特集/シンポジウム報告
IPCCシンポジウム2017~気候変動の科学と私たちの未来~
基調講演 2:パリ協定の長期目標は何を意味するか?

2017年04月15日グローバルネット2017年4月号

気候変動問題を考えるシンポジウム(環境省主催)が今年1 月、東京の千代田放送会館で開かれました。フランスから気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第1 作業部会(WG1)の共同議長を招き、気候変動の科学についての現状や新たな知見などを紹介していただき、それらの知見を国内での気候変動対策の普及や国際貢献の推進に生かすためにどのような取り組みを進めるべきか、科学者や政策決定者、気象キャスター、高校生が参加者とともに議論しました。今回はその基調講演とパネルディスカッションの内容を紹介します。

国立環境研究所 気候変動リスク評価研究室長
IPCC AR5 WG1 執筆者
 江守 正多(えもり せいた)さん

素晴らしい長期目標を決めたパリ協定

昨年12月に採択されたパリ協定では、「世界的な平均気温上昇を産業革命以前に比べて2.0℃より十分に低く保つとともに、1.5℃に抑える努力を追求する」という長期目標が決められました。

IPCCの第5次評価報告書(AR5)の世界の平均気温のシミュレーションによると、対策をせず、世界が化石燃料に依存して温室効果ガスを排出していくと、気温上昇は2030年頃には1.5℃を超え、2040~50年には2.0℃も超えてしまうことがわかります。

気温上昇のシミュレーションでは、2100年には対策を取らないと世界平均で4℃ぐらい気温が上昇してしまいますが、2℃未満を目指した場合は温度上昇は抑えられています(図⑤)。

パリ協定の条文に「今世紀後半に人為的な温室効果ガスの排出と吸収源による除去の均衡を達成する」とありますが、「均衡」とは吸収する分があれば、それを差し引いた正味の排出がゼロになるということです。世界全体の人為起源のCO2排出量は急速に増加しているので、それをできるだけ早く減少に転じさせ、遅くとも今世紀末までにゼロにすることを目指そうと世界が合意したのはすごいことだという認識を皆さんと共有したいと思います。

確実に目標の方向に向かうには何をすべきか

1.5℃や2.0℃の気温上昇を目指すことは何を意味するのか、総合的に比較する環境省の研究プロジェクト(環境研究総合推進費戦略的研究開発領域課題S-10)を、国内の大学や研究機関と2012~2016年度の5年間進めてきました。

気候変動が進むと、すでに指摘されているようにさまざまな悪影響がありますが、一方で、寒い所が暖かくなる、北極海では氷が解けて船が通れるようになる、などの良い事もあります。また、対策を進めるとコストがかかる、技術的なリスクがある、などの懸念もありますが、気候変動が止まること以外に副次的に良い事もあります。

それらをすべて考慮すると、気候変動が進むことによるリスクと、対策を行うことで生じるリスクや副作用の両方をゼロにする道というのは恐らくなく、何らかのリスクを取り、どういうリスクの取り方をするかを選んでいかなければなりません。

1.5℃、2.0℃、2.5℃の目標を目指した場合と、対策をまったく取らなかった場合の世界の平均気温の推移と、さまざまな影響項目を評価してみた結果、これらの目標を目指した場合の方が影響は少なく、何らかの目標を目指さなければならないことは明らかです。しかし、その差は必ずしも大きいとはいえないことがわかりました。

また、IPCCでも同様の研究が引用されているように、将来、排出削減技術を社会に導入して2.0℃や1.5℃以下の目標を達成する際の経済的コストを計算すると、1.5℃と2.0℃ではコストの差が顕著であり、さらに、厳しい目標になればなるほど、CCS(CO2の回収・貯留)などの新しい技術を急激に増やす必要があることがわかりました。

つまり、影響に関しては、目標間の差は対策の有無の差よりもかなり小さく、気候予測の不確かさの幅よりも小さい。そのため、1.5℃と2.0℃のどちらがいいかという議論よりも、確実に目標の方向に向かうにはどうしたらいいかを考えるべきではないでしょうか。一方、対策に関しては各目標間のコストなどの差は非常に大きいということを受け止めなければいけません。

では緩い目標を設定すればいいのかというと、そうではなく、ティッピングポイント(少しずつの変化が急激な気候変動に変わってしまう転換点)などがわかってくると、1.5℃と2.0℃というのはやはり大きな違いがあるという議論になる可能性もあります。また、対策コストを計算するモデルの限界に注意する必要もあります。将来の見通しというのは、現時点で想像できることしか計算に入れられないというのが本質です。

さらに大事なことは、望ましい目標は、影響被害と対策コストの世界全体の経済価値の総計で比べるだけではなく、もっと違う考え方や価値観を背景に決められるだろうということです。

例えば、今まで温室効果ガスを排出してきたのは先進国と新興国で、最も深刻な被害を受けるのは貧しい途上国や弱い立場の人たちや将来の世代であるという「気候正義」という考え方があります。そして、気候問題は国際的な人権問題で、できるだけ速やかに是正すべきであるという社会運動が、すでに起きています。

一方、日本ではそのような意識が低いということが調査などで明らかになっています。どうも日本では環境問題の解決や温暖化対策は、コストがかかるけど、我慢して、仕方なくやる、という印象が付きまとっているようです。しかし世界ではもはやそうではない、ということを私たちは考えなければいけないと思います。

