特集/先住民族・アイヌと森川海の権利森・川・海のアイヌ先住権研究プロジェクト ~アイヌ民族と自然、環境、資源の関係を「先住権」から問い直す

2023年07月14日グローバルネット2023年7月号

森・川・海のアイヌ先住権研究プロジェクト代表、市民外交センター共同代表
上村 英明(うえむら ひであき)

 2019年に成立したアイヌ施策推進法において、初めてアイヌ民族が「先住民族」であるとされましたが、土地や自然資源への先住権(先住民族固有の権利)は認められていません。他方、北米やオーストラリア、フィンランドなどの先住民族コミュニティは、権利回復運動を通して先住権を勝ち取ってきました。今年5月、北海道浦幌町のアイヌ民族団体「ラポロアイヌネイション」の主催で開催された国際シンポジウム「先住権としての川でサケを獲る権利」では、先住権を回復してきた世界各地の先住民族や研究者がそれぞれの事例を紹介し、アイヌの人たちとの間で議論が交わされました。
 今回の特集では、アイヌ民族を取り巻く問題の現状、先住権の本質、また、アイヌ民族の先住権回復に向けた必要な取り組みについて考えます。

 

「アイヌ施策推進法」と「ウポポイ」が示すもの

「森・川・海のアイヌ先住権研究プロジェクト」(以下、アイヌ森川海研)は、2022年6月、NPO法人さっぽろ自由学校「遊」(以下「遊」)と、市民外交センター(以下、外交センター)を中心に、アイヌ民族の正当な権利である「先住権」を『見える化』することをテーマに発足した。

アイヌ民族といえば、その状況は確実に「改善」されているようにみえる。2019年4月、「アイヌ文化振興法(1997年)」が廃止され、新たに「アイヌ施策推進法」が制定された。そこでは、初めてアイヌ民族が「先住民族」と認定され(第1条)、ヘイト・スピーチを想定して差別禁止も盛り込まれた(第4条)。また2020年7月には、同法が規定する「アイヌ民族文化財団」が運営主体となり「民族共生象徴空間(愛称ウポポイ)」が白老しらおいに開業し、このウポポイだけで国の予算約30億円(2021年度)が当てられるようになった。少なくとも、国家による民族対策が「見える」ようになった。

さらにこの法律では、「アイヌ施策推進地域計画」という政策が実現し、自治体がアイヌ団体と協議の上策定した計画が政府に認定されれば、交付金が下り、国有林の利用(第16条)、サケの採捕事業(第17条)、商品開発に伴う登録商標(第18条)の分野で手続きが緩和される。

しかし実は同法ではアイヌ民族にはいかなる権利も保障されていない。それどころか、権利保障の前提には、国民の理解が不可欠として、体験型のアイヌ文化教育施設ウポポイが開業した本末転倒の現実がある。本来先住民族の権利を議論しなければならない場で、国民の理解が前提という議論は、「女性の権利を議論するには、男性の理解が必要」というに等しい。

2019年9月に、畠山敏・紋別アイヌ協会会長は、儀式用のサケを北海道知事の許可なく採捕し、北海道政府によって警察に法令違反で告発された。畠山氏は、新しい法律では先住権として少なくとも儀式用のサケの「自由な」採捕が認められると期待したが、実現しなかったことへの抗議としての行動であった。

ウポポイと同法が示すものとは、政府の二重基準である。北海道旧土人保護法と同じで、日本国民として平等と言いながら、旧土人と差別する。先住民族と認めながら、その権利には一切触れない。それなりの予算は、またもアイヌを利用した地域振興・観光振興策かと疑ってしまう。

アイヌ民族のサケ、森林利用の権利への取り組み

そんな中、2020年ごろから「遊」では北大開示文書研究会とラポロアイヌネイション(※北海道浦幌町のアイヌ民族団体。平田氏の寄稿を参照)。を中心に「カムイチェプ・プロジェクト研究会」が始まった。2020年8月に始まったラポロアイヌネイションの「生業としての漁業権」回復を求める訴訟とリンクする形で、議論が交わされた。また同じ時期、外交センターを中心に「アイヌ森林問題研究会」が立ち上がり、先述の「アイヌ施策推進法」第16条の「国有林野共用制度」が先住権回復に有効な制度になるか、という問題意識で議論が始まった。

