特集/持続可能な地域づくりを受け継ぐ~長野県飯田市「地域ぐるみ環境ISO研究会」の20年とこれから~<インタビュー> 20周年を迎えた地域ぐるみ環境ISO研究会代表を務める多摩川精機株式会社副会長の萩本範文さん

2016年11月15日グローバルネット2016年11月号

1990年代は、地球サミットや京都議定書の採択など、地球環境問題に対する世界的な仕組みが生まれ、さらに国際規格ISO14001の運用が始まり日本国内でも約2万社が取得するなど広がりを見せましたが、2000年代に入ると地域独自の環境マネジメントシステムも運用を取りやめる自治体も出始め、行き詰まりも感じられます。

そんな中、長野県飯田市では、市を含む地域の28事業所が参画する「地域ぐるみ環境ISO研究会」が独自の環境マネジメントシステムを作り、持続可能な社会づくりを目指す取り組みを続けてきました。本特集では、今年12月に設立20周年を迎える同研究会の活動を牽引してきた会の代表および活動に携わってきた事務局や関係者にこれまでの取り組みの成果や課題をご紹介いただきます。

<インタビュー>
20周年を迎えた地域ぐるみ環境ISO研究会代表を務める多摩川精機株式会社副会長の萩本範文さん
地域ぐるみの環境改善活動をリードしたのは郷土愛にあふれた一企業経営者

 

グローバルネット編集部 (平野 喬)

企業の環境経営を推進するための国際的な標準規格を地域全体の環境活動にも取り込み、地域のポテンシャルを高めてきたユニークな企業がある。

長野県飯田市にある多摩川精機株式会社で、推進役になってきたのが同社で1998年から2014年まで社長を務めてきた現副会長の萩本範文(はぎもと のりふみ)さん(72)。1997年に「地域ぐるみでISOへ挑戦しよう研究会」を発足させ、自ら代表に就任。企業経営者として大活躍しただけでなく、行政、市民を巻き込んだ環境活動を発展させ、飯田市を環境文化都市として育て上げることに尽力した。

萩本 範文さん

地域の持続的発展を20年にわたってけん引してきた萩本さんに、企業の社会的責任、地元への強烈なこだわり、企業と地域の絆、さらには経営者のあるべき姿などについて伺った。

萩本さんらが地域ぐるみで取り組んできたISO 14001というのは、国際標準化機構(ISO=本部・スイス)という非政府組織が定めた環境経営のための国際規格。 1996年にスタートし、ISO 14001は企業が環境に配慮した生産、品質管理を行っているかどうかの規格であるため、この規格をクリアすると環境配慮企業としての看板になる。

 

 

 

環境問題は点ではなく面でやる地域活動企業にとって最大のステークホルダーは地域

日本でも認証取得がブームになった。翌年の1997年には気候変動枠組条約の国際会議が京都で開かれ、初めて先進国を対象にした温室効果ガスの法的規制が決まるなど、世界的な環境意識の高まりの中で日本企業の認証取得が世界一となった時期もあった。

もともと企業経営のためのシステムであり、PDCAサイクル(※1)という手法で個々の企業の工場や事業所で取り組まれた。

企業経営者として、なぜ企業内の取り組みにとどめず、地域ぐるみで実行しようとしたのだろうか。1997年という年は同社にとって、業績は決して順調ではなかったという。

「1996年からオムロン飯田、平和時計製作所(当時)、多摩川精機の3社で、技術交流を目的に生産技術研究会というのを立ち上げていました。1997年から飯田市のエコタウン事業が始まるのに合わせて、環境版の研究会として始めたのがISO研究会だったのです。環境問題は点ではなく面でやる地域活動ですから、一事業者が自分のサイト内だけで取り組んでも、本来の環境問題の解決にはならないんです。地域の企業、事業所や自治体がその枠を超え、連携して“ぐるみ運動”を展開することによって地域全体がレベルアップする。企業にとって最大のステークホルダーは地域です。それがなければ支えられないわけですから。ISOの考え方が家庭に伝われば、その取り組みは草の根の運動になります。結果として環境意識の高い街として全国にアピールすることができれば、人やものをこの谷に呼び、地域の活性化にもつながります。地域ぐるみというネーミングも私が考えました」

スイスの精密工業を飯田市で目指した創業者地域貢献を経営のモチベーションにした三代目社長

多摩川精機の創業は1938年。本社は東京・大田区の多摩川の近くにあったが、長野県飯田市に5万坪の工場を造り、工作機械と航空計器の製造を始めた。

創業者の萩本博市氏は、範文さんの大伯父に当たる人で、同県下伊那郡泰阜村の出身。当時、長野の寒村からは満州開拓という国策のため、多くの農民がふるさとを出て、中国に渡った。もともと小学校の教員だった博市氏は、こうした状況に心を痛め、農林業主体のふるさとが発展するには、精密機械工業への転換がどうしても必要だとして、工業技術を東京高等工業学校(現在の東京工業大学)で学び、多摩川精機の設立にこぎつけた。現在は年間の売上高が450億円を超え、従業員は約700人。その博市氏の壮大な理念として次のような言葉が残されている。

「わが社は30年計画で信州の工業化を進め、農山村の郷土に欧州のスイス国のごとき世界に誇る精密工業を定着させて郷土県民の将来の生活安定を図りたい。最初の10年間は、東京に郷里の有能な青少年を集めて将来の幹部教育をし、会社の基盤づくりを行う。次の10年間は信州・飯田に工場を設置し、最後の10年間で飯田周辺の各市町村に工場を造り精密機械産業を広めたい」

