日本の沿岸を歩く―海幸と人と環境と第23回―北海道・厚岸 地元産カキ復活に豪州の技術導入

2019年02月19日グローバルネット2019年2月号

ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)

「海のミルク」といわれるカキは、筆者の暮らす広島県が全国生産量の半分以上を占め、他産地を圧倒しているのだが、全国各地には有名ブランドガキがある。その一つが北海道の厚岸。前回の歯舞から西に進み、太平洋沿いに霧多布(きりたっぷ)岬を経て厚岸にたどり着いた。厚岸湖と厚岸湾の間に架かる町のシンボル、赤い厚岸大橋を渡り、小高い丘にある味覚ターミナル「コンキリエ」へ。駐車場から厚岸湖と厚岸湾の静かな湖面を見下ろすと、透明感のある空気がおいしい。

厚岸湖に浮かぶカキ養殖のブイ

●地名にはカキ由来説も

厚岸湖は周囲約30㎞の楕円形の汽水湖。湖は西の厚岸湾につながり、さらに太平洋へ広がる。別寒辺牛川(べっかんべうしがわ)が流れ込み、河口に広がる別寒辺牛湿原は厚岸湖とともにラムサール条約登録湿地となっている。厚岸湖と湿原に沿って走るJR根室本線の花咲線(釧路駅~根室駅間の愛称)に乗ることはなかったが、松原健之が歌う『花咲線~いま君に会いたい~』(作詞:石原信一)の歌詞から車窓に広がる水面と植物を想像してみた。

厚岸湖口の近くには、かつて天然のカキ殻が堆積してできたカキ礁が大小60余りあり、カキ島と呼ばれるものもあったが、現在はカキに代わってアサリ島となっている。厚岸大橋に戻って厚岸湖を望むと湖面に弁天神社が浮かんで見えた。海の幸と漁の安全を守る神様として親しまれているという。さらに湖の南側に移動すると、湖面でカキ養殖の作業をしている小船も見えた。

広島で見慣れたカキ筏とは異なるオレンジ色のブイが浮かぶ。厚岸のカキ養殖は厚岸湖と厚岸湾で行われているという。

厚岸町海事記念館の学芸員、車塚洋さんを訪ねると、「厚岸の語源にはアイヌ語でアッケケシ(カキのたくさん捕れる所)、アツニケウシ(ニレの皮を剥ぐ所)という二つの説があります」と説明を受けた。

周辺の遺跡からカキ殻が出土するなど、厚岸とカキの縁が深いことがわかる。厚岸湖で自然繁殖していたカキを明治期以降、乾燥カキやカキ缶詰に加工することが始まったが、捕り過ぎのため漁獲量は激減。昭和に入って「地まき式養殖」が盛んに行われると、一時資源が復活したものの、再び生産量が減少した。1983年には夏の低水温による大量死という壊滅的な打撃を受けた。

だが、この危機によって厚岸のカキ養殖は大転換を迎えることになる。カキ島での養殖ではなく、海にロープを張ってカキをぶら下げる、はえ縄垂下式養殖に切り替わった。

道内産カキはほとんどが宮城県から種苗を移入して養殖してきた。厚岸では海中の幼生をホタテの貝殻などに付着させる天然採苗をしてこなかったので、「厚岸生まれ厚岸育ちのカキ」復活への試行錯誤が続いた。その結果、たどり着いたのがシングルシード方式の養殖。水温調整できるプールで人工的に産卵させて幼生を採取し、カキ殻を粉砕した粉末一つごとに幼生を付着させ、網かごに入れて海中で育てる。形がよい「一粒カキ」として海外では主流となっている技術だ。

厚岸町は「カキ種苗センター」を建設(1999年)して種苗生産、中間育成体制を確立。2003年からシングルシード方式で生産したカキ「カキえもん」の販売を開始した。日本でシングルシードのカキを出荷したのはこれが最初だった。小ぶりだが丸く厚みのある殻で、軟らかめの身、深い甘みなどが特徴で、首都圏などで高い評価を受けている。

