特集SDGsをどう浸透させるか~持続可能な開発目標(SDGs)ワークショップ「報道と社会協働:グローバルな発展と市民参画プログラム」より

2017年09月19日グローバルネット2017年9月号

「誰ひとり取り残さない」を理念として、国際社会が2030年までに持続可能な社会を実現するための重要な指針として2015年9月に採択された持続可能な開発目標(SDGs)。この国際的な目標の達成を目指し、社会全体で認識を深めるにはどうしたら良いか。SDGsに関する報道や、ジャーナリストの役割などについて、6月26日、国連大学(東京)で開かれたワークショップ「報道と社会協働:グローバルな発展と市民参画プログラム」での内容の一部を紹介します。(2017年6月26日東京都内にて)

 

2030年までにすべての国が実現を目指す、国連の持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals=SDGs)への取り組みが活発化している。国際社会全体の開発目標として2015年の国連総会で採択されたSDGsは、日本では2016年5月に総理を本部長とするSDGs推進本部が設置され、実施のための指針も策定された。

貧困、水・衛生、気候変動など17の目標(図表)が掲げられ、その下に169のターゲットがある。多くの企業が経営計画に取り入れ、環境省は来春改定予定の第5次環境基本計画の中に、SDGsが目指す「環境・経済・社会の統合的向上」の考え方を盛り込む方針だ。

SDGsをめぐるワークショップなども数多く開催されているが、本特集では6月に国連大学で開催された「持続可能な開発目標(SDGs)ワークショップ 報道と社会協働:グローバルな発展と市民参画プログラム」(インタープレスサービス、国連財団主催、当財団協力)の内容を紹介する。

ワークショップは2日間にわたって行われ、27日には「SDGs実現のための産業界の役割とリーダーシップ」と題し、企業の取り組みなどが紹介された。26日は、主催者である国連財団理事の小和田恆氏が、SDGsで果たすべき日本の役割、メディア、企業、NGOの関わりの重要性に言及した。

日本の開発戦略が底流にある国連の持続可能な開発戦略

小和田氏は第二次大戦後、新しく生まれ変わった日本が国連との協力のもと、世界の持続可能な発展に貢献することの重要性を強調。1993年に日本で開催された東京サミットで、冷戦終了後の国際社会の役割として途上国に対する経済社会問題としての開発に取り組もうと提案したが、他の国々は冷戦構造が終わったので、開発戦 略にお金を使う必要がないとの対応で賛成が得られなかったこと。そのため、日本政府は独自にアフリカ開発会議(TICAD)を立ち上げたこと。その後、西側諸国も日本政府の取り組みに賛同し、結果としてSDGsの下地作りにつながったことなど、日本の関わりについてのエピソードを紹介した。

小和田氏はさらに、2001年から2015年を目標に、発展途上国の開発を目指した国連のミレニアム開発目標(MDGs)が日本の新しい開発戦略を下敷きにしたものであったこと、途上国の貧困を50%削減するなど数値目標を掲げた取り組みがかなり効果を上げたこと。MDGsを衣替えする形ですべての国の目標となるSDGs(2016~2030年)が、新たな国際社会の総合的な目標として誕生したことなど日本が深く関わっていることを強調した。

その上で小和田氏は、SDGsは国際社会全体の社会的、経済的、さらにガバナンスや秩序の問題をも含めた新しい世界をどうするかという総合的な目標に発展してきたもので、日本は日本の中の男女不平等の問題をはじめとして、本来的にやらなければならないことをSDGsでカバーするだけでなく、途上国の開発問題で日本がどのような協力ができるのかを考えなければならなく、その際にはどれだけの資金を相手の政府に出すということが重要なのではなく、相手の社会にどれだけ役立つことに使って、どれだけのアウトプットが出てくるがかが重要だと強調した。

そして、政府だけでなく社会のさまざまなステークホルダー、市民社会、企業、NGO、個人などがどのようにSDGsプロセスに参加するか、また総合的な形で社会をどのようにしていくかを考えるときに、ジャーナリズムがどのような役割を果たすことができるかを考えてもらいたいと話された。

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