特集/脱炭素社会を実現するために今、求められるカーボンプライシング東京キャップ&トレード制度の成果と制度化への提言

2018年09月18日グローバルネット2018年9月号

公益財団法人自然エネルギー財団 常務理事
大野 輝之(おおのてるゆき)

抜本的な排出削減を求めるパリ協定に対応するために、二酸化炭素(CO2)の排出に対して価格付けをするカーボンプライシングの考え方が世界では定着しつつあります。その代表的な仕組みである排出量取引制度や炭素税は世界約40ヵ国および24の地域ですでに導入されています。海外や自治体の先行事例などを参考にしながら、日本が脱炭素社会に移行するために必要なカーボンプラインシングの望ましい在り方について考えます。

はじめに

都のキャップ&トレード制度は、2008年6月の東京都環境確保条例の改正で導入が決まったものだ。それからすでに10年以上が経過した。大きな削減実績を上げ、東京の気候変動対策の骨格としてしっかりと定着している。筆者は、当初から制度導入を担当し、現在でも2020年からの第3期制度を設計する「専門的事項等検討会」の委員として都の議論に加わっている。また中央環境審議会の委員として国のカーボンプライシングの検討にも参加している。この小論では、都制度導入の背景、実績を簡単に紹介するとともに、国での制度化に関する考えを述べたい。

都制度導入の背景と経緯

都のキャップ&トレード制度の出発点となったのは、2000年の環境確保条例制定で導入された第1段階の「地球温暖化対策計画書制度」だ。これは大規模事業所に対策計画書の提出を義務付けたものだが、削減対策自体は各事業所が自主的に行うことに委ねる弱い制度だった。都の制度担当者も1~2名しかおらず、運用体制も極めて脆弱だった。

都が気候変動対策に本腰を入れたのは2002年からであり、11月に公表した「都市と地球の温暖化阻止に向けた基本方針」の中で、初めて総量削減義務の導入を提起した。これは先駆的な問題提起であったが、当時の経団連や東京電力などからの強固な反対に抗せず、実現することはできなかった。代わりに導入されたのは、最初の計画書制度に「都の指導・助言、評価・公表」の仕組みを加えた第2段階の制度である。

この制度は2005年4月から開始されたが、開始当初からその限界が明らかになった。提出された削減計画では、全体の4分の3の事業所の削減目標は5年間で5%にも達しないという低レベルのものだった。都は2006年12月に「10年後の東京」という長期ビジョンを策定したが、その中で2020年までに2000年比で東京の温室効果ガス削減量を25%削減するという目標を立てていた。大規模事業所が提出した自主的な削減目標のレベルは、これとは大きく乖離するものであり、対策の強化が必要となった。

2007年6月、都は「東京都気候変動対策方針」を策定し、その中で初めて「総量削減義務と排出量取引制度」、いわゆるキャップ&トレード制度の導入を提起した。特徴的なのは、この中で翌2008年度中の条例化という目標を明記していたことだ。制度の検討を開始しても、いつ実現を目指すかを明らかにしない国のやり方とはまったく異なる。

7月から都レベル、国レベルの事業者団体、企業、NGOなどを招いたステークホルダー会議を開催し、活発な議論が展開された。その内容は拙書『自治体のエネルギー戦略』(岩波新書

2013年5月)をご覧いただきたい。特徴的なのは都内の事業者からは、制度が導入される場合の事業活動への影響に対する懸念が具体的に表明されたのに対し、経団連などから表明されたのは「東京都が検討している制度は、いかなる改善を図ろうとしても基本的な問題解決にはつながらない」という、反対ありきの見解だったということだ。都は、欧州排出量取引制度(EUETS)の事例などを持ち出し、導入に反対する経団連の資料に、事実に基づく全面的な反論を行うとともに、都内の事業者の懸念に応える制度提案の修正を行った。この結果、東京の経済界での理解が広がり、2008 年6 月には都議会の全会一致の賛成で条例改正が成立した。