2つの研究会の視点では、残念ながらアイヌ民族を取り巻く問題は依然未解決で、むしろ「アイヌ施策推進法」や「ウポポイ」により、植民地支配に由来する、本質的な問題がいっそう見えなくなりつつある。制度が構築され、一定の予算が付く中で、むしろアイヌ当事者にとっても発言しにくい雰囲気が作られている。

アイヌ森川海研は、この状況を踏まえ、「先住権」としての視点を外さず、先住民族としてのアイヌ民族の権利が認められる社会を構築したいと考えて発足した。その特徴は、権利を直接訴えるのではなく、「ヤウンモシㇼ(北海道島)」で、この150年間に何が起きてきたのかを事実としてまず確認しようとしていることだ。

ヤウンモシㇼの森川海がどのように変化させられてきたか、アイヌ民族の生活や生き方がどう変革を余儀なくされてきたかを明らかにしたい。それを通して世代交代が進むアイヌ民族の若い世代が「アイヌはどうしてこんな状況なのか」と、疑問を持ち、理不尽さの本質を学ぶ機会となり、その結果「先住権」への理解を深めるきっかけにしていきたいと考えている。

ここでいう「先住権」とは、具体的には、アイヌ民族のサケ捕獲の権利、森林利用の権利などに向き合うことである。難しく言えば、「資源権」の検証であり、それは、アイヌ民族として初めて国会議員になった萱野茂さんの「アイヌは日本政府に、土地を売った覚えも貸した覚えもない」という、かつての厳しい問い掛けに回答することでもあるだろう。

かつての網走本線(1912年開通)
旧足寄(あしょろ)駅駅舎。1920
年代アイヌの合意なく進められた森林
伐採の拠点で、足寄森林鉄道の木材積
み替えの接続駅であった。(筆者撮影)

世代交代の中での「見える化」と和解のプロセスの開始

私がアイヌと関わり始めた1980年代は、法的には差別法の「北海道旧土人保護法」しかなく、政治的には日本は「単一民族国家」で、アイヌ民族はすでに存在しないと言われた時代であった。厳しい差別や理不尽な排除、大きな格差と闘いながら、1992年12月には国際先住民年を記念した国連総会でアイヌ民族として初めて野村義一さんの演説が実現。1994年8月には萱野さんが国会議員となり、1997年には不十分ながら「アイヌ文化振興法」とダム建設に対しアイヌ原告の主張を一定認める「二風谷ダム判決」が勝ち取られた。厳しい時代ではあったが、不正に対する怒り・闘志には目を見張るものがあった。

それから30年以上が経ち、時代は変わった。表面を繕う法律や政府機関が設置され、差別は巧みに見えにくくなった。政府は、アイヌ民族の文化活動の活性化は成功だ、と自画自賛しているだろう。そして若い世代はアイヌも和人(大和民族)も権力に対する批判や怒りを表現することを苦手としている。こうした時代に、アイヌ森川海研は、明治以降のヤウンモシ?の変化を確認し、客観的なデータを集め、同時に個々のアイヌの記憶をたどり、これらを統合することで、アイヌ民族の視点から、150年の変化を「見える化」しようとしている。

立ち上げから1年、明確な理念を持ちつつ、アイヌ森川海研の活動は手探り状態であった。幸い財団の支援を得て、可能性は大きく広がったが、新しい社会運動の構築は試行錯誤の連続だ。それでも、活動は、アイヌの高齢者を対象とした「聞き取り調査」と古い文献を読み直す「文献調査」に分けて進んでいる。

聞き取り調査では、同意形成のルールに従い、基本的には若手のアイヌを含む聞き取りチームが各地でアイヌの古老を訪問している。また文献調査では、開拓使の『北海道殖民状況報文』、「二風谷アイヌ語教室会報」、各市町村史などの分析整理を行っている。内容的には、アイヌ民族の自然資源の利用と生活の形態やその時代変化、また森林鉄道や認証制度の視点からヤウンモシ?の森林政策の変遷とアイヌの権利が奪われていった過程を追い始めている。これらの成果は最新技術を使ったデジタル地図や年表などでわかりやすく表示される予定だ。

このプロジェクトがアイヌの若い世代への学びの機会であると同時に、和人の各世代にとっても和解の基盤になることを期待したい。

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