特集/気候変動にいかに備えるか~異常気象の続いた今夏を受けて改めて考える~地球温暖化の下 猛暑・豪雨は続く

2018年11月16日グローバルネット2018年11月号

国立環境研究所 地球環境研究センター 副センター長
江守 正多(えもりせいた)

長かった今年の夏。豪雨や台風をめぐる報道で、「これまでの常識が通用しない」という言葉が頻繁に使われた。異常気象は地球温暖化とどのような関係があるのか、私たち日本人の認識や行動は変わるのか。

人間活動が引き起こす気候変動

東京では、最高気温が25℃以上の「夏日」が136日に及んだ。西日本を中心に広い地域を襲った「平成30年7月豪雨」による死者は、200人を大きく超えた。9月末に列島を縦断した台風24号は、農業や観光に大打撃を与えた。熱中症による救急搬送者数は、過去最多に達したという。

こうした事態に、SNS上で、「これだけのことが起きているのに、なぜ日本のメディアは地球温暖化のことをもっと言わないのか」という声が上がった。一方で、「非科学的に何でも地球温暖化と結びつけて煽る人が出てきて困る」という声も聞こえてきた。もう一度、基本から振り返ってみたい。

地球温暖化(気候変動)が人間活動により引き起こされていることを科学的に示すには、どのような要件が必要だろうか。第一に、観測された気候変化が、人間活動と関係がない自然変動では考えられないほど大きいことを示す必要がある。次に、気候変化が、さまざまな外部的要因(これを「強制力」という)のうち、何によって説明でき、あるいは説明できないかを調べる必要がある。

例えば、自然の強制力である太陽活動や火山噴火の履歴を条件として与えて気候モデルによる20世紀以降の気候再現シミュレーションを行った場合、観測された実際の変化傾向と整合するだろうか。人為的な強制力である大気中の二酸化炭素(CO2)濃度などの履歴を条件として与えた場合はどうか。気候のランダムな変動、観測データの不完全さなどの不確実性を考慮しつつ、統計的に見ていく。

2013年に発表されたIPCC第5次評価報告書(AR5)で示された世界平均気温変化の分析結果は、のようになる。観測された世界平均気温変化(太線)は、20世紀後半以降に上昇しており、これは人為起源の強制力を与えたシミュレーション結果(斜線部分)と整合的であり、かつ、自然起源のみの強制力を与えたシミュレーション結果(灰色部分)とは整合的でない。

図 過去100年の世界平均気温変化の原因特定
(IPCC第1作業部会 第5次評価報告書に基づいて筆者作成)

こうした分析を基に、IPCCのAR5は、「人間による影響が20世紀半ば以降に観測された温暖化の支配的要因であった可能性が極めて高い」(IPCCの用語法で95%以上の可能性を示す)とした。

気温・降水量のかさ上げで、異常気象が増加

「異常気象」は、気象庁の定義では30年に一度の極端な現象のことをいう。

問題は、地球温暖化によって、過去には30年に一度だった強さの豪雨や猛暑が、例えば10年に一度といった具合に、より頻繁にやって来ているかどうかである。

IPCCのAR5では、猛暑(極端な高温日)は、すでに増えている可能性、人間活動が寄与している可能性とも「非常に高い」(90%以上)とし、今世紀末にかけてさらに増えるのはほぼ確実(99%以上)としている。大雨については、降水量は気温に比べて複雑に変動し、観測データも限られているため、十分に明瞭な関係を描いていない。だが理論的には、気温が上がれば、大気中の水蒸気が増え、大雨が増えることは当然と考えられる。

ある年のある日、ある地域に異常気象をもたらす直接的な原因は、気圧パターンである。地球温暖化により、このような気圧パターンが起きやすくなるのか、という問題は、専門家の解析を待たねばならない。しかし、重要な点は、人間活動による地球温暖化により、気温が1℃程度、降水量は少なくとも7%程度、「かさ上げ」されたということだ。

日本人特有の意識

かねてから、日本人の気候変動リスク認識は他国に比べて低いと指摘されてきた。2015年に行われた「世界市民会議」という社会調査によれば、「あなたは気候変動の影響をどれくらい心配していますか?」という問いに対して、「とても心配している」という回答が世界平均の78%に対して、日本は44%だった。

日本は、比較的防災インフラが整備されているので、さほど心配していない人が多かったのだろうか。

2015年に採択されたパリ協定で、国際社会は今世紀後半の「脱炭素」(基本的には、人類が化石燃料の使用から脱却すること)を志した。その必要性について、「自分事」でなければ、実感を持った理解は難しい。例えば、「過去20年で世界では60万人以上が気象災害で死亡した」と聞かされても、「大変なんだなあ」で終わってしまうかもしれない。

しかし、私たち日本人も、そうは言っていられなくなってきた。

筆者は防災の専門家ではないが、2年前に、内閣府による<「防災4.0」未来構想プロジェクト>に参加し、考えさせられた。

とくに印象に残ったのは、利根川、荒川の流域に200年に一度の大雨が降ると東京の東部・北部から埼玉県にかけて浸水する「首都圏水没」リスクついての議論だった。大規模水害の際には、100万人規模の人々が、市区町村を越えて広域避難する必要がある。

果たして、首都圏に住む人々が、避難指示に従い、離れた自治体まで整然と避難することが可能だろうか。さまざまな日常生活、産業活動や都市機能を速やかに休止できるだろうか。高齢や重病の方々は大丈夫か。周辺自治体では十分な受け入れ態勢がとれるだろうか。もし予報より実際の降水量が少なく、結果的に避難が空振りに終わった場合、次に避難指示が出た時にも人々は避難するだろうか。

脱炭素の必要性に目を向けよう

こういった難しい問題を、社会全体で話し合わなければいけない時期に来ているように思う。日本でも、生命や生活基盤への影響を減らすために、地球温暖化への取り組みが死活問題になっている。

一方で、日本では、温暖化対策を後ろ向きに捉える人が多い。

先に引用した「世界市民会議」の調査結果で、「あなたにとって、気候変動対策はどのようなものですか」という問いに対して、「多くの場合、生活の質を高めるものである」と答えた人が世界平均の66%に対して日本では17%、「多くの場合、生活の質を脅かすものである」と答えた人が世界平均の27%に対して、日本は60%だった。

京都議定書の時代からパリ協定の時代になり、パラダイムが変わったとの指摘もある。京都議定書の頃は、自国の排出削減は自国の経済の負担になるという認識で、各国は排出削減の負担をなるべく他国に押し付けようとした。すべての国が協力して対策を進めるパリ協定の下、各国は技術の変化をいかに主導するかという競争を始めたというのだ。日本人の認識は、まだ京都議定書時代のパラダイムのままなのだろうか。

今年の猛暑と豪雨をきっかけに、多くの人々が「脱炭素」の必要性を実感し、世界のパラダイム変化にも目を向けてほしいと思う。日本の人々が世界の状況からずれた感覚を持ち続ければ、日本は「脱炭素」に向かう世界的な競争に負けてしまう。

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