フォーラム随想京都議定書後、私たちは何をやってきたのか~演劇「KYOTO」を見て考えたこと
2025年09月17日グローバルネット2025年9月号
千葉商科大学名誉教授 「八ヶ岳自給圏をつくる会」代表
鮎川 ゆりか(あゆかわ ゆりか)
気象庁の発表によると、7月の月平均気温は統計開始以来最も高い記録を3年続けて更新したとのこと。さらに8月5日は群馬県伊勢崎市で、国内観測史上最高記録の41・8℃が記録され、その他にも40℃以上が関東の14地点で観測された。明らかに地球温暖化が危険な域に加速している。
これを防ぐための京都議定書が採択されたのは28年前の1997年12月だ。その後私たちは何をやってきたのか。そのようなことを考えさせられる今年の夏である。
この京都会議を題材にした演劇が英国のロイヤル・シェイクスピア・カンパニーによって大ヒットした。タイトルは「KYOTO」だ。
「KYOTO」を知ったのは昨年夏。当時の気候行動ネットワーク(CAN)*の仲間とのメールのやり取りで、リーダー的存在のビル・ヘア氏(現クライメート・アナリティクス共同創設者・CEO)が「KYOTO」を話題にし、「みんな見るべき。今こそ京都会議の意味を考える時」と言った。この言葉で、私はすぐにでもロンドンに行ってこの劇を見たいと思った。
その夢がこの夏かなった。英国版を翻訳した日本語版が6月末から7月13日まで、劇団「燐光群」によって東京で上演されたからだ。(*気候変動問題に取り組む非政府組織の世界的ネットワーク)
これは1997年に京都で開催された気候変動枠組条約の第3回締約国会議(COP3、京都会議)の最終日に、どのようにして、意見の異なる国の間で、京都議定書の合意文書を作り上げたかを描いている。世界で初めて、先進国に2010年までの削減目標を掲げさせた京都議定書。多くの国々の主張と譲り合いがあり、最終日を延長してでも「全員一致」の合意が得られたことの意味は大きい。
私はこの京都会議のために、国際環境NGOのWWF(世界自然保護基金)に採用され、日本で気候変動問題を焦点化し、会議を盛り上げるキャンペーンを行った。しかし条約交渉は初めてのことで、交渉内容は理解できていなかった。今回この演劇を見たことで、当時、何が議論されていたのか、より良く理解できたような気がする。
しかしこの劇は、なぜ英国で作られ、数々の演劇の最優秀賞の候補となっているのか。なぜ主催国だった「日本」ではないのか。
日本は削減目標が予想以上のものになり、その後アメリカが離脱したことから、産業界は全体として、京都議定書に後ろ向きだった。しかし2001年7月に開かれたCOP6再開会合で、日本の森林吸収量を、約束目標6%のうち、3・9%まで認められ、日本が批准できる条件がそろった。当時の小泉政権が日本の批准を行い、その後ロシアも批准したことで、2005年2月16日に議定書は発効し、正式な国際条約となった。
その記念すべき発効の日、WWFジャパンは他のNGOとともに、銀座のソニービル(当時)で「祝賀会」を開き、当時の環境大臣、小池百合子氏を招いた。当日の朝は、虎屋提供の紅白まんじゅうを、シロクマのぬいぐるみを着たスタッフが通行人に配るというイベントも行った。
しかしそれが実現するまで「産業界は反対だから、祝うようなことではない」と業界の人から何回も言われたことが忘れられない。
こうして多難な中でようやく発効した京都議定書を、日本は「誇り」とするより「厄介なもの」としており、目標達成への手段は日本経団連の「自主行動計画」に依拠するのみ。再生可能エネルギーの推進や、住宅・建物の省エネ基準の強化は遅れ、「炭素税」は達成できるレベル。今でも化石燃料の使用をやめようとせず、代わりに京都議定書では認められなかった原子力発電を強く推進している。
あと2年で京都議定書から30年を迎える。このKYOTO上演が、地球温暖化を止めるための、リアルな「削減」へ政策手段を実施させる突破口となり、皆が前に進む第一歩となることを祈る。この灼熱の夏の中で。