フォーラム随想絶望からの再起

2019年06月14日グローバルネット2019年6月号

日本エッセイスト・クラブ常務理事
森脇 逸男(もりわきいつお)

遠い親類のKさんから、息子さん(31)の作品展を見に来てくださいという手紙が送られてきた。同封のチラシを見てびっくり。この息子の加藤貴之さん、7年前、友人とスノーボードに出掛け、岩手県北上の高速道路で乗っていた車が猛スピードのトラックに追突され、後部座席の彼は猛烈な勢いで振り回され、意識不明で病院に運び込まれたという。

知らせを受けた母親が、夫とすぐに新幹線で病院に駆け付けたところ、脳神経外科の集中治療室の彼は、固く目をつぶり、苦しそうな表情で、いくら名前を呼んでも返事がない。医師の説明は、「クモ膜下出血」「脳挫傷」「右半身麻痺」「瀰漫性びまんせい軸索損傷」のほか、視神経も損傷、失明の恐れがあり、心肺機能をつかさどる脳幹部分にも影があり、2、3日が山で死亡の可能性もある、意識の戻る可能性はゼロ、命が助かっても植物人間になることは免れない、ということだった。

2日目には、心肺機能が安定し、生命の危機は脱したと告げられたが、意識が戻った症例はと確かめると、返事は「1例もない。意識の戻る可能性はゼロ。遷延性せんえんせい意識障害(植物人間)の患者を受け入れてくれる病院を探し、流動食を摂るのに鼻から入れるか、胃瘻いろうにするかを決めてください」。

正に絶望のどん底。母親は憔悴し切って立っているのがやっと。周囲の計らいで一時京都の実家に帰る。敬虔なカトリック信者の母は祈りの日々を過ごす。1週間後、事故から17日目、付き添いの家族から「回診で問い掛けに少し反応のようなものが見られた」という知らせが届く。奇跡の瞬間だ。やがて、東京の日赤への転院が決まる。以前とはかけ離れた姿を見るのが怖く、迎えに行くかどうか迷っていたら、母親から「行かないと、最初の『お母さん』という言葉が聞けないよ」と言われ、迎えに行く。

転院の朝、病室に入ると、看護婦さんが「さっき息子さんに『ヤッホー』と言ってみてと言ったら、声は出なかったけれど、口の形がヤッホーとなっていました」と言うので驚き、ひょっとしたらという思いで、顔を近づけ「『お母さん』って言ってみて」と呼び掛けたところ、まだ目は閉じ、苦しそうな表情だったが、はっきり「お母さん」と言うのが聞き取れた。

この後転院、通常の食事ができるようになり、リハビリ病院に移ったが、「ここは何をするところですか」という質問に「戦争ですか」と答え、医師から「高次腦機能障害の症例である注意障害、遂行機能障害、意欲減退、見当障害、失語症、失行症、自己認識の欠如」など障害名が告げられた。

リハビリは順調に進み、身体面は猛スピードで回復、しかし身体面が回復するに伴い、高次脳機能障害が表出し始める。何をするにも抑制が利かない「脱抑制」になり、空腹感が激しく食べまくるので、体重が10キロ以上増加、相手の都合を考えず早朝からメールしまくったり、感情のコントロールが利かず、怒りの感情を爆発させ、「ぶっ殺してやる」と病院のスタッフに暴言を吐いたりした。退院後もしばらくは混乱するとパニックになり、母親に「おれのために一体何をしてくれた」「今から電車に飛び込んで自殺する」などと当たり散らすこともあったという。

その貴之君が、リハビリを重ね、穏やかで明るい性格を取り戻し、好きだった絵を再び描き始める。最初は縦の線しか描けなかったのに、半年後辺りから横の線も描けるようになった。4年後は頭の中で作品のイメージ作りができるようになり、最近は想像して描く面白さに目覚めた。精神的にも落ち着いて、吉祥寺で5月に開催された作品展では、かつて訪ねたフランスのモンサンミッシェルや凱旋門といった具象画、形や色彩の美を追究した抽象画など、さまざまな作品が展観された。

人間の持つ能力の素晴らしさを、改めて教えてくれる、ある復活劇だった。

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