地域に新たな事業を生み出す「農福連携」~地域の再生と持続可能な社会を目指して~農福連携で、障害者福祉が地域の福祉になる

2019年10月15日グローバルネット2019年10月号

自然栽培パーティ(一般社団法人 農福連携自然栽培パーティ全国協議会)副理事長
季刊『コトノネ』編集長
里見 喜久夫(さとみ きくお)

日本は高齢化と人口減少により、耕作放棄地や担い手不足などの問題を抱えています。一方、福祉分野でも障害を持つ人の働く機会が求められています。こうした課題を解決するための有効な取り組みとして、「農福連携」に注目が集まっています。 農福連携の動きは現在どこまで進んでいるのか。障害者の社会参画や農家の人手不足の解消だけでなく、地域活性と障害者自身の生きがいづくりにもつながる農業と福祉分野双方の課題解決とメリットのある取り組みについて、今後期待される展開と課題を考えてみます。

 

障害者福祉から見た農福連携

農福連携と言っても、大きく二つの視点がある。農家にとっては、福祉的労働力(障害者や高齢者など)が生産に役立つか、が重要になる。私は、障害者の生き方、働き方をテーマにした季刊『コトノネ』を発行している。その立場から言えば、障害者にとって、農業は業として成立することが、最大の目的ではない。障害者福祉は、あくまでも福祉として成果があってこそ意味がある。だから、農福連携は、「農業を通して福祉を達成する」ことにある。実は、その意味でも、農業ほど障害者福祉に役立つ業はない。

季刊『コトノネ』の取材を通じて意気投合した佐伯康人さんたちと、2016年全国の障害者施設に自然栽培を広げる活動を立ち上げた。愛称を自然栽培パーティと付けた。運営には公益財団法人ヤマト福祉財団の物心両面の援助をいただいている。5事業所でスタート、4年後の今年は100事業所を超えた。そのうち、70事業所で農作物を栽培している。栽培を手掛けている会員は、ほとんどが障害者施設だ。栽培をしない施設は会員施設の作物を買い取って、みんなで自然栽培パーティを盛り上げるために活動している。

農福連携には、障害者施設から農家への施設外就労のような働き方もあるが、自然栽培パーティの会員は、ほとんど自分の施設で農業を営み、障害者(通所や入所の人)が中心的働き手となっている。

捨てたくないものを、生かそう

自然栽培パーティは、障害者福祉の仕事の特質が見事に表れている。障害者施設では、捨てられたものを引き取ってきて、商品に再生している事業所が多い。牛乳パックから紙をすいてはがきにする。落ちていた柿をもらってきて干し柿に、皮の切れ端をベビーシューズに再生する。数え上げればきりがない。コンセプトは、もったいない精神。ありていに言えば、元手をかけない商法だ。渡す方には、処理に手間も金もかからず、助かった、という思いだけ。手放して、何の未練もない。

では、農福連携で、施設が手に入れる耕作放棄地はどうだろうか。農家は喜んで手放すわけではない。農業では食っていけない、継ぐ者がいないから、離農する。捨てるのは忍びない。だから、仕方がなく、手放すのだ。「手間をかけずに捨てたい」ものと、「本当は捨てたくないもの」を手放すのとは、まったく違う。その思いが、障害者と農家や地域の人を結び付ける。

農業自体が、地域の福祉だった

自然栽培パーティが生まれた年、広島県福山市の障害者施設の田植えを取材した。そこの農業担当職員から聞いた話が忘れられない。その施設は開所して7年、地域に溶け込みたくて、毎朝近所の道や溝の掃除を心掛けてきた。そんな姿を見ても、ほとんどの人が黙って通り過ぎるだけ。ねぎらいの言葉も朝のあいさつさえもなかった。

