みに登った安倍川上流の山から望んだ南アルプスに魅せられて半世紀、南、北、中央アルプスの山や谷、海外の岩場を、裁判所職員として働きながら登ってきた。
蛇抜沢は南アルプス南部の中核をなす荒川三山の最高峰・悪沢岳(東岳、標高3,141m)を源流とする沢だ。悪沢岳は深田久弥の「日本百名山」で知られ、南アルプス国立公園、ユネスコエコパーク(生物圏保存地域)の一部にもなっている。静岡県など3県にまたがるリニア中央新幹線の南アルプストンネル(約25km)は、大井川源流部の東俣、西俣の真下だけでなく、この蛇抜沢など無数の沢の真下も貫く計画だ。
JR東海は、2020年4月にスタートした国の有識者会議で、南アルプス国立公園の「特別保護地区」などでトンネル掘削により地下水位が最大300m以上低下し、蛇抜沢を含めた大井川源流部の8つの沢で流量減少が予測される――などと環境影響評価(環境アセスメント)では示さなかった深刻な被害の可能性をようやく明らかにした。その一方で、アクセスの困難さなどを理由に沢の上流域の調査は行わず、ドローンなどを使った調査にとどめてきた(同社によると今年2月現在、33沢のうち、上流域まで遡行調査したのは2沢)。
そこで、「このままでは南ア大井川上流域の自然は壊滅的な打撃を受けることは間違いない。ならば、『その影響を強く受ける』とされる沢を、我々山ヤこそが自分の足で、自分の目で、五感を駆使して、その自然の姿を確かめよう」(報告書より)と計画したのが今回の遡行だ。アナログ派の服部さんは、スマートフォンもパソコンも持たない。登山にもGPSは携行せず、地図とコンパスと山ヤの勘だけが頼りだ。
南アルプスの特に南部は、登山口へのアプローチが長いことで知られる。服部さんたちのパーティーはJR静岡駅から二軒小屋まで車で約4時間、西俣沿いの林道を2時間弱歩いて標高約1,560mの蛇抜沢出合(西俣との合流点)に到着した。蛇抜沢は標高差1,580m余り、約4kmの長さの直線的な沢だ。
●蛇抜沢、自然の豊かさ体現
「水が多くてびっくりしました」。蛇抜沢の下流部は急流で、次々と現れる滝は水量が多く直登できない。ロープで安全を確保しながら、沢から離れた草付きを登る「高巻き」や沢に降りる「懸垂下降」を繰り返した。標高差約200mを登るのに約3時間を要した。
遡行前の記者会見で「それって何の意味があるの。有識者会議で議論してるでしょ」と心ない質問を浴びせられたが、数多くの発見があった。蛇抜沢は緑が濃く、鳥のさえずりも多く、ツキノワグマのフンなど動物の痕跡も多く見つかった。「南アルプス南部の自然の豊かさを体現している素晴らしい沢だ」という。
遡行中にウェアラブル(装着型)カメラで撮った映像を見た静岡県専門部会の塩坂邦雄委員(株式会社サイエンス技師長、工学博士)は、沢岸の岩肌から流れ出ている複数の「湧水」に着目。この湧水は「水がたまっている断層破砕帯から一年中安定して出ている大井川の上流部の沢を支える水」だとし、「トンネルを掘ると断層破砕帯にぶつかるから、圧力のかかった水が全部トンネルに抜けて湧水が出なくなるので、沢が砂漠化し魚がすめなくなってしまう」と危惧する。
今回の遡行の映像は「大井川の水を守る62万人運動」YouTube公式チャンネルで公開されている。ハイライトは蛇抜沢の源流部、ダケカンバ林に囲まれひっそりと水をたたえる標高約2,700mの「天鏡池」だ。服部さんは映像でトンネル掘削によりこの池が枯れる可能性があることに触れ、切々と訴える。「皆さん、ぜひ見てください。けもの道が天鏡池まで続いています。いかにこの池が生き物たちにとって大切なものかということです。枯らしてはなりません」。最後は涙声に。
