特集/今、企業に求められる自然資本評価~社会と企業経営を持続可能にするツール金融セクターにおける自然資本評価

2018年06月15日グローバルネット2018年6月号

三井住友信託銀行 フェロー役員
チーフ・サステナビリティ・オフィサー
金井 司(かない つかさ)

2010年に生物多様性条約第10回締約国会議で愛知目標が採択されて以来、「自然資本」を国家や企業の会計・経営に盛り込む取り組みが国際的に活発化した。私たちの生活や企業活動を支えるこの資本をどのように守り、増やしていくか、議論が交わされ、さらに自然資本による価値の経済的評価に対するニーズが高まってきている。本特集では、自然資本評価の最新動向、そして日本の企業で初めて自然資本評価に取り組んだ事例、および金融セクターが自然資本評価を活用する背景やそのメリットについて紹介する。

国内外で急拡大しているESG投資

環境、社会、ガバナンスに配慮したESG投資が急拡大している。世界のESG投資額の統計を集計している国際団体のグローバル責任投資アライアンス(GSIA)の集計によると、2016年の世界のESG投資の市場残高は22.9兆ドル(約2,500兆円)に達した。市場をけん引しているのは、2006年に国連機関が創設したESGの生みの親であるPRI(責任投資原則)と、欧米の年金基金をはじめとする大手機関投資家である。

日本においてESG投資が広がり始めたのは比較的最近のことである。2014年にガバナンスに加え社会・環境リスクへの対応の必要性を明記したスチュワードシップコードが導入されたことが契機となっており、その後、世界最大の公的年金であるGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)がESG株式指数の採用など矢継ぎ早に促進策を打ち出したことで市場は一気に拡大し、2017年の時価総額は136兆円を突破した。

ESG市場拡大の要因は二つあると思われる。一つは、大手機関投資家の間に、長期的に経済にダメージを与え投資基盤を劣化させる環境や社会問題に対して自らの抑止力を行使すべきだというユニバーサルオーナーの考え方が台頭したことである。抑止力には、取締役選任議案への反対や投資撤退(ダイベストメント)といった「劇薬」もある。もう一つは、中長期的な企業価値向上の源泉として無形資産(ガバナンス、人的資本、知的資産、企業文化など)に対する投資家の関心が高まっていることだ。バランスシート上に計上される有形資産の株価の説明力は大きく低下しており、統合報告書などに記載されている非財務情報から無形資産価値を分析し、企業の長期的な成長力を把握することがアナリストの腕の見せ所になっている。無形資産とESGは同一ではないが、重なる要素が多い。

環境情報の質的変化

ESG投資は投資リターンを度外視した運用ではない。しかし、環境(E)に関する情報については財務リターンにつながる確かな道筋を描き切れておらず、ガバナンスや人的資本などの無形資産と比べ素材としての弱さは否めなかった。それ故、ユニバーサルオーナーはダイベストメントのような強硬手段に訴えているという側面もあったが、今、そうした状況に大きな変化が起きている。

2017年6月、先進25ヵ国の財務、金融当局、中央銀行を束ね、各国の金融行政に強い影響力を持つ金融安定理事会(FSB)が組織した気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)より、「気候変動関連の財務情報開示」最終報告書が公表された。報告書は、気候変動リスクには災害を引き起こす「物理的リスク」だけでなく経済を激変させる「移行リスク」があり、金融システムを揺るがす事態も懸念されることから、企業は気候変動が財務に与える影響(リスクと機会)を分析し、しかるべき形で情報開示すべきだと指摘している。このことは気候変動情報が非財務の領域を飛び越え、一気に財務情報となることを意味する。開示が進めば、個別企業が気候変動問題に起因する経済環境の変化にキャッシュフローベースでどのような影響を受けるのかという推測が容易になるため、資産運用における投資判断だけでなく、融資の際の信用リスク判断、保険のプレミアムの算定といった多くの金融業務に活用されるようになるだろう。

