特集/シンポジウム報告 Refillサミット2024 in 広島 リフィルを広げて地球も地域もサステナブル<基調講演>ゼロウェイストとリフィルのある町

2024年03月22日グローバルネット2024年3月号

翻訳家、文筆家
服部 雄一郎(はっとり ゆういちろう)さん

ごみで人生が変わった

29歳のとき、子どもが生まれ、ワークライフバランスを確保したいという動機で地元(神奈川県葉山町)の町役場に転職し、ごみ問題に関心もなかったのにごみ担当職員になりました。最初は結構がっかり。しかし、ごみの裏側を見ることになってすっかりごみ問題にのめり込んでしまい、その後自然に近い暮らしを志したいと思うようになり、縁もゆかりもなかった高知県に移住して今年で10年目です。

ごみ担当職員になって丸暗記のように分別を覚えました。さらにそれまで聞いたこともなかったコンポストの補助金担当になり、自ら補助金を利用して庭でコンポストも始めました。完全に仕事理解のためだけで分別とコンポストをやったのに、それまで週2回ごみ出ししていたのが、4週間たってもごみ箱がいっぱいにならない。その驚きがごみ問題に興味を持つきっかけとなました。

ごみの正体

日本のごみを全国平均値で見ると、家庭ごみのうち、焼却炉で燃やされるごみが80%近くで、資源化されるのは20%ぐらい。どの自治体も最近は分別が進んできていますが、一生懸命分別資源化しているようで実は8割燃やしている。そのうち、生ごみは堆肥化などで利用できるし、紙やプラなどはいずれも資源化する手段はあります。

この状況は、「海外でも同じ」ではありません。OECD加盟国のリサイクル率ランキングでは日本は20%で一番下に近い方。例えば韓国は60%を超えています。

一方、ごみの焼却ランキングでは、日本はぶっちぎりトップです。ごみを燃やすということが世界では当たり前ではなかったと知ったのは軽い衝撃でした。海外では常識も異なるのです。

『ゼロ・ウェイスト・ホーム』との出会い

しかし日本の硬直化したごみ行政の中では明るい展望が描きにくいと感じていた中で、米国・カリフォルニア在住のベア・ジョンソンさんの著書『ゼロ・ウェイスト・ホーム』に出会いました。家庭で徹底的にごみを減らし、4人家族で1年のごみは1リットルということで有名になった方です。「自分でできることでごみを減らす」ことは楽しく、自由だと思わせてくれたのが彼女の活動でした。

ごみの減量というとケチくさいとか、我慢の連続というイメージでしたが、物が少なくすっきりとした空間で、壊れる物も少なく、捨てる物もないという、理にかなった暮らし方だと思います。

ジョンソンさんは、量り売りを活用した買い物をしています。エコバッグ一つではなく、野菜を入れる袋、パンを入れる袋などの中袋や、牛乳などのリターナブル瓶も持って行きます。海外では量り調味料やシャンプーなどの液体も量り売りで買える店が多いので、瓶も用意していきます。

日本はまだ圧倒的に過剰包装ですが、できることを探すと意外にあります。僕はなるべく個人商店を使うよう心がけています。そして肉屋さんにもマイ容器を持って行きます。容器もわざわざ買うのではなく、家にあるものを使います。その他、イチゴのパックなど、残念ながらパッケージごと買わざるを得ないこともあるのですが、きれいな状態でまとめて返却すると意外に喜んでもらえます。

理想には程遠いですが、そんな取り組みをウェブ発信するようになったら、思いのほかたくさんの方に読んでいただき、ごみを通じて全国の方とつながりました。

どうやってごみを減らすか

皆それぞれ、ライフスタイルも違うので、ごみの減らし方は一概には言いにくいのですが、いろんな方のいろんなごみの減らし方を見てきた中で、極意は2つだと実感しています。

まずはとにかく「モノを減らす」。「どうごみを減らすか」考える前に「モノを減らす」ことが最大のポイントだと思います。最近「断捨離」とか「ミニマリズム」とか、モノを減らす人たちについて耳にしますが、彼らは環境問題のためにごみを減らしているわけではなく、自分のためにシンプルな暮らしを作り出しているのです。モノを減らすことの心地良さと、その結果としてごみが減る、という2つのメリットを掛け合わせることができたら一石二鳥です。

二つ目は、「ごみになりにくい素材を選ぶ」。プラスチック製品は便利ですが、壊れてしまったらごみになりやすく、修理も難しいので、代替品があるのであれば、金属やガラス、天然繊維、木、草など土に還る素材のものを選ぶようにしています。

個人の自由な力を駆使したら社会の大きな波を作り出せる

日本でごみを減らそうとしても、思い通りにいかないことやブレーキになるようなことが多いと実感しています。個人で小さな取り組みをしていても、効果の大きさと手間の大きさを比べたら意味があるのか、と思う人も多いでしょう。しかし、やはり個人のアクションは大事だと感じています。

例えば、日本でもやっとレジ袋が有料になりましたが、本当はルールなどなくても、私たちはレジでいつでも「要りません」と言えたはずなんです。でも、その自由を駆使する人が少なすぎた。

このように、個人はある意味大きな自由を持っていて、その自由をみんなが駆使したら社会の中に大きな波を作り出せるはず。例えば人が100人いたとして、そのうちの1人がごみをゼロにしても全体では1%しか減りません。しかし、100人皆が3割ずつ減らしたら全体で30%も減るのです。つまり皆が離れ技みたいなことをする必要はなく、できることをすればいいのです。

僕は「こんなこともできる」という可能性の広がりをエコの工夫から教えてもらっている気がします。また、地球環境だけでなく、自分自身が取り組み続けていくという「二重のサステナビリティ」の大切さを意識しています。無理をせず、地球人の責務を果たしていきたいと思っています。

服部家の1ヵ月の「燃えるごみ」はこのくらい

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