フォーラム随想険しい山岳を登り続ける

2022年01月17日グローバルネット2022年1月号

(一財)地球・人間環境フォーラム 理事長
炭谷 茂(すみたに しげる)

 秋元康が作詞した『川の流れのように』は、人生を川に例え、山本周五郎の小説『ながい坂』は、人生を坂に例える。人生は、さまざまなものに例えられるが、山に例えることもある。
 五木寛之が老齢期の送り方として下山の考えを示している。人生の晩年は、徐々に自分の荷物を少なくし、精神的にゆとりのある生き方をすることを勧めているのだろう。
 生前、指導をいただいたフランス歴史学者だった木村尚三郎は、『ご隠居のすすめ』という本を残しているが、同様な考え方なのだろう。
 高齢期になったら、このような生活を送ることができればと大半の人は、願っている。日々、夫婦で穏やかにつつましく暮らす。年に一、二度は、2泊3日の小旅行を楽しむ。月に一度は孫が訪ねてくる。こんな姿を描く。
 しかし、このような高齢期を迎えられない人がたくさんいるのが、日本の今の姿だ。年金額が少なく、資産が乏しい、ひとり暮らしで介護を要する、障害などの問題を持つ子どもがいるなど理由はさまざまだ。多額の借金をつくってしまった自営業者もいる。
 日本で自助努力が強調されて久しい。若い層には、この考え方が浸透している。「老後になって他人の助けを求めたり、路頭に迷っているのは若いころ真面目に働かなかったからだ」という考えが、若い人の心のどこかに潜んでいる。

 

 日本の経済政策は、新自由主義に基づき企業の自由な経済活動を促進してきた。この結果、所得格差が拡大し、真面目に努力してきたはずなのに、安定した老後が送れない人がたくさんいる。同様な政策を取ってきたイギリスも同じだ。
 惨状には、目を覆う。ところが今でも同様な経済政策を唱える経済学者が幅を利かせている。これらの学者は、複数の大手企業の社外重役や講演収入で高収入を得ているので、日本で起きている惨状が見えないのだろうか。いや、見ないようにしているのだろうか。
 岸田政権は、「新しい資本主義」を看板に登場した。「新しい資本主義」は、ダボス会議などで提唱されてきたが、このような状態を改善しようとするものだろう。私は、この考えに期待しているが、いまだ明確な政策が見えてこない。

 

 私は、大学生だった57年前から日本がイギリスや北欧のような福祉国家へと夢を持って勉強し、旧厚生省に就職し、福祉の向上に努めてきたつもりだ。勤務の傍ら、あくまで自分のお金で休日にスラム街での支援活動、障害者施設でのボランティア活動、元受刑者やホームレスの就労の場づくりなどを今日まで57年間、続けてきた。
 自分の意識は、福祉国家という山の頂上を目指して歯を食いしばって登ってきた。しかし、1970年ごろから福祉国家に対する国民の支持は、冷めてしまった。頂上が消えてしまっては、私はどこを目指して山を登り続けたらよいのだろうか。
 しかし、日本の現実は、前述のように福祉国家を必要としている。ただ福祉国家の内容が変わってきただけである。就労やボランティア活動による国民の参加、環境の重視などを重要な要素とする福祉国家である。ドイツ、オランダ、北欧は、その方向に動いている。私は、「新しい資本主義」に対抗して「新しい福祉国家」の頂上を目指している。
 私は、今も険しい山を登り続けている。高い所に行けば、下界の景色が開ける。かつて大変苦労し、悩んだたことも、高い所から見下ろすと、「あれは大したことではなかった」と思う。山を征服したと言って自慢しているたくさんの先輩がいたが、「それは小学生が遠足で登る丘に過ぎない」と言いたい衝動に駆られる。
 私は、生命が絶えるまで険しい人生の山岳を登り続けることが自分の天命だと思っている。この山登りは、頂上に到達できないかもしれないが…。

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