厚岸産カキは、現在、他に宮城県産の稚貝を使った「マルえもん」、宮城県で一定期間育成したものを厚岸で最終的に仕上げる「ナガえもん」がある。厚岸漁業協同組合は2016年、新たなブランド「弁天かき」の販売を開始した。ホタテの貝殻に、厚岸で生まれた稚貝を数十個付着させ、1年程度養殖した後、ホタテの貝殻から外しカゴで養殖する方法だ。

●中学生訪問がきっかけ

シングルシード方式の導入は1993年、姉妹都市交流でオーストラリア・クラレンス市を訪問していた厚岸の中学生たちが現地でこの方式のカキ養殖を見学したのがきっかけだった。中学生たちの報告を聞いて翌年と翌々年、町長や町の担当者らがクラレンス市の養殖施設を視察し、技術導入の検討を始めたのだ。

タスマニア島南部にあるこの地の捕鯨船イーモント号が1850年、厚岸の末広(まびろ)沖の太平洋で遭難。地元民が乗組員32人を救助した史実はいつしか埋もれてしまったが、再び脚光を浴びることになる。豪州捕鯨操業の歴史調査(1977年)、作家遠藤雅子さんが調査して書いた『謎の異国船』(1981年)と続き、遭難から132年後の1982年、厚岸町とクラレンス市は姉妹都市縁組をしたのだ。遭難者を救助した史実が100年以上を経て、厚岸のカキ養殖産業のピンチを救ったともいえる不思議な縁を感じる。

海事記念館内にはイーモント号船体の木片が展示してある。1985年、同町末広の300~500m沖の海底から135年ぶりに引き揚げられたものだ。厚岸は天然の良港として発展し、江戸時代から北海道の西側(松前、箱館)と根室や千島の中継地だった。外国船の来航のほか捕鯨やサケマス、ニシン漁など繁栄した海洋史の宝庫なのだ。イーモント号の遭難もその中の1ページに記されているのである。

イーモント号船体の木片(厚岸町海事記念館)

そもそも厚岸には縄文時代からの約90もの遺跡があり、歴史が幾重にも重なっているようだ。江戸幕府が設置した“蝦夷三官寺”の一つ、国泰寺(境内地は「国泰寺跡」として国の史跡に指定)を訪ねると、アイヌ民族弔魂碑があった。歴史を町内外の人に知ってもらおうと町内には海事記念館、太田屯田開拓記念館、郷土館と三つも町立博物館があるのもうなずける。

●海産物味わえる直売店

歴史を知った後は人気の厚岸漁協直売店「エーウロコ」を訪ねた。漁業基地である厚岸はカキだけでなく「大黒さんま」や道内一の生産量のあるアサリなど30種類以上の魚介類が水揚げされている。直売店の中はサケ、カニなどがずらりと並び目移りしてしまう。

カキえもん5個と花咲ガニを購入し、備え付けの700Wの電子レンジでチン。湯気を立てるカキの殻を開け身を口に入れると思わず「うまいでがんす!(広島の古い方言で「とてもうまい」)。花咲ガニとは大苦戦。鋭いとげがあり身がなかなか取り出せない。テーブルの上には、ガーゼ付きばんそうこうがちゃんと用意してあった…。

東日本大震災(2011年3月11日)の津波でカキ養殖施設が壊滅的な被害を受けたのだが、復興の過程で自然環境に負荷を与える養殖施設の規模拡大などはせず、地元産種苗への転換を図ることでカキの量よりも質を重視することにしている。厚岸のカキ生産量は665.3t(2015年)で広島県の10万tに比べると非常に少ないが、自然への配慮を忘れずに持続可能なカキ養殖を目指す思いを知ると、カキえもんの味が舌によみがえってくるようだ。

厚岸大橋(中央)を挟んで厚岸湖(左)と厚岸湾を望む

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