創業者から数えて三代目の社長を務めた萩本範文さんは、トヨタのハイブリッド車プリウスに不可欠の部品である角度センサー(※2)を10年がかりで開発した。バブル崩壊後の業績悪化の中で、開発担当の常務として萩本さんが指揮を執り、プリウスへの部品提供が実現したことで、同社は危機から脱出した。今やトヨタだけでなく世界中のハイブリッド車が多摩川精機の角度センサーなしでは動けない状況になっている。

「工作機械やロボットなどの生産技術で貢献できないかとトヨタに働き掛けたのですが、うちの角度センサーを自動車に使いたいと言われました。われわれが目指した仕事ではないので躊躇しましたが、断れば誰かがやるのだろう、誰かにできるのなら私でもできると、そんないい加減な理由で始めたのです。1993年のことです。プリウスの一号車は1997年に世に出ました」

さらに2014年には米国の航空機メーカー、ボーイング社の旅客機B737MAXの飛行制御装置用のセンサーの提供とサポート契約を結ぶなど、10年ごとに華々しい業績を上げている。

地域のポテンシャルが高くなければ良い企業は育たない

今や世界的な企業に発展している多摩川精機を率いている萩本さんは、経営者としてのモチベーションについて意外な話をされた。

「私のようにオーナーでもない人間には特別のエネルギーが必要でした。大変な苦境を乗り切るためには、高い志を自分の中に据えないとつぶれてしまう気がしました。私が自分の背中を押すエネルギーに求めたのは地域への貢献だったのです。創業社長の目指した地域産業の振興という哲学を自分の中に持ち込んで、自分自身を鼓舞するエネルギーにしました」

企業の業績を上げることで雇用を増やし、環境改善の仕組みを地域に広げ、地域の活性化に大いなる貢献をしている萩本さんに、あえて「地域ぐるみ環境ISO研究会の推進に尽力されているのは、会社のためですか,それとも地域のためですか」と尋ねてみた。

「地域こそが経営の大本。会社は人がすべて。飯田では社員イコール地域で暮らす市民です。事業所と地域は共同体ですよ。だから地域のポテンシャルが高くなければいい企業は育たない。そういうことを今の経営者の多くはわかっていないのです。株主におべっかばかり使っているのでこの国はダメになってしまったのです」

萩本さんは、長野県内に工場を持っていた大企業が工場を閉鎖するとの話を聞いた際、自ら東京の本社役員室に乗りこんで「工場をつぶさないでほしい」と直談判をしたという。

「あの人たちは自分の首が大事なので、赤字工場に手を出して助けるなんてことは考えてもいないのです。ミスしたら役員賞与どころか退職金も出なくなります」

萩本さんは、短期的利益、保身、組織の維持などを最優先にする経営者群像を厳しく批判する。

「経営というのはバランスですから、仕事だけを一所懸命にやれば経営が成り立つのかといえば、そんなことはありません。会社というのは不動の確固たる組織ではないのです。一晩でつぶれてしまうこともあります。人の心の中に傷が入ったら組織は割れてしまいます。毎日変化する会社組織を維持しているのは人々の絆なのです」

開発、営業、製造と渡り歩き、従業員と苦しみを分かち合い、バブル崩壊、リーマンショック、円高不況を乗り越えてきたリーダーの経営の極意は人を大事にすることに尽きるようだ。

企業と行政が車の両輪になって目指す環境文化都市、文化経済自立都市

多摩川精機本社のある飯田市は、南アルプスと中央アルプスに囲まれた山の都。天竜川が市内を流れ、市田柿でも有名だ。人口は約10万5,000人で高齢化率は28%とかなり高い。しかし、高齢化の進む過疎地というイメージより、環境産業、文化活動、民間主導の太陽エネルギーの活用、活発なコミュニティ活動などの先進自治体として内外に知られている。日本最大の人形劇の祭典「いいだ人形劇フェスタ」には海外も含めて300以上の劇団が集まり、2,000人以上のボランティアが活動を支えている。30年以上前から続いているフェスティバルで、地域活動の拠点になっている公民館で学んだ若者たちがさまざまな文化活動を支えているという。

コミュニティ活動は農村部でも活発で、中学生、高校生が農家に泊まって農業体験をする「体験教育旅行」には年間1万5,000人以上が参加し、受け入れ農家は500戸以上もあるという。

環境文化都市宣言をすでに行っている飯田市は、第5次基本構想・基本計画の中で、文化経済自立都市を目指すべき都市像として掲げている。その柱は①帰ってこられる「産業づくり」②帰ってきたいと考える「人づくり」③住み続けたいと感じる「地域づくり」。

萩本さんの主張と表裏一体の基本構想である。萩本さんは企業にとって従業員、地域の人々が財産であると繰り返し述べている。それは当然、行政にも当てはまる。

萩本さんは2014年に社長を退き、地域ぐるみ環境ISO研究会の代表からも間もなく身を引く。しかし、若手経営者を対象にした経営革新塾、飯田航空宇宙プロジェクトの推進、信州大学の航空機システムの寄付講座の誘致など、相変わらず郷里の自立のために奔走している。

「若者たちが飯田を安住の場所としてしまって、外の情報を自ら取り込もうとしなくなることに非常な危機感を持っています」

いくつもの苦難を乗り越えてきた経営者は警世家としての顔ものぞかせた。

※ 1 Plan(計画)- Do(実行)- Check(評価)- Act(改善)のサイクルを繰り返し行い、環境管理の改善を進める手法
※ 2 モーターとエンジンの回転をスムーズに切り替えるため、高温下でも誤差なく回転を検知するセンサー

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