21世紀の新環境政策論 人間と地球のための持続可能な経済とは第72回 炭素国境調整メカニズム(CBAM)について考える
2025年07月16日グローバルネット2025年7月号
京都大学名誉教授
(公財)地球環境戦略研究機関シニアフェロー
松下 和夫(まつした かずお)
はじめに
ヨーロッパ連合(EU)が2023年から移行期間として導入した炭素国境調整メカニズム(CBAM)がいよいよ2026年から本格的に動き出す。現時点では米国のトランプ大統領の関税政策で世界経済が翻弄されているが、CBAMも関税という制度を使った重要な気候変動政策である。この機会にCBAMの最近の動向とそのもたらす影響について考えてみたい。
炭素国境調整メカニズム(CBAM)とは何か
CBAMは、EUが導入した制度で、EU域外から輸入される一部の製品に対し、EU域内の炭素価格との差額分の支払いを課し、EU域内の排出量取引制度(EU ETS)との公平性を確保し、カーボンリーケージを防ぐことを目的としている。カーボンリーケージとは、環境規制の厳しい国から、規制の緩やかな国へ企業が生産拠点を移すことで、結果的に地球全体のCO2排出量が増加してしまう現象を指す。
CBAMは2023年10月から2025年末までを移行期間とし、この間は報告義務のみで課金は発生しない。CBAMの直接的な対象は、EU域外から対象製品を輸入するEU域内の事業者で、「認可CBAM申告者」として登録し、輸入製品の排出量や支払済みの炭素価格を記載した申告書を提出する義務がある。本格的な課金開始は2026年から予定されており、輸入者は排出量に応じた「CBAM証書」を購入し、EUに納付する必要がある。対象となるのは鉄鋼、アルミニウム、セメント、肥料、水素、電力などの炭素排出量が多い輸入品であり、今後対象が拡大される可能性もある。2026年1月からCBAMの本格適用が開始され、EU-ETSの無償排出割当が徐々に削減されていく。2034年にはEU-ETSの無償割当が完全に廃止され、CBAMに完全移行する計画である。
EUのCBAM導入の狙い
EUは、これまで脱炭素を産業競争力強化のためのドライバーとして活用し、グリーンディール政策や気候変動対策を進めてきた。欧州委員会は本年2月に「クリーン産業ディール」を発表し、脱炭素と産業競争力強化を同時に実現する政策を打ち出している。エネルギー集約型産業やクリーンテクノロジー産業への投資を促し、低価格のエネルギー供給やグリーン市場の創出、投資リスクの抑制などを進めていく。
CBAMを導入したのは、EU域外からの輸入品にカーボンプライシング(CO2排出量に応じて企業や個人がコストを負担する仕組み)を適用して公平な競争環境を維持し、EU域内の企業への不利益を排除するためである。EUは他の国々と協力してカーボンプライシングの導入を促進している。国際的にカーボンプライシングが導入されることでグローバルな競争環境が公平になることを目指す。EUと同様のカーボンプライシング制度を導入している国の企業からの輸入品ならCBAMの徴収金が差し引かれる。EUはCBAMで収益を得ることは目的としていない。より多くの国々がカーボンプライシングを導入することを望んでいる(以上は日経新聞ESGグローバルフォーキャスト(2025.04.22) 欧州委員会気候行動総局のクルト・ヴァンデンベルケ総局長へのインタビュー記事より抜粋)。
英国でもCBAM導入
英国の歳入関税庁は2025年4月24日に、同国の炭素国境調整メカニズム立法草案を発表した。英国は27年1月1日から、輸入される特定の製品に炭素価格の支払いを求めるCBAMを導入することを決めている。英国CBAMの対象は、温室効果ガス排出量の多いアルミニウムや鉄鋼製品、セメント、肥料、水素。対象製品を輸入する英国内の事業者は、製品生産時の温室効果ガス排出量や炭素価格に基づいて計算する「CBAM税」の支払いが義務付けられる。英国は独自の排出量取引制度(UK ETS)を導入しているが、CBAMの導入に伴い、UK ETS対象企業に無償で与える排出枠の割り当て方法を見直す方針としている。
