食卓からみる世界-変わる環境と暮らし第2回 アフリカ熱帯林の狩猟採集先住民ピグミーの食の変貌について

2017年10月16日グローバルネット2017年10月号

WCS(Wildlife Conservation Society)コンゴ共和国支部 自然環境保全技術顧問
西原 智昭(にしはら ともあき)

「森の師」ピグミーとぼくがつながった契機

アフリカ中央部の熱帯林に依拠してきた先住民は、従来は「ピグミー」と呼ばれてきた(注:昨今「ピグミー」は蔑称扱いされるが、本稿では便宜上彼らを「ピグミー」と称することがある)。狩猟採集民のピグミーは、まさに動物を狩猟し植物を採集しながら森の中での生活を営んできた。森林にすむ動物を追跡する能力に長け、森の植物の名前やその利用法を熟知している。薬用などの植物などについての知識は、地球上の貴重な文化財産といってもよい。

ぼく自身、もともと、アフリカと何か強いつながりやこだわりがあったわけではなかったが、「人間とは何か」を知りたかったぼくは、人類学を通じて、それを探ることができるのではないかと考え、大学院に入った。機会を得た対象は、偶然にもアフリカに生息する、人類に最も近い類人猿であった。当時あまり知られていなかった野生のニシゴリラの生態を明らかにすることがテーマとなった。

1989年、初めてのアフリカの地で、初めての野外でのキャンプ生活、経験したことのない長期にわたる研究調査が始まった。そうした生活は心身に不思議となじんだが、無論、容易でないことは少なくなかった。電気・水道はなし、病気への危険性、虫の猛襲など、挙げれば切りがない。

しかし、熱帯林という自然環境の素晴らしさを体得し、森での生活の仕方や、ゴリラのことを知り得るようになったのは、森を熟知し、ぼくのガイドであったピグミーがいたからである。その後、現在所属する国際野生生物保全NGOであるWCSで野生生物・熱帯林保全の仕事の道を歩むことになっても、ぼくにとっての「森の師」はピグミーであることに変わりはない。

森の先住民の定住化と森林開発、そして貨幣経済の浸透

1989年に初めてコンゴ共和国に到着したとき、先住民である彼らは森の中に住んでいた。多少の衣服はすでにまとっていたが、まだ伝統的な狩猟・採集生活を続けていた。原則的に、狩猟・漁労は男性の仕事、採集や裁縫など家屋の中での作業は女性の仕事といった男女分業体制である。すべての食物は季節依存であるが、食用となる甘酸っぱい果実、刻んだ後煮物に入れるとサクサクとした触感がいい葉(写真)、野生の根茎類、毛虫やカブトムシなどの昆虫、獣肉としてのほ乳類や爬虫類、魚類などの種類は数百種類にも及ぶ。

食用の葉を刻んでいるピグミーの様子

中でもハチミツは大好物である。30mもの高い木に登り、その樹洞に巣食っているハチの巣からハチミツを採集するのだ。ハチミツの季節が終われば果実の季節がやって来て、その次は食用の毛虫、キノコの季節と続く。それが終われば乾季の水量の少ない河川でかき出しながらの漁労が行われる。狩猟採集民には主食の炭水化物は、野生のイモ以外にはもともとないが、長い歴史の中で森の周辺部に住む農耕民バンツーとの間で物々交換が行われ、獣肉など森の産物と引き換えに主食となるキャッサバなどを手に入れてきた。

当時は貨幣経済すら、彼らの間には浸透していなかった。ゴリラの研究をするにあたり、森を知る先住民の助力が必要であった。彼らは快く応じてくれたが、「報酬」は当初は彼らの好きな「たばこ」であった。貨幣経済は、時を同じくして浸透し始め、数年後にはわれわれ調査隊も、現金で報酬を供与することになった。また同時期、国の政府の方針で、森の民も近隣の村に定住生活するよう通達された。移動生活は中止を余儀なくされ、近郊の村に定住するようになった。

