環境ジャーナリストの会のページ辰濃和男さんの環境思想を振り返る

2019年02月19日グローバルネット2019年2月号

フリーランス
芦﨑 治(あしざき おさむ)

2017年12月6日、朝日新聞元論説委員で日本環境ジャーナリストの会初代会長の辰濃和男さんが逝去された。晩年、車椅子になっても息子さんと沖縄の海に取材に行かれたと聞いた。そうした想いの激しさを知って、辰濃さんの環境思想を振り返ってみたいと考えた。

2018年12月4日に開いた定例勉強会に、ゲストとしてお呼びしたかったのは2人いた。1人は、辰濃さんと二人三脚で雨水利用の普及、啓蒙活動に奔走した村瀬誠さん。もう1人は、「高尾山の自然をまもる市民の会」事務局長の橋本良仁さんである。

村瀬さんは東京・墨田区職員として錦糸町や両国で起こる都市型洪水で商店がひどい被害に遭っている苦情を知る。そこで洪水の防止と水資源利用の観点から両国国技館に雨水をためる設備をつくることに尽力する。

「雨水を廃棄物にするな!」という村瀬さんの活動を辰濃さんがいち早く反応し、「天声人語」欄に取り上げたのは1984年12月4日だった。

 相撲の力水(ちからみず)や元旦の若水(わかみず)のように古来から日本の慣習として水は霊力のあるものとして大切に扱われてきたと辰濃さんが説いた。その後も、雨水利用の推奨は続き、「恵の雨をそのまま捨て去って下水に流してしまうなんて、恐ろしいことだ」と書く。

1994年に雨水国際会議を立ち上げ、村瀬さんが実行委員会事務局長、辰濃さんは実行委員会会長を務めた。

恵の雨を尊ぶ辰濃さんは、しばらくして雨水という表現をやめ、「天水」と表現するようになる。天がもたらす大切な資源、人間は水の循環によって生かされている。こうした「循環の思想」を継承したのが村瀬さんだった。

退職後に、NPO法人雨水市民の会を設立、世界的に水質の悪いバングラデシュを選び、(株)天水研究所を作って、安全な飲み水を確保する持続可能なスカイウォーター・プロジェクトを展開している。バングラデシュにはすでに90回以上、訪れているという。

「辰濃さんの思想とは、単に資源を大事にして循環させることの大切さを説いただけでなくて、それは自律の思想でもあり、共生の思想でもあった」と村瀬さんが振り返った。

勉強会の第2部では辰濃さんが珍しくテレビ取材に応じた「晩秋・枯れ葉のじゅうたん」(NHK『美しい日本百の風景』)の録画映像の一部を視聴した。高尾山の枯れ葉を両手でもみながら、数分のインタビューに応じた姿が映し出される。

この後、橋本良仁さんが圏央道高尾トンネル計画に反対した高尾山天狗裁判での陳述書の逸話を紹介した。

辰濃さんが裁判長の前で、読み上げるために作った陳述書だった。

「辰濃さんが時間ぎりぎりまで何回も推敲を重ねた陳述書でしたが、内容は辰濃さんの持論である『風土生命体論』だったのです」

高尾の山野を歩き、花鳥風月を愛で、お遍路よろしく歩いては書く。また歩いて書く。歩きながら、辰濃さんが到達した自然観だった。

高尾山に生きる動物、鳥類、昆虫だけでなく、生きものを育んでいる山の土も主人公、そしてあるがままに生きている風、水、霊気、それらすべてが主人公であり、その総体が「高尾山の風土生命体」だったと言う。

トンネル工事反対運動では、自然保護グループ以外に、若者たちが工事反対のロックフェスを企画して対抗した。

橋本さんはロックフェスに尻ごみする辰濃さんを呼んで、あいさつに立ってもらったという。すると、「このトンネル工事で高尾山の土を作ってきた何億匹ものミミズが死にます。みなさんと高尾山のミミズに黙とうしましょう!」と呼び掛け、ロックフェスに集まった何百人の若者たちが辰濃さんと一緒に黙とうしたのだという。

ディープエコロジストならではのエピソードを披露した。

「陳述書は『風土生命体論』の序論でした。橋本君、この続きを書かないか? と勧められましたが、『風土生命体論』は未完に終わったのです」と橋本さんが語った。

辰濃さんは、言葉で世論を動かすことに信念を持ち続けた人だった。辰濃さんのことばの数々に心打たれた人々も多かったのではないだろうか。

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