それが、田植えに備えて、代かきした日に一変した。代かきを終えて田んぼから戻ってくると、お年寄りから声を掛けられた。「疲れたでしょ。お茶でもどうぞ」と。遠くのあぜから、代かきの様子を見守っていたらしい。泥まみれの野良着のまま、縁側に腰掛け、温かいお茶をごちそうになった。「それまでの7年は何だったんでしょうかね」。彼はそんなふうに振り返り、涙をこぼした。

お年寄りにすれば、農業に関心を持ってくれたこと、耕作放棄地を元気な田んぼに戻してくれること、昔の風景がよみがえることがうれしかったのだろう。自分の農業への愛着、価値観に共鳴してくれたことへの感謝だったのだろう。

施設は、障害者のための福祉で、地域の福祉ではなかった。農業によって、安々と地域みんなの福祉になった。

農場は障害者のステージだ

若者が見向きもしない農業。地域の人の関心を引かない障害者福祉。二つのイメージを自然栽培パーティは、同時に変えたい。農業は3K+高齢化で、4Kともいわれている。地味だ。農作業の楽しさは伝わらない。障害者の仕事も、目立たない。施設の中での作業が多く、目立たないように努めてきたきらいがある。

でも、自然栽培パーティは真逆を行く。農作業を楽しくすること、目立つことを大切にしている。作業をする農場では、幟を立て、そろいのデザイン・色とりどりのTシャツを着て農作業をする。

ただ何もせず、座り込んでいる人もいる。大声出して走り出す人もいる。けれど、太陽の下の仕事には不思議な力がある。すべておおらかに受け止めてくれる。

誇らしげに稲を掲げる障害者

高齢者よ、離農を急ぐな

日本には、42万haの耕作放棄地がある。富山県の広さだ。65歳以上の農家(基幹的農業従事者)が68%を占める(2018年)。この人たちが全部離農したら、耕作放棄地は300万ha以上になるかもしれない。少しでも離農を遅らせるために、JA仕様ではない農業スタイルを育てよう。

突然、体調を崩しても、代わって農作業をフォローしてくれるサービスがあればいい。広島県庄原市にある障害者施設では、近所の農家からの電話で畑に駆け付ける。収穫して作物を引き取って農家に地域通貨を渡す。「お金なんか、要らない」と言うのだが、わずかでも支払うことで農家のお年寄りには「やった感」が育まれる。

さらに、JAとの取引は、野菜の品質・サイズも規定が厳しい。少量では引き取ってもらえない。納品時間の指定も厳密だ。これでは、高齢者はできない。だから、すべて、農家任せの販売スタイルをとる直売場が、長野県伊那市にある。朝7時開店だが、何時に納品してもいい。数量はいくらでも、ほうれん草1束でもいい。値段も農家任せ。自分ペースの農業なら、離農なんか考える年寄りはいない。農作業は生きがいなんだから。

新規就農の若者を呼び込む

高齢者だけではない。若者だって引き込める。

農福連携の影響か、近頃、農業をしたくて就職先に障害者施設を選ぶ若者がいる。自然栽培パーティの理事長が勤める法人にも、今年二人の農業学校出身者が就職した。海外を放浪してきた若者にも出会うことも多い。さまざまな生き方や仕事に出会い、命を見つめ直し、農業に行き着く。帰国して、農業を事業とする施設に来る。

この動きを促進させる提案をしたい。新規就農の支援金と障害者施設での雇用を組み合わせる。新規就農すれば、国からの支援金が1年150万円、最長5年間支給される。青年が施設に就職した際には、その金額を給料の補填として国が施設に払う。就農して5年後、当人が独立するか、継続して施設で勤めるかは、本人が決める。もし独立する場合は、それまでに広げた田畑を、新規就農者に引き渡す。その意思がなければ、そのまま施設での勤めを続ければいい。この方法だと、農業を通じて福祉ができる人材を育てられる。まさに、一挙両得である。

いま、大切なことは人を生かすことだ。国連が提唱するSDGs(持続可能な開発目標)、すなわち「誰一人取り残さない」。誰も捨てず、育てる。そのために、農福連携は頼もしい力になる。

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