環境研究最前線~つくば・国環研からのレポート第24回 地球環境を測る宇宙の眼”いぶき”

2016年12月15日グローバルネット2016年10月号

地球・人間環境フォーラム
織田 伸和(おだのぶかず)

2009年1月、種子島から温室効果ガス観測技術衛星“いぶき”が打ち上げられました。“いぶき”は二酸化炭素(CO2)などの温室効果ガスを宇宙から観測することを主目的とする世界初の人工衛星です。国立環境研究所(NIES)、環境省、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が共同で運用しており、設計寿命の5年を過ぎて、7年以上たった現在も観測を続けています。では、なぜ宇宙から温室効果ガスを観測する必要があるのでしょうか。

現在問題となっている地球温暖化が将来どのように進み、どのような影響がもたらされるのかを正しく予測するためには、温室効果ガスがどこでどれだけ吸収・排出されているのかを正しく知ることが重要です。温室効果ガス濃度の時空間変動を解析することで吸収・排出量の推定が可能ですが、地上での観測地点は北半球の先進国周辺などに偏っており、とくにアフリカなどは観測の空白域となっているため、このままでは正しい吸収・排出量を推定することができません。

宇宙から観測する“いぶき”は、回帰日数(衛星が同一地点の上空に戻るまでの日数)約3日で、地球表面の全域、約6万ヵ所の地点を観測することができます。“いぶき”が観測したデータと地上観測データとを併せて解析することで、温室効果ガスの吸収・排出量の推定精度を高めることができ、またアジアや北米など地域ごとの吸収・排出状況を把握することができます。これらのデータは、今後の温暖化予測や影響評価の精度向上に役立てられ、地球規模での環境行政に貢献することもできます。

CO2濃度を直接測っていない?

今回はこの“いぶき”による温室効果ガス観測についてCO2濃度測定を例にして紹介します。 地上の場合、観測所で空気を直接測定器に入れることでその場のCO2濃度を測定することができますが、“いぶき”は大気のない宇宙空間にあるため直接空気を測定することはできません。では、何を見ているのかというと、地表面で反射し地球大気を通過してきた太陽光を観測しています。

図1 衛星による観測のイメージ

CO2は太陽光の中のある特定の光を吸収する性質があるため、CO2が多い大気を通過するとこの光の強さだけが他の光に比べて弱くなります。このように、一部の光が弱くなっているスペクトルを「吸収スペクトル」といいます。この吸収スペクトルを見ることで地表面から“いぶき”に届くまでの経路上にあるCO2が多いのか少ないのかがわかります(図1)

しかし、実際にCO2濃度がどれくらいなのかはすぐにはわかりません。そこで、吸収スペクトルからCO2濃度を求める必要があります。これをどのように行っているのか、国立環境研究所の吉田幸生衛星観測研究室主任研究員に伺ってみました。

手掛かりから探し出す

「計算機の中にもう一つの地球大気を作ります。“いぶき”がこの仮想地球大気を観測した場合に得られるであろう吸収スペクトルを理論的に求め、これと本物の地球を観測した時の吸収スペクトルを比較します。そこからCO2濃度を求めるのです」と吉田氏は言います。

例として “ある日”の日本付近を測定した場合を見てみます。気象条件、経済活動による化石燃料の消費量などの統計データから推測したCO2排出量などを計算機に入力し、ある日の日本付近のCO2濃度をモデル計算で求めます。

図2 実測と理論スペクトルの比較

このモデル計算で求めた状態を“いぶき”が観測した場合、どのような吸収スペクトルが得られるかを計算します。この計算によって得られた吸収スペクトルを理論スペクトルといいますが、これと実際に観測した本物の地球大気の吸収スペクトルとを比較し、一致していればその時のCO2濃度はモデルで求めたCO2濃度の通りとなります(図2)

もし一致していなければ、CO2濃度などを調節(最適化)して理論スペクトルを実際のスペクトルと一致するように作り直し、一致したときの値を濃度とします。 そこにある観測結果(吸収スペクトル)と手掛かり(理論スペクトル)を使って濃度を探っていく流れは、現場に残された証拠から犯人を推測する推理小説に例えられることもあり、この点で吉田氏はCO2濃度を探し当てる名探偵といえるかもしれません。

こうして得られた濃度は、“いぶき”がつくばなど地上観測点の上空を通過したときに地上観測で得られた濃度と比較検証され、その正しさを確認します。

トライ・アンド・エラー

「思ったよりずれたな」、吉田氏は最初の“いぶき”観測データの解析結果を見てこう思ったといいます。観測結果が、打ち上げ前に評価されていた推定誤差の倍近くも、モデル計算によるCO2濃度からずれていたのです。モデル計算または各種統計データが間違っているのか、はたまた“いぶき”のセンサそのものに問題があるのか。吉田氏は原因についてさまざまな検証を試みます。しかし、なかなか原因がわかりません。

「一ヵ所に絞って調べるのではなく、これは違うだろうという点も含めて検証改良し、トライ・アンド・エラーを繰り返すしかないのです」、吉田氏はこの時の苦労を振り返ります。こうしてさまざまな条件を検証し、試行錯誤するうちに、理論スペクトルの計算に使ったデータの一部に問題があるのではないかということに気が付き、これを改良したところ精度は劇的に良くなりました。「しかし大事なのは、それが偶然ではなく理論的に解釈できるのかを明らかにすることです」と吉田氏は言います。原因と見られる点を改良したら、たまたま良くなったのではなく、理論的にも矛盾点なく説明できるのか、吉田氏はさらに検討を加え、ついに問題点の改良に成功します。

「改良点が見つかりうまく修正できた時は、やはり嬉しいものです。そしてこれが改良の面白いところでもあります。先の推理小説の例で言えば、犯人を見つけるまでの試行錯誤が大事で面白い。もちろん見当違いがあって振り出しに戻ることもあるものの、スパっと綺麗に問題が解決したときはやはり楽しい」と吉田氏は振り返ります。吉田氏が行った細部にとらわれることなく、広い視野をもって対処するということは、“いぶき”に限らず科学技術に関わる者すべてが忘れてはならないことだと思います。こうしてデータの不確かさが1%以下まで精度が向上したデータはバージョン2として2012年に公表され、このデータは世界中の研究者に利用されています。

さらなる向上へ

データの質を高めるための改良や検証は、一見すると地味な作業に見えるかもしれません。しかし、さまざまな研究の基礎となるデータの精度を向上させることが全ての研究の精度を向上させることになります。そしてその研究から新しい知見が得られると、そこからまた新しい疑問が発生します。その疑問を解明するために研究者は新たな解決法を研究していきます。

「現在はバージョン3の研究を行っています」と吉田氏。2018年に打ち上げ予定の“いぶき”後継機による観測と併せて、今後、新た知見の発見が期待されます。

“いぶき”についてさらに詳しく知りたい方は、以下のWEBサイトを是非ご参照ください。 http://www.gosat.nies.go.jp/index.html

タグ:,