INSIDE CHINA 現地滞在レポート~内側から見た中国最新環境事情第42回/日中の立ち位置が変わる日

2017年06月15日グローバルネット2017年6月号

地球環境研究戦略機関(IGES)北京事務所長
小柳 秀明(こやなぎ ひであき)

私が環境協力のために初めて中国を訪れたのはちょうど20年前の1997年6月であった。今回はこの20年余りの中国環境行政の変遷などを回顧してみたい。

中国環境行政の立ち位置の変遷

最初に訪れた1990年代は「先に汚染、後から対策」といわれた経済発展優先、環境対策は後回しの時代であった。国民一人当たりのGDPが1,000ドルに達することを目指して、平均で10%を超える経済成長が続いていた。環境政策・対策の基盤整備はまだ不十分で、行政組織の整備、人員の能力向上、モニタリング施設など環境インフラの整備が喫緊の課題であった。

2000年代前半に入ってようやく環境危機意識が目覚め、環境対策が本格化し始めた。20年間で4倍の経済成長を目標に掲げたが、環境容量の制約が発展の制約になるという認識も生まれた。循環経済の促進を本格的に研究し始めたのもこの頃である。しかし、まだ環境部局のみが取り組みの中心で、総合的な取り組みに欠けていた。国家環境保護第10次5ヵ年計画で二酸化硫黄(SO2)、化学的酸素要求量などの総量削減目標(10%削減)を掲げるも達成にはほど遠く、SO2排出量は28%近く増加した。この5ヵ年計画は国家環境保護総局(現環境保護部)が制定したもので、必ずしも政府一体として共有されていなかった。

2000年代後半に入ると、国務院(内閣)レベルで環境に対する危機感が共有されるようになった。当時の温家宝国務院総理が経済発展と環境保護を同等に重視することを明確にし、「省エネ・汚染物質排出削減」が初めて国家レベルの最重要目標になった。そして、汚染物質排出削減などに関し、国家環境保護総局は国務院を代表して目標責任書に署名し、地方政府を指導する権限を持つようになった。この「省エネ・汚染物質排出削減」政策は成功し、次以降の5ヵ年計画にもさらに内容を充実して引き継がれた。

中国共産党総書記の座が胡錦濤から習近平に譲られた2012年11月の中国共産党第18回全国代表大会では「生態文明の建設(※注:自然を尊重し,自然に順応し,自然を保護するというような意味)」が党規約に入れられ、環境保護の地位をさらに一歩高め、環境保護の推進を経済発展の原動力にすることが謳われた。そして第13次5カ年計画(2016~20年)では汚染物質の排出削減と同時に、5年間でPM2.5の平均濃度を18%以上低下させるなど環境質の改善も目標に掲げた。

最近の主要な環境政策の動き

次に最近の主要な環境政策の動きについて回顧してみたい。最も特徴的なのは三つの汚染防止行動計画の制定である。2013年初から全国で発生した激甚大気汚染を契機に、同年9月、大気汚染防止行動計画を制定した。引き続き2015年4月には水汚染防止行動計画、2016年5月には土壌汚染防止行動計画を制定した。これらの汚染防止行動計画は国務院だけでなく党中央でも承認された計画であり、日本でいえば閣議決定された計画に相当する。これに合わせ環境保護部は組織改正を行い、各行動計画を所管する大気環境管理司、水環境管理司および土壌環境管理司の3司を設置した。

法改正では2015年1月から施行された環境保護法の改正がまず挙げられる。25年ぶりの大改正で、10年以上前から改正の必要性が叫ばれ準備作業を行ってきていた。この改正でそれまで明確な法的根拠規定を持たずに実施してきた通達ベースの措置の根拠を明確にした。また、環境公益訴訟も可能にした。2016年7月に全国初の大気汚染公益訴訟事案一審判決が出され、企業に対して約2,200万元の賠償を命じた。

2016年1月には改正大気汚染防止法が施行された。こちらも15年ぶりの改正で、新環境保護法と関連規定について整合を取ったほか、環境基準未達成の地域に対して期限を定めて環境基準を達成する計画策定を義務付けた。VOCに関する規制と罰則も追加された。

