特集/生物多様性の主流化は進んでいるのか~生物多様性条約COP14を終えて~ビジネスにおける生物多様性の主流化~企業の常識はどう変わったのか?

2019年02月19日グローバルネット2019年2月号

株式会社 レスポンスアビリティ代表取締役
一般社団法人 企業と生物多様性イニシアティブ(JBIB)事務局長
足立 直樹(あだち なおき)

2018年11月に生物多様性条約第14回締約国会議(COP14)が「人間と地球のための生物多様性への投資」をテーマとして、エジプトで開催されました。生物多様性の保全と持続可能な利用のためには、生物多様性をさまざまな社会経済活動の中に組み込む「主流化」が求められています。COP14では今後に向けてどのような議論がされたのか。また、企業がどのように生物多様性の主流化に取り組み、消費者はどのように取り組むべきか、事例を紹介しながら考えます。

 

 

名古屋で生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が開催された2010年、日本企業の生物多様性に対する関心は一気に高まった。この時に採択された愛知目標は、企業が取り組むべき内容も含んでいるが、その後に日本企業の中でこの目標に本気で取り組んでいるところは、他の国々に比べても残念ながら少ないように感じる。とくにこの数年は関心がすっかり持続可能な開発目標(SDGs)に移行してしまった感もある。もちろんSDGsの目標14や目標15は生物多様性そのものだが、一般的には企業の関心は下がってしまったように見える。したがって、生物多様性の主流化を、一般化、面的な広がりと考えるのであれば、2010年以降に大きな拡大があったとは言い難いのが現状だ。しかし、深化という点で言えば、私は確実に深まった、主流化が進んでいると言えると考える。

原材料調達に集まる注目

そもそも2010年当時は、なぜ企業が生物多様性の保全に取り組む必要があるのか、企業人にはあまり理解されていなかったし、そのため何に取り組む必要があるかも同様に焦点が絞られていなかった。しかし真剣に取り組み始めた企業の間では、事業において生物多様性に最も関係があるのは原材料調達であるということがこの10年弱で完全に常識化した。生物原料を使う産業はとくにわかりやすく、木材を大量に使う建設業、紙を作るために木材チップを使う製紙業やその関連産業、天然水産物に依存する水産業はもちろんだ。それ以外にも畑や植林地を切り開く必要がある農業、林業などは、生態系に負の影響を与えていることが認識され、その影響を最小化することが求められるようになった。とくに世界的に着目されているのは、紙パルプを含めた木材、パーム油、大豆、放牧であるが、それ以外にもコーヒー豆、紅茶、カカオ、天然ゴム、そして養殖された水産物など、生物原料を使う産業は生物多様性へ十分な配慮が必要であることが今や共通の理解となっている。

そしてこうした原材料について、生物多様性と関係する人々への配慮を行っていることを担保する認証制度が開発・普及し、日本企業の間でも、FSC(森林認証)、MSC(水産物認証)、CSPO(パームオイル認証)などを使うことは常識化しつつある。

こうした動きが大きく進んだのは、NGOが企業活動の生物多様性への影響を世の中に広く訴え、また関係する企業には適切な配慮をするように直接働き掛けたことがまず挙げられる。とくに消費者を巻き込んだネガティブキャンペーンの影響は大きく、問題がSNSなどで一気に世界中に拡散するようになった時代背景も手伝って、企業は素早く対応するようになってきている。

TEEBそして自然資本会計が企業を変えた

もう一つこうした動きを加速したのは、生物多様性や生態系サービスの価値が経済的に評価されるようになったことである。2007年にドイツでスタートした生態系と生物多様性の経済学(TEEB)は、2008年に中間報告、2010年には最終報告が行われた。この調査は、企業活動をはじめ、私たちの生活や経済が生物多様性によっていかに支えられているかを金銭に換算して明らかにし、このことにより、企業経営者の理解が一気に進んだ。政治的にもこうした手法を活用しようという動きが生まれ、GDP(国内総生産)に加えて生物多様性の価値で国の豊かさを示したり、森林などを開発するかどうかの判断に利用しようという動きが進んだ。

もちろん経済評価はそう簡単ではないのだが、TEEBの成果を受けてそれをより正確に、また統一的に行おうとする動きが生まれた。その後、このような方法論は自然資本会計と呼ばれるようになり、NGO、企業、投資家などを巻き込んだマルチステークホルダーで自然資本連合(Natural Capital Coalition)が作られ、自然資本プロトコルや産業ごとのセクターガイドも開発されるようになった。

自然資本会計の発達によって明らかになったことの一つは、企業活動の影響は、一般に最終組み立て加工や販売の過程ではなく、サプライチェーン上の方が大きく、しかも多くの場合は畑などの最上流で最も大きいということである。これまで多くの企業が行ってきた環境負荷の削減は、自社の範囲内に限定されていた。しかし、定量的な評価でサプライチェーンの重要性が明確になったことで、原材料調達における配慮の重要性がさらに強調されることになったのだ。

その結果、すでに「絞り切った雑巾」状態である自社内ではなく、これまで手付かずだったサプライチェーンの改善に持続可能性を高める活路を見いだした企業もある。また、より良いサプライヤーを選択することで、サプライチェーンを、ひいては自社の持続可能性を高めることが可能になったのである。