自然資本と金融

本稿のテーマである自然資本についても、この文脈で考える必要がある。国際連携組織である自然資本連合が2016年7月に発表した自然資本プロトコルは、自然資本を「人々に一連の便益をもたらす再生可能、および非再生可能な天然資源(例:植物、動物、空気、水、土、鉱物)のストック」と定義し、企業はそれらに与える「影響」と「依存度」について範囲を決めて計測し、価値を評価してビジネスに組む込むべきだとした。この考えに基づけば、気候変動も「空気」への「影響」なので、自然資本リスクの一類型として整理できる。逆に言えば、気候変動分野で急進展している財務分析の試みは、他の自然資本にも展開が可能ということだ。

「依存度」を重視する意味も大きい。中国がレアアースの対日輸出規制に踏み切ったことは記憶に新しいが、このことは資源を海外に頼る日本が大きな自然資本リスクを抱えていることを浮き彫りにした。資源の枯渇懸念に加え自由貿易の危機が叫ばれている昨今、金融機関は日本企業の海外からの調達リスクを投融資のリスクとして勘案する必要があり、プロトコルの方法論をそのままリスク分析に取り込むことに違和感がなくなってきている。また、企業の調達リスクの集積は、マクロレベルでは国のリスク(ソブリンリスク)になる。UNEP FI(国連環境計画・金融イニシアティブ)が主導し、大手格付機関も参加したE-RISCプロジェクトにおいて、このことは日本国債の潜在的な格下げ要因となることが指摘された。日本国債を保有している多くの投資家は想定外の資産価値の毀損リスクを抱えていることになる。

三井住友信託銀行では、こうした考え方に基づき自然資本評価型環境格付融資を開発した。これは環境の取り組み評価に応じて金利を優遇する環境格付融資のオプションメニューとして、融資先から調達データ(どういう品目をいくら買ったか)を入手し、定量評価ツール(プライスウォーターハウスクーパースが独自に開発したESCHER(エッシャー))を活用しその企業のサプライチェーンの上流にさかのぼった地域別の水の使用量、土地の利用面積、温室効果ガスの排出量についての分析結果を還元するサービスだ。このデータは企業の地域別の水と土地への依存度、空気への影響の定量化に他ならない。この結果にさまざまなストレステストをかけて自然資本リスクをキャッシュフローベースで把握できれば、融資の信用リスクの判断に織り込むことができるようになる。金融機関として活用する場合の最終ゴールはそこにあると考えている。

今後の方向性について

融資は相手先企業のみの評価で足りるが、投資(資産運用)の場合は数十、数百という企業で構成されるポートフォリオレベルで自然資本リスクを把握する必要がある。投資家としては膨大な労力とコストをかけ、ESCHERなどのツールを使って1社ずつのリスクを分析することは現実的ではない。したがって、まずは企業に対し、より広範な自然資本に関する情報開示を求める動きになるだろう。先に述べたTCFDによる情報開示要請は、いわばその先兵隊と考えればわかりやすい。

2018年4月、自然資本連合は自然資本プロトコル・金融セクター補足書をリリースした。金融業界からもUNEP FIの自然資本ファイナンス・アライアンス(旧自然資本宣言)が策定に加わり、内容的にもわかりやすく実用的なものになっている。この補足書は、今後、金融機関にとって自然資本のバイブルのような存在になる可能性がある。

最後に重要な点を指摘しておきたい。金融業界では今、猛烈な勢いでデジタル化が進んでいる。スイスではTCFDに対応したポートフォリオレベルでの気候変動リスクの算定サービスが始まっているが、膨大な情報処理がその基盤になっているはずだ(もちろん、情報は現時点で開示されているものに限られるが)。気候変動リスクにとどまらない広範な自然資本への影響と依存度の分析を行うには、恐らく気の遠くなるようなビッグデータの処理が必要に違いないが、金融界の昨今のITイノベーションのスピードを見ると、日常のリスク管理にそれらを活用できる日は遠からずやって来るような気もしてくる。そしてその暁には、環境情報は、投資家にとって格段にマテリアル(重要)なものになっているはずである。

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