社会の大転換を起こす

世界のCO2排出量をゼロにし、化石燃料でエネルギーを作らないようにするということは、我慢しながら達成できる目標ではありません。

「トランスフォーメーション(転換)」という英語がありますが、社会の大転換を起こす必要がある、と最近議論され始めています。ここでの大転換とは単なる制度や技術の導入ではなく、人々の世界観、モノの見方、常識が変わってしまうような変化の過程です。

実は大転換はこれまでの人類の歴史でも経験しました。産業革命では、技術が導入されただけでなく、人々の考え方が大きく変わりました。奴隷制の廃止では、制度の導入だけでなく、今考えればどんな文化圏でも当然許されないことである、人をお金で売り買いすることが許されていた文化というものがなくなりました。

このような大転換は、計画して、管理して、規制すれば起きるものではありません。従来なかった考え方で、多くの人が、多くのやり方で、違うことを試し、成功や失敗を重ねて学んで、それらがかみ合ってやがて大きな変化が起こる、あるいはいろいろな偶然が変化を手伝うこともあるかもしれません。ですから、予測は難しいし、計画通り起こすことはできないかもしれない、しかし起こるかもしれない、というのが「脱炭素」の本質ではないかという議論が、最近多くなってきています。

「大転換」の事例としての「分煙革命」

私的な視点ですが、「分煙」も同じかと思います。30年ほど前はどこでもタバコを吸っている人がいて、オフィスでもタバコを吸いながら仕事をするのが当たり前でした。それが今では常識が変わり、当たり前ではなくなりました。

まず、科学が大きな役割を果たしたと思います。受動喫煙により健康を害するということが医学的に立証され分煙が必要になりました。次に倫理として受動喫煙による被害者への配慮が共有されていくプロセスがあり、「健康増進法」などの制度ができました。そして経済が動き、例えば、喫茶店などで分煙や禁煙にした方がもうかる、ということになり、分煙・禁煙が当たり前になりました。制度を作り進めると、あとは社会が自動的にその方向に動いていったのではないでしょうか。

これを気候の問題に当てはめてみると、IPCCなどによって気候変動の原因やリスクなどについて知見が確立され、「子や孫が危ないかもしれない」と感じ、自分に原因がなくても影響を受ける人がいると聞けば共感するようになりました。そして、国際的な制度であるパリ協定もできました。

今後、経済が動くかどうかが重要ですが、エコカー人気など兆しはあります。また、化石燃料に投資をしない「ダイベストメント」の運動も広がり、逆に再生可能エネルギーへの投資が増えています。

そして、気候の場合には最終的には革新的クリーンエネルギー技術、つまり安く安定的でCO2を出さないエネルギーの作り方や使い方が普及しなければいけないでしょう。投資の変化や社会の変化によって、最終的に技術体系も含めて変わってしまえば、気候の問題でも大転換が起こるのではないかと想像します。

我慢も罰則も不要 技術が動けば実現する脱炭素社会

分煙というのはタバコを吸うことを禁止せず、吸う場所の配慮を促すだけで、我慢を求めていません。同様に、「脱炭素」というのも、エネルギーの使用を我慢することではありません。

そして、社会のほとんどの人たちが関心を持つ必要はありません。分煙も皆が関心を持ったから実現したのではなく、制度が出来て経済が動いたから実現しました。気候の場合なら、技術が動けば無関心な人もいつの間にか従うようになるのでしょう。

さらに、罰則も必ずしも必要ではありません。分煙は罰則があるからではなく、そうするのが当たり前になってしまったから皆が従うようになったのです。

分煙革命が起こる前は、オフィスでたばこを吸いながら仕事をしている人に「煙いのでやめてくれませんか。外に行って吸ってもらえませんか」と言っても相手にされませんでした。当時は、飛行機にも喫煙席がありました。しかし、常識はまったく変わったのです。そんなことは当時は想像することもできなかったでしょう。

同様に、気候の問題も、今から30年ほどすると「昔はエネルギーを作るのにCO2を出しながら作っていたらしいね。よくそんな汚いエネルギーの作り方をしていたね」と言っているかもしれない、いや、言っていなければならない。それが恐らく社会が脱炭素化に向かうということなのだと思います。

大転換はすでに起こっているかもしれない

世界のCO2排出量の最近30年間の推移によると、ここ数年排出量は増えていないことがわかります(図⑥)。過去にも経済の停滞や後退により、増加しないことはありましたが、最近は、世界規模で経済成長が多少進んでいるにもかかわらず、CO2排出量は増えませんでした。これは、人類の工業化以降の歴史で初めてのことです。すでに私たちは脱炭素化に向けた転換点にいるかもしれないのです。

CO2の排出量は今後減少するか、増えるのか、それともしばらく変わらないのか、それはまだわかりません。しかし、もしかするとすでに大転換が始まっているのかもしれない。それを推し進めていくことが温暖化対策の本質だということを社会で共有していきたいと思っています。

江守 正多(えもり せいた)さん
(国立環境研究所 気候変動リスク評価研究室長/IPCC AR5 WG1 執筆者)東京大学大学院にて博士号(学術)を取得後、 国立環境研究所入所。現場での研究のため地球フロンティア研究システムへ出向後(2001 ~2004)、温暖化リスク評価研究室長などを経て2011 年より気候変動リスク評価研究室長。専門は地球温暖化の将来予測とリスク論。IPCCAR5 主執筆者。著書に「異常気象と人類の選択」など。

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