日本の沿岸を歩く―海幸と人と環境と第87回 世界初 ハマチ養殖発祥の恩恵を今に―香川県・引田

2024年06月17日グローバルネット2024年6月号

ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)

瀬戸内海沿岸は温暖な気候に恵まれ、漁獲と養殖による海の幸が地域の経済に寄与している。今回の取材は、四国側の徳島県から愛媛県東部の今治市まで訪ねた(4回連載)。初回は香川県東かがわ市の引田ひけた。播磨灘に面し、北西風を遮る地形が「風待ちの港」となり、古くから海運で栄えた。世界で初めてハマチ養殖の事業化に成功し、「ハマチ養殖発祥の地」として有名だ。

●漁獲減って養殖に挑戦

引田地区に入ると江戸時代の商家、讃州井筒屋敷さんしゅういづつやしき(旧佐野家住宅)に立ち寄った。資料館や観光案内所なども含む複合施設。近くを歩くと1753(宝暦3)年創業のしょうゆ醸造元「かめびし屋」の赤いベンガラの壁が目を引く。落ち着いた雰囲気が歴史を感じさせる。連続テレビ小説のヒロインのモデルである歌手笠置シヅ子(1914-85)の出身地を知らせるのぼりがあった。引田自慢の有名人だ。

野網和三郎(1908-69)が引田でハマチ(ブリの若魚)養殖に成功したのは1928(昭和3)年。野網は網元の三男で、漁獲が減ってきた漁業の先行きを案じて引田で養殖を計画した。海の魚の養殖は奇想天外のアイデア。当初反対もあったが、海水が出入りする安戸池あどいけ(広さ27ha)の一部を仕切ってアジ、サバを放流した。だが、魚は全滅、次にタイを放流したがこれも失敗。3度目にハマチの稚魚を放流して成功した。イワシなどのすり身を餌にし、水中に酸素を補給するため水車の付いた船を走らせた。こうした工夫と努力が実を結んだ。以後、県内では天然の入り江などを利用してハマチ養殖が広がった。

安戸池

ハマチ養殖は、餌の入手難、戦争などによる中断もあったが、太平洋戦争後の1950年代に現代のような海上の網いけすを使った養殖が普及した。安戸池はハマチに餌をやる光景が評判の観光名所となった。多くの人々が訪れ、その中に笠置シヅ子もいた。

引田漁業協同組合で参事の川崎美樹さんから話を聞いた。漁協はブランド「ひけた鰤」(地域団体商標)を全国へ出荷している。沖合6㎞にフロート式いけす(25m×25m、深さ25m)26基を設置する。一般のいけすの10倍以上の容積がある超大型で、1基に1万5,000匹を入れる。密度が小さく、魚は適度の運動ができる。さらに寒暖差が大きいので引き締まった肉質になるという。

冬の低水温ではブリが生存できないため、ブリはすべて出荷、いけすも撤収する。その後、漁場の海底を耕し、海の生き物が生息しやすい環境にしている。

ブリは成長に従って呼び名が変わる出世魚で、地元ではモジャコ(2~3g)、ツバス、ハマチ、ブリの順。モジャコを1年間育てて1㎏程度になったものを九州や高知県から購入。4月にいけすに入れ、10~12月まで育てて4㎏以上になると「ひけた鰤」として出荷する。漁協はカンパチ、マダイの養殖やノリ養殖にも取り組んでいるが、もちろんブリが看板魚だ。

●富栄養化が招いた赤潮

養殖で重要な餌は、イワシやサバなどの魚や魚粉などを混ぜ合わせたMP(半生のペレット餌)や栄養素をバランス良く混合したものなど上質のものを与えている。「品質が安定し、魚肉のうまさが格段に向上します」と川崎さんは自信を示す。

今やハマチ養殖は国内はもちろん世界に広まった。現在の「ひけた鰤」を笠置シヅ子のヒット曲『東京ブギウギ』に重ねてみると「引田ブリブリ」、歌詞の「ブギの踊りは世界の踊り」は「ブリの飼育は世界の飼育」になった、というところか。

海面養殖の最大のリスクは赤潮だ。毒性の強いプランクトンが異常発生し、養殖中の魚類が一夜で全滅することもある。原因は海水中の窒素、リンなどの栄養塩類に水温、塩分、日照などの条件が複合的に絡んで発生するとされる。

引田で初めて赤潮で養殖魚が大量死したのは1972年の夏。77年、78年にも大きな被害が出た。川崎さんは「大きな損害を受けて廃業する組合員もいました」と厳しかった頃を振り返る。

香川県の赤潮は75年の35件をピークにその後は徐々に減少し、現在は散発的な発生にとどまっている。

閉鎖性海域である瀬戸内海は高度成長期を中心に埋め立て、海洋汚染や富栄養化などの多くの問題に直面してきた。73年制定の瀬戸内海環境保全特別措置法(瀬戸内法)などの施策によって富栄養化に歯止めがかけられた。だが、きれいになり過ぎて逆に栄養塩不足による漁獲減少を招いている。自然を人間がコントロールするのは一筋縄ではいかない。

説明の後、川崎さんに2kmほど離れた安戸池に案内してもらった。池に面した「体験学習館マーレリッコ」では、いけすの模型や歴史を説明するパネルでハマチ養殖を解説している。ハマチへの餌やり体験も楽しめる。放流魚の釣り場、食堂や活魚などの販売コーナーもある人気の観光スポットになっている。

ブリを養殖する大型いけすの模型

●自慢の「ハマチ三兄弟」

島や湾が多く養殖の条件に恵まれた香川県の「つくり育てて売る漁業」は、地域の基幹産業である。漁業生産額の6割を養殖が占め、全国4位の生産量を誇る。

県などのバックアップも積極的だ。全国初の香川県赤潮研究所を設置したり、水産医薬品の使用基準を設けたりした。消費者や流通業者に養殖の理解を深めてもらう養殖体験会も開いている。

香川県の自慢は「ブランドハマチ三兄弟」。長男「ひけた鰤」、二男は直島の「なおしまハマチ」、三男はオリーブ葉の粉末を添加したエサを与えた「オリーブハマチ」だ。オリーブハマチは、野網和三郎の生誕100年とハマチ養殖80周年を機に、県海水魚類養殖漁業協同組合など県ぐるみで2007年にデビューさせた。県花・県木のオリーブと県魚のハマチを組み合わせたザ・香川のブランドである。

ブランドハマチ三兄弟のポスター

県内では他にも海面養殖のニジマス「オリーブサーモン」(旧名「讃岐さーもん」)の出荷を今年4月から始めた。夏でも食べられる三倍体マガキの養殖(小豆島)などの取り組みもある。多種類の魚介類の養殖に挑んできた進取の気性はハマチ養殖発祥の誇りの延長線上にあるようだ。天然魚では「第二の県魚」サワラの漁獲量が1998年に18tまで減ったが、資源管理や種苗放流で回復させている。

引田から高松へ戻る途中、オリーブハマチの養殖が盛んな志度湾に立ち寄った。牟礼港近くの海岸にいけすの枠がいくつも置かれていた。

夕暮れが迫る中、たどり着いた屋島(標高292m)。屋島寺や2年前に完成したおしゃれな展望施設「やしまーる」などの周辺を散策。源平の古戦場、瀬戸内海などの眺望が素晴らしい。

高松市街にある高松城は、探したが確認はできなかった。この城の天守閣復元を目指す市民運動の行方が気になるところだが、ハマチ養殖に賭けた人々の熱意や創意工夫に満ちた歴史を知れば、天守閣の雄姿を復元させる地元の力を信じたいと思った。

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