一方、JR東海は「天鏡池」など高標高部の池の水は「深部の地下水と直接的には繋がっておらず、トンネル掘削により地下水位が低下しても影響はないと考えられる」とするが、有識者の納得は得られていない。
この映像は服部さんによって、静岡県の森貴志副知事や静岡市の難波喬司市長に直接手渡され、静岡市の有識者会議で2度にわたって上映された。
●「南アルプスの悲鳴が聞こえる」
服部さんは、国のリニア工事認可取り消しを求め沿線住民ら782人が起こした行政訴訟「ストップ・リニア!訴訟」(東京地裁は請求棄却、東京高裁で係争中)の原告でもある。参加の動機を「南アルプスに人間の勝手で穴を開けて水が抜け、落ち度もない生き物、植物が死んでいく、殺されていくのがどうしても我慢できない。彼らは日本語がしゃべれない。だったら僕が代理人になろうという思いだった」と振り返る。

蛇抜沢の遡行調査について手作り地図で説明する服部さん
(2024年10月26日、静岡市の県産業経済会館で)
静岡県には南アルプストンネルの本坑(幅14m×高さ8m、長さ8.9km)の他、先進坑(7m×6m、8.9km)、千石斜坑(11m×9m、3km)、西俣斜坑(同、3.5km)、工事用トンネル(9m×6m、3.9km)、導水路トンネル(5m×4m、11km)の計6本のトンネルが掘られる(数字はすべて「約」)。服部さんは「南アルプスの内臓をえぐり出すに等しい。私には南アルプスの悲鳴がはっきりと聞こえる」と批判するが、声を上げる山岳関係者は数えるほどしかいない。
今年1月23日の控訴審第4回口頭弁論後に開かれた報告集会では、蛇抜沢の映像を見せながら講演した服部さんが参加者から「アルピニストやハイカーがリニアの自然破壊、環境破壊について声を上げているのをあまり聞かない。山岳雑誌にも載らない」と質問され、「まったく同感です」と苦笑する場面があった。
服部さんによると、39ページに及ぶ手書きの報告書を山岳雑誌『山と渓谷』や『岳人』編集部などに送り、昨年10月26日に静岡市内で開いた報告集会の取材を呼びかけたが反応はなかった。「南(アルプス)がダメなら北に行きゃいいやと食い逃げするような山ヤもいるとは思うが、それでいいのか」。危機感を募らせ今年4月20日には、服部さんや山岳ガイド、山岳気象予報士が参加して、長野県松本市の市勤労者福祉センターで登山者集会「南アルプスからのSOS」を開く(主催「大鹿の十年先を変える会」、電話0265-39-2067)。
「リニアは国家的事業と言っているが、南アルプスは国立公園でユネスコエコパークだから、保全するのは国策で国際的な日本の責務だ」とリニアのルート変更まで主張した静岡県の川勝平太前知事が昨年4月、「舌禍」で退任。鈴木康友知事は、JR東海が山梨県側から掘削している高速長尺先進ボーリングの静岡県境越えにゴーサインを出した。11月20日に県境を越えたものの、12月には穴が詰まり中断。現在、県境まで500m以内に迫った先進坑を山梨県側から掘り進めている。
2014年6月の環境大臣意見で「河川の生態系に不可逆的な影響を与える可能性が高い」とされたリニアは、環境影響評価書に公表されているだけでも山梨実験線の8流域で水枯れや減水を起こしている。岐阜県瑞浪市で24年に発生した水枯れや地盤沈下は止まらず、北陸、九州、北海道新幹線でも水枯れは起きている。
立教大学の学生時代、宇井純・東京大学工学部助手(後に沖縄大学名誉教授)が主宰していた夜間自主講座「公害原論」に通って薫陶を受け、水俣病など公害裁判の支援活動にも取り組んだ服部さんは、国や静岡県、静岡市が進める「科学的・工学的」な観点からの議論に異議を唱え、南アルプスに穴を開けることが「『倫理的』に許されるのか」と問いかける。「南アルプスは次の世代に必ず引き継いでいかなきゃならない公共財産。すべての沢の水を決して減らしてはいけない」