フォーラム随想未だ答えが見つからず

2016年01月15日グローバルネット2016年1月号

地球・人間環境フォーラム理事長
炭谷 茂(すみたに しげる)

学生時代から福祉の現場に飛び込んで半世紀。

高校時代、「社会は、本当に冷酷なものだ」という思いに追いやられる辛い経験を重ねた。藤圭子の刹那的なメロディーのヒット曲「夢は夜ひらく」は、私の暗鬱な10代後半の彷徨と重なる。

だが、振り返って、この経験は、自分の人生の転機になった。その後どんな苦しい局面でも「あの時に比べれば、大したことない」と高をくくれた。大学に入ってから「少しでも良い社会にしたい」と、障害者やスラムなど社会の最底辺に暮らす人へのボランティア活動を行う動機になった。

その後活動領域は、刑務所出所者、被差別部落、難病患者、元ハンセン病患者、在日外国人などと拡大していった。

旧厚生省に入ったのもこのためである。日本社会の最底辺の事情を体験的に熟知していることは、仕事に自信が持てた。国際情勢や経済情勢の変化は、社会の一番弱い層に直ちに影響を与える。今であれば、シリア難民情勢、福島原発事故処理である。彼らの生活を観察していると、現在世界や日本で何が起こっているかわかる。

公務員として仕事していたころ、本による表面的な知識だけの上司や学者に接すると「何もわかってない」とため息をついた。

私の学生時代、スラムの居住者は、30代、40代が中心だった。地方から仕事を求めて集まる寄せ場機能を果たし、ある面で活気があった。公務員としてホームレス問題に従事した平成10年ごろは、60代の高齢者が大半になった。

今日でも高齢者が中心だが、20代の若年者が混じり始めたのには驚く。これは、私の半世紀の経験にはなかった。将来ある若者が、ホームレスになったり、スラムで生活したりすることは、日本社会の歯車がどこかで狂い始めたのだ。実は、欧米では以前から同様な現象が見られた。

障害者に対する偏見・差別は、依然として強い。むしろ最近は、悪化している。

去年ベルリンに障害者対策の仕事で出張した。重度の障害者が健常者と一緒に日常的に働いている姿を目にした。障害者の社会参加では、「日本は、30年は遅れている」と実感した。日本の行政官や社会保障学者は、「日本の社会保障はヨーロッパを上回った」と豪語する。表面的な数字ではそうだが、社会の実態は違う。

障害者の本当の実態は、彼らと5年くらいは起居を共にしないとわからないものだ。公務員で「自分は障害者の実態をよく知っている」という人に出会う。聞くと各地の障害者施設を10くらい視察した程度だ。これでは話にならない。

福祉関係の支援活動を50年、経験だけは長くなった。しかし、未だに相手の本当の気持ちが完全にわからない。「足を踏まれた者でないと痛みはわからない」という。同じ目線で接するように最大限努力してきたつもりだが……。

仕事柄、がん治療のための相談を受けることがある。医学については素人であるので戸惑う。しかし、本人の気持ちを察するとぞんざいに扱えない。がんの告知を受けたときの衝撃は、本人でないとわからない。藁をもつかみたい心境だろうから。

医師が、患者に対して不用意な発言をして傷つけることがしばしば起こる。98歳になる私の母が、15年くらい前に大病院で診察を受けたとき、さまざまな症状を訴えたところ、40代の医師から「いつまで生きるつもりか」と言われ、ショックを感じたという。

障害者についても当事者でなければわからないことがある。私は、時には相手の感情を害しているだろう。障害者とともに、働き、学び、遊ぶことを通して彼らの本当の気持ちをわかろうと努力してきた。しかし、未だ道半ばだ。

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