フォーラム随想ささやかな楽しみで生きる

2019年01月18日グローバルネット2019年1月号

地球・人間環境フォーラム理事長
炭谷 茂(すみたに しげる)

「来月、妻と一緒に3ヵ月間のクルーズ船の旅に出掛ける」とある会合の席で高いトーンで話す人がいた。クルーズ船の旅は、私にとっては映画の世界で縁のないことである。

しかし、この私でも実は一度だけクル―ズ船に宿泊したことがある。それも世界で有数の豪華客船に!

2001年7月、環境省地球環境局長の時、イタリア・ジェノバ・サミットに随行した。当時は世界各地で反グローバリズム運動が激しかった。ジェノバ・サミットでも心配されたので、安全のため港に係留されたクルーズ船が小泉純一郎総理など首脳を含め参加者の宿舎に当てられた。

実際、会場の周辺では世界から集結した20万人のデモ隊が激しい反対運動を行った。投石がなされ、催涙ガスの臭いが、私たちが作業をする部屋まで入ってきた。この時は死者も発生した。

私に割り振られた船室は、丸い窓から海面がスレスレに見える船底に近い狭い部屋だった。大型船であったから揺れはしなかったが、快適とはいえず、良い印象はない。どんな食事をしたのかもまったく記憶していない。

だから私は、クルーズ船の旅をしたいとも思わないし、どだい経済的・時間的に余裕などはない。一方では多額の費用を使って出掛ける高齢者がいるのが、今日のご時世だ。

 

最近、高齢者の生活状況は、格差が大きくなり、多様化した。裕福な生活を楽しむ人がいると思えば、日々の生活費に事欠く人、闘病中の人、配偶者の介護で苦労する人がいっぱいいる。

私は、早朝の習慣として歩いて10分くらいの場所にあるコンビニへ新聞を買いに行く。

明るい太陽の日差しを浴びながら、新鮮な大気を吸う。軽く体を動かすことは、体に心地よい刺激を与える。一日の始まりのためのウォーミングアップになる。

毎日、いつも新聞スタンドに並んだ一番安い値段の朝刊を買う。

この新聞の家庭欄に掲載される読者が投稿したエッセイが好きだ。この新聞の投稿者は、私と同じ年齢層の庶民が多いようだ。文章はうまくないが、私が経験しそうなありふれた日常風景を飾らぬ文章で描く。プロのエッセイストにはない味がある。

自宅の庭で育てた野菜のこと、一戸建ての家を売り、マンションに引っ越したこと、1年前に亡くなった配偶者の思い出などさまざまなテーマが登場する。いずれも底流に庶民感情が流れ、私には素直に理解できる。

 

私は、年齢を重ねるにつれ、ささやかなことに楽しみを見出すようになった。体力や技術の要ること、お金がかかることはできないから、その代償措置だ。

「高齢期を充実するために趣味を若いころから持て」と言われる。定年準備講座の常とう句だ。でも要らぬお節介で、高齢期になれば、工夫次第で楽しみは見出せるから心配は無用だ。

狭いマンションに住んでいるので、庭いじりはできない。代わってベランダにプランターを置いて花を育てる。今年は琉球朝顔を育てた。朝顔は、夏に咲くと思っていたが、琉球朝顔は、12月、寒くなっても毎朝オーシャンブルーの鮮やかな花を咲かせる。これを見ると一日が元気になる。やがて、しぼんでくるが、別のつぼみから花を開かせる。

昼休みは職場の近くにある港区立芝公園を散歩する。華麗なバラの花がたくさん咲く。自宅でバラを育てるのは、相当の手間と技術が求められるが、私は、容易にぜいたくに鑑賞できる。

温泉旅行には行けないけれど、家庭の風呂でゆっくりするのもぜいたくだ。スポーツジムに行かなくても、速歩で歩けば運動効果が出て、満足だ。高級ワインよりも妻が入れてくれるコーヒーの方が、ずっとおいしい。

「これでよいのだ」といつも自分を納得させている。

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