その他2016年12月には環境保護税法が成立し、来年1月から施行される。環境保護法の規定に基づき徴収していた汚染排出費に代えて税金として徴収される。

日中環境協力の変遷

次にこの20数年間の日中環境協力の変遷について回顧してみたい。1990年代から2000年代前半にかけては政府開発援助(ODA)を中心に展開された。国際協力機構(JICA)や国際協力銀行(JBIC)を核として、関係省庁などの支援の下で無償資金協力、技術協力、有償資金協力(円借款)などの方式で援助型の協力が展開された。総理級の合意の下で実施された例としては、日中友好環境保全センター協力(無償資金協力による建物などの建設、能力向上などの技術協力)や環境モデル都市構想推進(大連、重慶、貴陽3都市の大気環境改善などの円借款と技術協力)が挙げられる。しかし、2000年代後半になると第1次安倍政権の下で対中関係が改善し交流が活発化するも、中国の急速な発展もあってODAの縮小(対中新規円借款の廃止、技術協力などの縮小)により、JICAおよびJBICの果たす役割が相対的に低下することとなった。

一方、この頃から戦略的互恵関係の下で、環境省においてJICAの技術協力に匹敵する規模での環境協力を展開するようになった。ODAによる協力が計画から開始まで時間がかかるのに対して、こちらの協力は多少小粒でもニーズに即応したスピード感のある協力が特徴であった。主要例は次のとおりである。

【日中水環境協力】(2006年~現在)
 ・農村地域など分散型排水処理モデル事業協力など
【大気環境改善協力】(2013年~現在)
 ・中国大気環境改善のための都市間連携協力事業
【気候変動対応協力】(2006年~現在)
 ・日中CDM協力プログラム、日中低炭素発展研修

以上のような協力に私は長く関わってきたが、中国側が重視するこれまでの協力チャンネルとルートは今後とも大事にすべきであると思っている。

最近の日中の立ち位置の変化

この20年間を振り返ると、いつの間にか日中の立ち位置が変わっていることに気付く。まず中国の環境関連法制度およびインフラなどの整備についてはほぼ完備し、一部の規制は日本より強化されている。ただし、法の執行能力、遵守に課題が残っており、地方政府が正しく法を執行しない、企業の監督管理が不十分などの問題がある。また、監督されなければ法を遵守しない企業が多い。このため、中央政府は地方査察を強化し、環境モニタリング局の管理の直営化、企業のオンラインモニタリングの強化などを実施しているところだ。閉鎖、取り壊しなどの強制的政策では日本をすでに上回っている。20年以上の協力を経て、政策制度面での日本の優位性はほとんどなくなっている。

次に環境対策技術および環境産業の発展についてみると、規制の強化と大きな市場が技術開発と環境産業の発展を刺激し、同時に国内競争と大きな市場が低価格化を実現している。質はまあまあだがとりあえず規制をクリアでき、相対的に安価なサービスが提供され、日本の技術や製品が中国で競争力を持てなくなっている。以前は質は良いが値段が高く、法規制で強制されていないから売れなく、現在は相変わらず値段が高く、中国の法規制に合うようにカスタマイズされていないから不安が残る。

今や世界情勢は「日本の公害経験」から「中国の公害経験」の時代に移ろうとしている。今後アジアやアフリカの途上国は、現在の中国が直面しているのと同じような環境問題を経験し、その際に中国政府が導入している政策や比較的安価な環境技術は魅力的で参考になる。一方、日本の社会や環境は理想的ではあるが、途上国の現実からは最も遠い。また、日本の政府・地方自治体や企業には、公害対策を経験した人材が枯渇化しつつあり、日本の公害経験を書物でしか語れなくなっている。

今後アジアなどの途上国での競争において、中国は日本の最大のライバルであり、かつ人材および技術において日本よりも優位に立つ可能性も高い。そのように考えると、日中協力の場はアジアなどにおける競争の前哨戦の場、人材および技術の両面において負けない戦いを学ぶ場でもあるといえるのではないだろうか。

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