都制度の実績

実現した都制度の内容については、東京都環境局が公開している「東京グリーンビルレポート2015」(2015年7月)がわかりやすいので参照されたい。ここでは2010年4月の制度運用開始からすでに8年が経過した制度の実績を紹介する。

結果が明らかになっている最新年度、2016年度の削減実績は合計で基準年度の26%減という大幅なものだ。これは削減義務率17%を超える高い水準である。重要なのは、本制度の導入によって経営層の二酸化炭素(CO2)削減に関する意識が変わったことである。都のアンケートによれば、「CO2削減に対する経営層の関心が高まったか」という問いに対して、合計72%が「大いになった」「なった」と回答している。また「設備更新の際に高効率機器の採用に対して積極的になったか」という問いに対しても、72%が「大いになった」「なった」と回答している。

経営層の意識を変え、大幅な省エネ投資を可能にする、というのは上述した第2期制度の限界を超えるために、総量削減義務制度の導入に当たって目的としたものだった。この点では狙いどおりの成果を上げたと評価できる。

導入提案に対して、当時、経団連らが都知事に提出した意見では、キャップ&トレードの問題点として、「公正な企業間競争を阻害」「全国、世界レベルでの温暖化対策に逆行」「技術革新を阻害」「都市の活力を減退」などの点が挙げられていた。これらの指摘がいかに的外れだったかは、逐一データを挙げて示す必要もないだろう。東京の経済はこの間、成長を続け、一方でエネルギー消費は減少するというデカップリングを実現している。都制度開始後、都内では高効率機器の拡大、グリーンビルの建設が続いている。

停滞を続ける国での制度化

2008年に都がキャップ&トレード制度の導入を決めたとき、世界で先行するのは欧州排出量取引制度と米国北東部諸州の地域温室効果ガスイニシアティブ(RGGI)しかなかった。その後、今日まで排出量取引制度は各地で導入され、カーボンプライシングのもう一つの形態である炭素税も広がっている。世界銀行グループの報告書では、2018年段階で45ヵ国および25地域レベルで何らかの形での炭素価格が導入されている。

国レベルで見ると、日本では世界水準の10分の1、20分の1という低額の地球温暖化対策税があるだけであり、実質的にカーボンプライシング不存在の状態が続いている。その弊害の最も端的な表れが、今もって日本では30以上の石炭火力発電所の建設プロジェクトが動いている、という事実である。CO2の排出には、二酸化硫黄、二酸化窒素などに課せられている直接的な排出規制もない。つまり今日の日本は、気候変動を加速し、国民の安全、健康に重大な影響を与える環境汚染物質であるCO2に対し、その排出を抑制する規制的手法も経済的手法も存在しないという異常な状況にあるのだ。

国における制度構築への示唆

東京では2008年に総量削減義務が導入されたのに、10年たっても国でカーボンプライシングが実現できないのはなぜか。経済団体のごく一部に確信的な反対意見があることは周知だが、それが導入を実現できない理由ではない。あえて率直に指摘すれば、真の理由は導入に向けた政府の戦略と決意の欠如だ。カーボンプライシングは世界的には伝統的なエネルギー産業も含めビジネスの多くが、その導入を支持している。日本でも多くの企業の間で導入への肯定的な意見は広がっている。脱炭素への政策選択が企業にとってコストではなく、新たな機会を開くものであることは、いまやビジネスの常識になっている。

どのような制度が今日の日本に適した最も効果的なものかは、しっかりした検討が必要だ。筆者は「幅広い炭素税と少数の大量排出事業所を対象とするキャップ&トレードまたは直接規制の組み合わせ」が最も効果的ではないかと考えているが、より良い方式があるかもしれない。

国に求められているのは、かつて都がそうしたように、導入期限を限って実践的な制度構築を進めることだ。議論だけを延々と続ける状態に甘んじることは許されない。

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