「自分のものさし」で社会を考える~モノを持たない暮らしの実践から第5回 「洗剤を2つだけにする」~毎日の掃除や洗濯に使う”日用品”を問い直す

2023年05月15日グローバルネット2023年5月号

編集者、おかえり株式会社取締役
増村  江利子(ますむら えりこ)

冷蔵庫や掃除機といった家電を次々と手放し、続いて洗濯機を手放してみたが、手洗いが大変で結局手放すことができなかった話を前回のコラムに書いた。

スペースを取る大きな家電類は、自分なりにひと通りの整理ができた。そこで気になってきたのは、毎日使う細々としたもの、一つ一つである。日用品に目が向くようになって、すぐに思ったことは、掃除用品としての洗剤の種類が多過ぎないか、ということだった。

今回は、ありとあらゆる掃除を「重曹」と「クエン酸」でするようになった過程から、モノと向き合う視点について考えてみたい。

●洗剤は、そんなにたくさん必要なのか?

皆さんにもぜひ、家にある洗剤を思い浮かべてみてほしいのだが、私の場合、以前お風呂の中には、体を洗うせっけんや、お風呂を洗うためのお風呂洗い用洗剤があった。トイレにはトイレ用洗剤と、かつては、拭いてそのままトイレに流せるシートも置いてあっただろうか。

食器用洗剤は使わずに、アクリルたわしを使用して食器を洗っていたが、ほとんどの家には置いてあるだろうと思う。

加えて、床拭き用の洗剤に、ガラス窓用の洗剤。わが家は省スペース化のために洗面化粧台ごと外してしまったが、一般的には手を洗う場所ごとにハンドソープもあるだろう。

洗濯機の周りには、もちろん洗濯用洗剤がある。柔軟剤を使う人もいるかもしれない。そうやって洗剤というものを見渡してみると、ありとあらゆる家事に、一つ以上の洗剤があるような図式ではなかろうか。

そこでまず、自分が使っている洗剤を洗い出してみた。普段使う洗剤として、洗濯用洗剤、お風呂洗い用洗剤、トイレ用洗剤。そして、毎日は使わないが、今日は掃除するぞ、という日に使うのが、床拭き用洗剤、窓拭き用洗剤。これでも持っている種類は少ない方かもしれないが、少なくなってきたら買い足すなど、それぞれに少なからず管理という手間がかかっていたことには間違いない。

そうやって洗剤について思いを巡らせていたある日、ドラッグストアの家庭用洗剤のコーナーに立って、こんなにも種類や商品があるのかと途方に暮れたことを覚えている。

ここまで厳密に一つずつ違うものを使わなければ、私たちの暮らしは成り立たないのだろうか? 本当に必要なのだろうか?

商品のパッケージをそのまま目のつく場所に置きたくないこともあったが、こんなにたくさんの種類の洗剤を使う暮らしは、もうやめようと思い立った。

●「重曹」という万能選手を使いこなす

重曹がキッチンの油汚れに強いことは、すでに知っていた。時折、コンロの五徳の汚れを落とすために、重曹をペースト状にして掃除をしていたのだ。そこでスプレータイプの容器を用意して、重曹を薄めた重曹水でキッチン周りの掃除をしてみたら、割と簡単に汚れが落ちることに驚いた。

今でこそ“ナチュラルクリーニング”として重曹と水の割合がレシピになっているくらいだが、その当時は、そんな言葉はなかったかもしれない。このくらいかなと重曹を容器に入れ、水を加えて、容器を振る。その手軽さも気に入った。

調べてみると、重曹には掃除、洗濯、消臭に使える効果があるという。そこでまず、スプレー容器に入れた重曹水を、あらゆる掃除で使うことにした。床掃除も、窓拭きも、お風呂掃除も、これ1本と決めたことで、いっぺんに3つの洗剤を手放すことができた。

残るは、トイレである。トイレだけは、汚れの種類が異なるため、クエン酸を用意して、重曹と同じようにクエン酸を薄めたスプレーで掃除をすることにした。壁や床などは、重曹を使った。

アルカリ性の汚れを落とす重曹と、酸性の汚れを落とすクエン酸。この2つで、掃除を制す。シンプルで、洗剤という持ち物が少なくなることにすがすがしさを感じた。

●洗濯用洗剤を置き換える

同時に始めていたのは、洗濯用洗剤をどうするか、という実験だった。液体洗剤は、洗濯機の投入口の汚れが気になることもあって、そのまま洗濯槽に入れることができる粉せっけんを使っていた。

粉せっけんであれば、お風呂にあるせっけんを削って溶かしたら同じことなのではないかと考え、せっけんを少量の水に溶かし、洗濯してみた。少量の洗濯物であれば話は別かもしれないが、家族5人分ともなると、あまり汚れが落ちていないように感じた。

次に、せっけんの量が足りないのかもしれないと、料理に使う竹製のおろし器を使い、固形のせっけんを洗濯物に振りかけるようにして洗濯をしてみた。これもまあ、洗濯はできているのだが、頑固な汚れが落ちるほどの洗浄力があるようには思えなかった。

そこで、全ての洗濯物を洗濯機に入れて洗うのではなく、汚れが目立つものは、それまで以上に手洗いをしてから洗濯機に入れるようにもなった。

他にも、“洗剤いらず”とうたわれている、セラミックやマグネシウムタイプの洗濯ボールも試した。汚れは落ちているようではあるが、なんとなく本当に落ちているのか、心もとないところもあった。

さて、他にどんな手があるかと考え、洗濯を「衣類の掃除である」と捉えれば、重曹とクエン酸を使えばいいのではないかと思い、使ってみることにした。汚れを落とすのは重曹で、クエン酸には柔軟剤のような効果があるようだ。今のところ、この方法に落ち着いている。

これで、家にあった全ての洗剤を手放すことになった。モノの管理が減るだけでなく、置き場所を取らず、省スペースにもなる。この、一つのモノをいくつもの用途に使う、“一石五鳥”とでもいうべき発見を友人に伝えたところ、それは、一つの面でいう合理的であることとは違う、あらゆる面から考えて合理的な“超合理主義”なのではないか、という言葉が返ってきた。

●消費すると、自分が消費されることにならないか?

この“超合理主義”という表現があっているかどうかはわからないが、それはどういう意味なのか、自分は何をやろうとしているのか、考えを整理するきっかけになった。

まず、なぜ持ち物は少ない方がいいのか。それは、この大量生産、大量消費社会の一因に、本当は必要がないかもしれないにもかかわらず、持っているのが当たり前、それを使うのが当たり前であることを疑わない風潮があるのではないかと考えているからである。

私たちは従順な消費者として、消費社会を生きている。お金を払って用意したものやサービスによって、暮らしはどんどん便利になった。けれども、消費をすることで、逆に私たちが消費されている、ということはないだろうか。

自分で考え、手を使って作る喜びや達成感を知らず知らずのうちに奪われ、モノやサービスを使う代わりに得た時間は、消費するためのお金を稼ぐために奪われてしまうのだ。

消費社会から離れて、あらゆることを自分の手に取り戻す。その入り口にあるのが、モノを持たない暮らしの実践であり、そうした暮らしを実践するために、自分のものさしで社会を捉え直すことが必要なのではないだろうか。

毎日の掃除と洗濯でお世話になっている、重曹とクエン酸

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