日本の沿岸を歩く―海幸と人と環境と第33回 透き通る美の「富山湾の宝石」シロエビ―富山・新湊

2019年12月16日グローバルネット2019年12月号

ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)

水揚げしたシロエビの計量

氷見から車でおよそ30分、富山湾沿いに東に進み、午前7時、射水市いみずしの新湊地区にある新湊漁港の桟橋でシロエビ漁の漁船が戻るのを待った。富山湾でシロエビの水揚げが一番多いのだ。港には仲買人や漁協職員十数人が待っていたが、船はなかなか姿を見せない。8時前になってようやく最初の1隻が着岸すると、すぐにシロエビの入ったかごが水揚げされた。大人が一抱えにできるくらいのかごに、「富山湾の宝石」と呼ばれる薄ピンク色に透き通った数cmのエビが朝の光の中できらきらしていた。

すぐにはかりで計量して、競りにかけられた。次の漁船も着いてかごを揚げたが、かごは全部で数個しかない。「普通なら20~30個はあるのだが、これまでになく不漁」と作業をしている担当者の声。漁船が遅れたのも、ぎりぎりまで漁をしていたからだという。

シロエビの漁獲シーズンは4月から11月。取材に訪れた5月下旬は不漁だったが、その後は漁獲が増え、10月下旬までに全県で638tを記録し、2007年以来の豊漁となっている。

●テレビCMでブレーク

昼食に漁港にある新湊漁業協同組合の女性部食堂で定食のかき揚げに入っていた甘味のあるシロエビの味を確認してから漁協事務所に向かった。販売部長の田中仁さんと共済係長の松井幹雄さんから話を聞かせていただいた。漁協のホームページには定置網、イカ釣り、底引き網、はえ縄、刺し網、カニかご、バイかごなど日本海の漁法のほとんどが網羅してある。春はホタルイカ、夏はシロエビ、秋は「高志こしあかガニ」のブランドで知られるベニズワイガニ、冬はブリと富山湾の主役がそろっている。

1996年にブリ、ホタルイカとともに「富山のさかな」に指定されたシロエビは、2011年に最初の富山県推奨とやまブランドに認定され、さらに2013年には「富山湾のシロエビ」が地域団体商標に登録された。

田中さんは「『富山湾の宝石』シロエビ、『富山湾の神秘』ホタルイカ、『富山湾の王者』ブリ、『富山湾の朝陽』ベニズワイガニの4種類が捕れるのは新湊だけです」と胸を張る。

新湊漁港では、早朝の競り市だけでなく、午後1時から、市場だけの昼競りもある。観光客のための見学ツアーがあり、見学後は隣接する新湊フィッシャーマンズワーフ「新湊きっときと市場」で新鮮な魚介類や加工品などを味わったり買ったりできる。

小型底引き網で捕るシロエビ漁が始まったのは明治期。小さく傷みやすいため、かつては価値が認められず、サクラエビの代用として赤く着色されて出荷されたり、煮干し用に使われたりしたという。冷凍してむき身にする技術ができてから、生で食べるおいしさが知られるようになった。15年ほど前、大手ビール会社のテレビCMで紹介され、一気にブレークした。

ところで、シロエビ人気と同じように富山湾で一気に人気急上昇したものにゲンゲという魚がある。水深200m以深にいる体長20~30㎝の深海魚。ゼラチン状の表面やグロテスクな外見に加えて、傷みが早く、すぐに生臭くなることから、漁師の家庭料理に使われるものの、雑魚の中の雑魚として見下されてきた。ところが鮮度を保つ流通の進歩や料亭などでてんぷらや唐揚げとして提供されるようになると、その味が評判を呼び始めた。現在ではゲンゲに含まれるコラーゲンを原料にした栄養補助食品も出回るようになった。

●漁獲規制して資源守る

シロエビは標準和名(学名)シラエビ(Pasiphaea japonica Omori, 1976)で、日本沿岸に生息する固有種。英語ではガラスを示すJapanese glass shrimpで、生息密度が高い富山湾で商業的に漁獲されている。水深100~300mの海の中層を浮遊している。生態はよくわかっておらず、これまでに漁獲量の増減の変動があった。1980年代後半に漁獲が激減し、回復まで10年近くかかった。漁業者は自主的な資源管理として、資源状態の悪化の兆候が見られたときは、引き網の回数、出漁日数、出漁隻数の削減に取り組んできた。2011年には富山県資源管理指針が策定され、より具体的な資源管理計画が実施されている。漁業者の取り組みが実を結び、近年は漁獲量が回復傾向にある。

漁協は豊かな漁業資源を守る応援団を育てるために、次世代を担う子供たちとの稚魚放流、植林やごみ回収などの活動を続けている。ユニークなのは毎年、市内の小学校の6年生1,000人にベニズワイガニ1匹をプレゼントする「カニ学校給食」の実施だ。魚食普及の名目はともかく、うまいもので子供の気持ちをわしづかみにするのは大変有効だと思われる。

シロエビをしっかり知るには食べてみることが重要だ。漁協の次に少し離れた道の駅新湊へ行き、「白エビバーガー」を食べた。ファストフードコーナーで1個420円(税込み)にコーラ100円。熱を加えても赤くならないシロエビがバンズの間にのぞいている。「ここでしか食べられませんよ」と説明を受けて、頬張るとタルタルソースとの相性が絶妙だった。

道の駅で食べられる「白エビバーガー」

●万葉の風景、今はなく

再び漁港の付近に戻った。訪れたのは日本のベニスといわれ、映画やドラマのロケ地として知られる内川だ。個性的な12本の橋が架かっており観光名所になっている。香西かおりが歌う『新湊慕情』には、代表格の神楽橋が出てくる。欄干に富山の名所などを描いたステンドグラスがはめ込まれた華やかな橋だ。

運河として利用されてきた川には船が係留され、川沿いには、かつての北前船主の蔵が立ち並んでいる。川の駅新湊に寄ると、毎年10月1日に開かれる新湊曳山まつりの曳山が展示してあった。本物を間近で見て「勇壮典雅」の説明に納得した。

富山新港一帯は放生津ほうじょうづの地名があり、奈良時代に大伴家持が創建した放生津八幡宮がある。政治経済の中心地として栄え、室町時代、足利義材よしきは放生津に政権(放生津幕府)を樹立し、約5年間滞在したという。

新湊地区の沿岸は「奈呉なごの浦」の古称がある。放生津八幡宮には奈呉の浦を詠んだ松尾芭蕉の句碑もある。多くの詩歌の題材になった奈呉の浦の白砂青松はくしゃせいしょうは、埋め立てや護岸工事などによって今は見ることができない。代わりに今は「海の貴婦人」海王丸(初代)が係留された公園や富山新港を東西にまたぐ新湊大橋(全長3.6㎞)などの風景がある。この橋を渡ると高さ50m近くもある最頂部からの海王丸の白い船体、日本海や立山連峰のパノラマに息を飲んだ。

富山市に入り神通川を渡ると、最後の取材場所である岩瀬地区の森家(国指定重要文化財)に立ち寄った。北前船の廻船問屋で幕末から明治にかけて最盛期だったという。夕暮れが迫る周辺の古い町並みに落ち着いた雰囲気を感じた。

新湊の取材を振り返ると、万葉の時代から続く歴史と繁栄の中に洗練された美意識があることを強く感じた。シロエビという自然の恵みも、富山湾に似つかわしい至上の美の存在でないか、と思えてきた。

船が係留された内川の風景

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