CBAMの他の国、とりわけ日本やASEAN諸国への影響
現時点では、CBAMの対象となっている鉄鋼、アルミニウム、セメント、肥料などの品目は、日本からEUへの輸出量は限定的であるため、直接的な影響は比較的小さいと評価される。しかし、今後CBAMの適用対象が有機化学品やポリマー、さらに鉄鋼・アルミニウムを用いた川下製品に拡大された場合、日本の輸出産業への影響は大きくなる可能性がある。
CBAMでは、輸出製品の製造時に排出されたCO2排出量を報告しなければならないので、企業はCBAMの対象品目の拡大に備えて、CO2排出量の可視化と報告体制を整備していくことが重要であろう。
公益財団法人地球環境戦略研究機関(IGES)では、CBAMがASEAN加盟国に与える影響を分析し、適切な対応策を提案したポリシーブリーフ(https://www.iges.or.jp/en/pub/asean-cbam-implications/en)を公表している。その主要なメッセージは以下の通りである。
- 現時点では対象が鉄鋼、アルミニウム、肥料、セメント、電力、水素の6分野に限定されておりASEAN諸国のEUへの輸出規模は比較的小さい。ただし、CBAMの適用範囲は今後拡大する可能性があり、他の主要貿易国も同様の措置を検討しているため、ASEANは対応が必要。
- ASEAN諸国は炭素価格の導入を強化し、産業の脱炭素技術導入、再生可能エネルギーの活用、エネルギー効率の向上などの施策を進めるべき。
- ASEAN諸国は、CBAMの報告・適用ルールを簡素化するようEUに働きかけるとともに、CBAMへの対応強化に向けた支援を求めることが可能。
- ASEAN域内で炭素価格戦略を統一し、EUとの対話を強化することで、競争力低下を防ぐことが重要。
この報告の重点は、ASEAN諸国が受動的にCBAMの影響を受け入れるだけではなく、これを機にカーボンプライシング政策を積極的に導入し、環境政策を強化する機会とすべきだと提案しているところにある。
おわりに
CBAMは、適切に設計されれば、気候変動対策の「ただ乗り」を防ぎ、各国におけるカーボンプライシングの導入など炭素排出削減の努力を促進する役割を果たし得る。
他方、CBAMは、国際貿易にさまざまな影響を及ぼす。特に、EU市場と関わる企業や国々にとっては、貿易のルールやコスト構造が変化する可能性がある。CBAMの導入により、EUに輸出する企業は炭素排出量に応じた「CBAM証書」の購入が必要になる。炭素集約型産業(鉄鋼、アルミニウム、セメントなど)は特に影響を受け、輸出コストが上昇する可能性がある。
CBAMは企業にとって負担となる一方、環境対応を強化する機会にもなる。特に、EU市場での競争力を維持するためには、早めの対応が求められる。CBAMの影響を軽減するためには、企業は製造プロセスの脱炭素化や技術投資を進め、省エネルギー設備の導入や再生可能エネルギーの活用が重要になる。CBAMに対応できる企業は、環境負荷の低い製品を提供することで競争力を強化でき、一方、対応が遅れる企業はEU市場での競争力が低下するリスクがある。
CBAMは、発展途上国にとって「新たな貿易障壁」となりかねず、国際的な軋轢を生む要因となる可能性もあるとの指摘もあり、今後もWTO(世界貿易機関)との整合性や、各国の対応が重要な論点となる。
CBAMの導入を進めるEUなどは、途上国などの懸念に配慮するとともに、各国においてもカーボンプライシングの導入など炭素排出削減の努力を促進し、国際的な連携の下で、脱炭素経済への移行を加速することが望まれる。