ぼくがコンゴ共和国に来て25年以上経た今、定住化と貨幣経済の浸透の中で森の先住民は当時以上の辛苦をなめている。狩猟採集の産物で自給自足し、その産物を農耕民と物々交換すればいいという時代は終わった。多くの先住民は日々暮らしていくために、その日に必要な金銭を稼ぐしかない。

森林伐採は植民地時代から始まったと思われるが、とくに拡大してきたのはここ20年ほどのことである。それとともに、政府は農耕民の村に定住するようピグミーに通達した。定住しながら今ピグミーができることは、森の中に縦横無尽に開かれた木材搬出路の長い道のりを炎天下の中歩き、売ることのできる植物やキノコ、毛虫などを採集する。日によっては往復する距離は30kmにも及ぶ。伐採会社の基地ができると、先住民が基地を取り囲むように移住し、伐採会社のスタッフであるバンツーから依頼があるブッシュミート目的の狩猟に携わり、獣肉と交換で現金を得る。今ではそうした狩猟でさえ、往復30kmも歩かないと捕れない場合が多い。

貨幣経済の中、ピグミーは今や、従来の森の中での遊動生活により獲得することのできた豊かな森の産物を食することができないばかりか、物々交換によりキャッサバなどを手に入れることができなくなった。採集で得られるわずかな森の葉やキノコ、昆虫などを除いては、キャッサバやパンなどの炭水化物、獣肉や川魚などのタンパク源、調味料なども、市場などでお金を出して買わなくてはいけない。しかし、定期的収入を得られるような先住民はごくわずかしかいない。

憂慮する次の世代――従来の食生活は永遠に失われていく

森で生きて行くための技能や知識は教科書で教わるものでなく、年長者や親から学ぶ場は学校ではなく森だ。しかし国際的な近代学校教育の普及に伴い、先住民の子供はかつてのように森に長く滞在する機会が少なくなった。結果は明瞭で、森の伝統的知識や技能が若い世代に伝承されない事態が続出している。文字の読み書きができても、森の植物の名前は知らない。動物を追うことができない。かつてのような狩猟採集生活を営むことができないばかりか、季節に応じた多種多様な食物を手に入れる技術を受け継いでいない。一方、

現時点での中高年は、辛うじて親から森のことを学んだ世代である。森での伝統的技能や知識を維持しつつ、町で手に職を得ている先住民も出てきている。それもいまや「新しい生き方」の一つかもしれない。

彼らの伝統文化の喪失は、われわれの現在の「野生生物保全」に関わる活動、つまり「パトロール」や「研究調査」にも計り知れないマイナスの影響を与える。先住民の適切な森でのガイドなしでは、生物多様性、豊かな熱帯林の保全の活動は効率よく実施できない。森の保全ができないことは負のスパイラルとなり、かつてのように自由自在に森の中を遊動する生活が奪われただけではなく、十全に狩猟や採集ができる森が次々と喪失し、ピグミーが依拠していた野生動物の数も大幅に減少し、狩猟採集を基盤としたピグミーの従来の豊かな食生活は一層失われていくのである。

こうした事態に対し、森を知る中高年以上の世代が憂慮しているのは確かだ。しかし、彼らの平等主義社会原理に基づき、集団のリーダーが強い発言力を持つような仕組みになっていないことにも起因し、それは個人的な不平やつぶやきにとどまり、コミュニティー全体の声にはなっておらず、その間に、もろもろの近代化の波にさらわれつつあるのが現状である。

ピグミー自身の未来を決めるのは彼ら自身である。しかし、われわれ現場を知る、保全に携わる者や先住民を研究する人類学者の役割があるとすれば、彼ら自身の話し合いの場を作り、他の狩猟採集民による昨今の「自己主張」の事例を示し、情報を共有しながら、未来へ向けての在り方を一緒に検討していくことだろう。あるいは、周辺の森で伐採を行う事業者と政府にFSC(森林管理協議会)の認証獲得への使途を提言しながら、彼ら先住民への豊かな食生活の確保など従来の生活様式への配慮を促進していかなければならない。

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