21世紀の新環境政策論~人間と地球のための持続可能な経済とは第28回 ケイト・ラワースの「ドーナツ経済学」-21世紀の経済学者らしく考える7つの方法-

2018年03月30日グローバルネット2018年3月号

武蔵野大学教授、元環境省職員
一方井 誠治(いっかたい せいじ)

「経済学」への真正面からの挑戦

世の中に「○○の経済学」と題された本は、数多く出版されています。その多くは、社会経済におけるある事象を取り上げ、それを経済学的視点から分析してみせるというものです。

しかしながら、2017年に出版され、今年2月に翻訳出版(河出書房新書、黒輪篤嗣訳)された本書(原題直訳:本稿のタイトル、邦題:『ドーナツ経済学が世界を救う』)は、そのような本とは一線を画し、現代における「経済学」そのものを現代社会の課題の観点から見直し、「経済学」の新たな形を提言しています。少し大げさに言えば、本書はこれまでの主流派の「経済学」と「経済学者」に正面からけんかを売った本といっていいかもしれません。

ただし、本書は、決して奇をてらった批判のための批判の書でもなければ、ただ単に問題や課題の再整理をした書でもありません。著者のケイト・ラワースは、オックスフォード大学で政治学、哲学、経済学の学士号を取得し、さらに開発経済学の修士号を取得した後、アフリカのザンジバルの農村で3年間、マイクロ企業家たちと仕事を共にし、その後国連開発計画で4年間働き、さらに貧困と不正を根絶するための活動を国際的に行っているNGO団体であるオックスファムで10年間上級研究員を務めました。その後、母校に戻り、現在、オックスフォード大学環境変動研究所の講師などを務めています。

本書の中核的な概念である「ドーナツ」に至った経緯を著者は次のように述べています。「わたしたちが暮らす世界は経済学で形づくられている。わたしという人間の形成にも、いくら拒んだとしても、経済学の影響があることはまちがいなかった。私は経済学にふたたび戻って、それを逆から見直してみようと思った。つまり古い経済理論から始めるのではなく、人類の長期的な目標から始めて、その目標を実現させられる経済思考を模索してみたら、どうなるだろうかと考えた。そして、それらの目標を図で表そうとしたら、ばかばかしく聞こえるかもしれないが、ドーナツのような図ができあがった」。

SDGsと「ドーナツ経済学」

気候変動問題をはじめとする環境問題、貧困や平等の問題、さらには金融危機などの経済・社会問題など、現代社会は多くの課題に直面しています。それらの課題に対処するため、国連では、2015年に、環境、経済、社会の分野にわたる17項目から成る持続可能な発展目標(SDGs)を採択しました。

このSDGsは、世界から注目を集め、現在、多くの国や企業でその取り組みが始まっています。もとより、この17項目は、「誰一人取り残さない」ことが強調されており、最終的にはすべての項目の同時達成が目指されているのですが、ややもするとそれぞれの主体が、それぞれに関心のある項目に力を入れることにとどまり、それらの関係性や重要度、目標達成に至る全体像が見失われかねないという懸念が私(一方井)にはありました。

ドーナツ経済学では、これらの項目の関係性と全体像を極めて明確に示すことに成功しています(図)。 ドーナツの図における外側の環は、「環境的な上限」を表しています。これは、プラネタリー・バウンダリーという概念のもと、ヨハン・ロックストロームらが研究してきた、いわゆる地球環境上の制約を示しています。また、内側の環は「社会的な土台」を示しています。ここに示されている項目は、SDGsの項目と形式的に一致しているわけではありませんが、内容的には、ほぼ一致していると見ることができます。

図 ドーナツ経済学

現在、環境的な上限に関しては、すでに「気候変動」「生物多様性の喪失」「土地改変」「窒素及びリン酸肥料の投与」において上限を超えており、社会的な土台に関してもすべての項目について、多かれ少なかれ下限よりも不足しているとされています。

従来型の「経済学」から新しい「経済学」へ

従来型の経済学では、市場経済による効率性が大きくクローズアップされ、環境問題や格差問題などは、外部性の問題などとして、必ずしも正面から大きく取り上げられてきませんでした。また、金融の果たす役割についても、基本的には市場を安定させるものとして、その機能への制約には慎重な立場がとられてきました。

さらには、経済分析の中心となる人間行動の捉え方についても、従来型の経済学ではすべての人間は、合理的経済人であるという仮定のもと、経済理論が組み立てられてきました。そのような状況の中で、「資本主義経済は数世紀をかけて、法律や制度や政策や価値を再構築し、その結果、継続的なGDPの成長を期待し、成長を要求し、成長に依存するものになった」と本書は指摘しています。

著者は、現実社会が直面している課題や問題に照らして、「経済学」が依拠してきた一連の仮定とそれと相まって形づくられてきた現代社会の在り方について根本的な疑問を投げ掛け、新たな経済学の構築に向けて、次のような七つの提言を行っています。

  • ①目標を変える―GDPからドーナツへ
  • ②全体を見る―自己完結した市場から組み込み型の経済へ
  • ③人間性を育む―合理的経済人から社会的適合人へ
  • ④システムに精通する―機械的均衡からダイナミックな複雑性へ
  • ⑤分配を設計する―「再び成長率は上向く」から設計による分配へ
  • ⑥環境再生を創造する―「成長で再びきれいになる」から設計による環境再生的経済へ
  • ⑦成長にこだわらない―成長依存から成長にこだわらない社会へ

グリーン成長は可能か

本書の最終章では、「グリーン成長は可能か」という問題を扱っています。成長という概念を「所得の増加」に置き換えて考えたとき、次のような難しい問題に直面します。

「経済成長せずに、国民の窮乏に終止符を打った国はこれまでに一国もない。経済成長によって、自然環境の悪化に終止符を打った国もこれまでに一国もない」。

その一方で、「わたしたちは、経済が成長するかどうかに関係なく、自分たちが繁栄できる経済を必要としている」と著者は述べています。

このことは、ドーナツ経済学でいうドーナツの環の中に入るためには、経済成長と資源利用の「十分な絶対的デカップリング」が必要であることを意味しています。すなわち地球環境の許容限界以下に、新たな技術も利用しつつ成長に関わる資源利用を減らせるかという大きな課題です。また、貧困や格差是正のための所得と資本の双方を含む分配をいかにして設計できるか、またそれを社会全体として合意できるかという、これまた大きな課題があります。

本書は、これらの重要な課題を提起したところに大きな意義があり、高く評価されるべきものではありますが、もとより本書が直ちに「世界を救う」ものではなく、今後に続く必要のあるさらなる研究や行動の指針を示したものといえます。その意味で、邦訳の『ドーナツ経済学が世界を救う』という訳は、やや原題の趣旨を伝え切れていないきらいがあります。訳文自体は大変読みやすいだけに残念な印象を持ちました。

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