こうした情報に注目したのは、企業だけではない。機関投資家や金融機関もまた、投融資が生物多様性に与える間接的な影響の責任を求められるようになったことから、また投融資の安全性を高める意味からも、投融資先の持続可能性リスクに注目するようになったのだ。ちょうどESG投資が世界的に主流化する中で、パリ協定や金融安定理事会(FSB)の気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)の提言もあり、投資家の関心は一気に高まった。もちろん投資家の関心や理解は、今はまだ気候変動にとどまっている場合が多いが、少なくともESG評価の中にサプライチェーンにおける生物多様性の配慮は加味されており、間接的にであっても森林破壊に加担しているような企業への投融資を回避する投資家・金融機関が増加している。こうした投資家の視線や行動は明らかに企業を動かす力となっており、森林破壊ゼロを目指す企業の数は世界的に着実に増加している()。

日本におけるこれからの課題

このように、生物多様性への配慮は今や事業継続のためには当然の行動と理解されるようになっており、これはまさしく事業や経営における「生物多様性の主流化」といって良いだろう。一方でどのぐらいの企業や投資家にこうした考え方が浸透しているかといえば、まだごく一部の先進的な企業にとどまっていることも残念ながら事実だ。その結果、理解を深めた企業と理解しないままの企業の差は拡大している。さらに、欧州各国と日本の間でも温度差が広がってしまったのは残念なことである。

例えば、先に述べたように生物由来の原材料を使う企業や産業は生物多様性との関係性が深く、企業が保全に取り組む意義は大きいが、日本ではまだそれがごく一部の業態に限られている。欧州や北米では、鉱業、インフラ関連の建設業、ツーリズムなどにおいて真っ先に生物多様性への取り組みが始まったが、日本でこれらの産業の動きは遅い。本来であれば事業の持続可能性のためにまず最初に力を入れるべきである水産業でも取り組みは限定的であり、今や産業の存続が危ぶまれるほどに水産資源は大きく減少しているし、間接的に大きな影響を持つはずの金融もまだまだ消極的である。これは企業の社会的責任という意味でも、また自身の事業の継続性の担保の観点からも好ましいことではない。一方で、金融やツーリズムは、これからの日本を支える屋台骨に育つ可能性がある産業である。これらの業界には、一刻も早く生物多様性に注目し、事業の中で主流化を進めてほしい。

ここでもう一つ考えたいのは、なぜ日本において他の先進国より企業における主流化が遅れているのかだ。情報不足やNGO・消費者などからの圧力が弱いこともあるが、私は行政の働き掛けが弱いことが大きな理由なのではないかと考えている。というのも、生物多様性オフセットのように、日本では義務化されていないものが実はかなりあるからだ。もちろんいたずらに規制を増やすべきではないが、フリーライダーをなくし、正直者が損をしないような健全な制度はもっと整備されてしかるべきではないだろうか。事業を支えている生物多様性を守ることは、自社の持続可能性を高める。そのような誘導政策は日本企業の国際的な競争力とプレゼンスを高めることはあっても、足を引っ張ることはないはずだ。

日本が進むべき道は?

最後にもう一つ指摘したいのは、生物多様性への配慮を事業に浸透させることで主流化は十分かということだ。もちろん一般的な意味ではそれで満点だ。しかし私は、それを超えて生物多様性に基づいた新たな文明や経済を世界に示すところまで進むべきだし、日本にはそれができると考えたい。

COP10の際に日本は「里山」というキーワードとともに「自然と共存する」という考え方を世界に訴え、2050年に向けたビジョンにも反映された。日本人にとっては当たり前だが、世界的には必ずしも普遍的とは言い難い考えであり、意味のある提言だった。しかし、今の日本では十分に実践されていないのも事実である。

けれども、世界遺産となった和食、そして国際的にも高く評価される日本の工芸品などを考えればわかるように、地域のあらゆる文化や伝統はその自然資本に依存しており、少し前までは私たちの生活も経済もまさに自然と共存したものであり、そのインターフェイスとして里山という空間が維持されてきたのだ。そのことをもう一度強く意識し、現代的な意味で自然と共存した生活と経済を新たに作ることはできないだろうか。

世界的な成長産業であるツーリズムはもちろんのこと、文化やデザインなどの分野で日本に独自の生物多様性をいかさない手はない。また工業においても、生物の仕組みやデザインに学ぶバイオミミクリ(生物模倣)を推進することで、これまでの限界を突き抜けるようなイノベーションを起こし、真に持続可能な産業となることが期待できるだろう。

単に負荷を減らすという消極的な方向の努力で満足するのではなく、新たな価値を生み出す源泉として生物多様性をいかし、豊かな生物多様性に依存した持続可能な文明を築き上げるところまでを私たちは世界に示すことができるのではないだろうか。そのような新たな文明ができたとき、まさに生物多様性が社会の主流となるのだ。

いささか風呂敷を広げ過ぎたかもしれないが、ますますフラット化するグローバル経済の中で、日本が独自の価値を創り世界に発信するためには、そこまでの「主流化」を考えることを提案したい。生物多様性は事業の制約条件ではなく、チャンスなのだ。

タグ: