拡大鏡~「持続可能」を求めて第3回 地元の「特別な時間」に遊ぶ旅~宮城県東松島市宮戸地区から考える

2019年02月19日グローバルネット2019年2月号

ジャーナリスト
河野 博子(こうの ひろこ)

知床が世界自然遺産に登録された2005年、環境省が普及に力を入れ始めていたエコツアーへの関心はまだ低かった。一味違う自然体験をしたいと思う人は最近、多い。でもエコツアーはさほど普及していない。

松島湾の「停止した時間」

仙台発のJR東日本仙石東北ラインに乗ると、塩釜駅を過ぎたあたりから、森、沼、湿地、入り江が次々に現れ、車窓の際からブルーの海水面が広がる。「舟で秘密の浜に上陸し牡蠣を食べるとか、面白いツアーをやろうとしている人たちがいる」。東松島市商工観光課の職員、石垣亨さん(43)の情報に心惹かれ、野蒜(のびる)駅で降り、宮戸地区に向かった。

遊覧船の発着場に土産品売り場などが併設された「あおみな」で、「風が強いのできょうは舟を出せないと漁師さんが言っている」と聞かされた。がっかりしていると、その漁師さんがぬっと現れた。身長190cmの巨漢。櫻井晋さん、45歳だった。「松島の島々を使った観光ができないか、舟で松島湾に遊ぶという企画」を考えている、という。

官能小説で有名だが芥川賞受賞作家の宇能鴻一郎に「松島・雪の牡蠣船」という紀行文がある。松島湾で牡蠣船に乗り、熱燗の酒を飲みながら牡蠣鍋をひたすら食べるシーンが印象的だ。

櫻井さんの構想は、その有名な牡蠣船とは違うらしい。「団体さん用の、船長さんとガイドさんがいる観光の船ではなくて小舟、このへんの漁師舟に乗って島々をもっと近くで見てもらいたいのです」。

「松島湾には、停止した時間がある。ここって海なんですか、というくらい静か~な時。海面が鏡のようになって、太陽の反射光で島や浜が全部逆さに写る。夕方だと、照り返しで真っ赤になった里浜が映る。11月の早朝には、西の空に月が沈んでいくのと東から太陽が昇ってくるのと両方が見えることもあります」

父も祖父も漁師。牡蠣のほか、刺し網や素潜り漁も行うが、観光客にも特別な海の風景を見せてあげたい、と昔から思っていた。「手を休め、周りをふっと見渡した時、めちゃくちゃ素晴らしい、ああ、ここにいて良かった、と思う時がありますから」。

舟でしか行けない場所に建造物がまったく見えない浜がけっこうな数あり、そこで牡蠣を焼いて食べたり、楢の枝を海にさして寄ってくる小魚をタモ網で取る地元独自の「ナラッパ漁」を見せたり。構想は広がる。

「あおみな」の焼き牡蠣(五つ750円)も、ただ焼いただけなのにこんなにおいしいのか、と驚きだった。そんな浜で牡蠣を食べたら格別だろう。

地獄合宿

櫻井さんのアイデアは、昨年7月に宮戸地区の民宿で行われた通称「地獄合宿」で練ったものだ。東松島市が主催し、ちょっと変わったツアーを考える8人が参加した。地域おこし協力隊員として東松島市に赴任して3年目の関口英樹さん(50)は、「シーカヤックで無人島に行って過ごす」というアイデアを披露した。生まれ育ちは東京・大田区。これまで山や海、川などネイチャー系の仕事や趣味があったわけではない。ではその着想はどこから?

「宮戸地区の南端の月浜から、目と鼻の先に唐戸島という無人島が見えます。前から気になっていた場所で、あそこで遊べたら面白いだろうな、と」

関口さんのアイデアは昨年10月、石巻圏観光推進機構が実施したモニターツアーを経て、一歩実現に近づいた。台湾から旅行に来ていた女性2人に参加してもらい、まずシーカヤックで月浜から唐戸島に上陸。浜辺でホットサンドを作ってランチを食べたり、ドラム缶で炊いた風呂に入ったり、楽しんでもらった。

ただ、このツアーを商品化するには、地震・津波に備えての避難路の確保や山の上の避難場所整備が必要だ。地権者の許可を得て役所の手続きをクリアしなくてはならない。「ツアーの価格設定も問題。手間暇を考えて設定すると、お客さん的には高くなる。安くするのはいいが、ニーズはあるのか。せっかくいい場所があるので遊んでもらいたい。最悪、トントンでもいいのかなとも考えるし」と思い悩んでいる最中だ。

「奥松島」とも呼ばれる宮戸地区は、江戸の昔は、伊達家の鷹狩場だった。いわば、元祖レジャースポット。「奥松島で遊ぼうよ」と、櫻井さんや関口さんは広く呼び掛けていきたいと思っている。櫻井さんは知り合いやその紹介の客に舟で島々を見せてきたが、一般に呼び掛けるのは、これから。個別にそれぞれが細々と行うのか、組織やネットワークを作って実施するのか、二人の結論は出ていない。

宮戸地区南端の展望地からは、無人島・唐戸島の浜(中央奥)が見える。そこで遊ぶツアーを企画する関口さん(右)と櫻井さん(左)、石垣さん。

震災、そして人口減

背景には、2011年3月11日の東日本大震災後に加速した人口減と地域経済の衰退がある。人口約4万の東松島市全体で大震災の死者は1,043人。宮戸地区には山があり、津波による死者は8人だった。震災後は、近隣の高台に移り住む人が多く、人口が減ってしまった。宮戸地区の遊漁船利用者数は2010年には2,355人だったが、2017年は57人と、2%余りにまで減った。

大震災の前から、観光を念頭に自然資源を掘り起こす努力は続けられてきた。地元住民でつくる宮戸コミュニティ推進協議会は2009年、「新宮戸八景」を選定。パンフレットや絵本などを作ってアピールしてきた。

中心となったのが、当時宮戸市民センター職員だった木島新一さん(68)。奥松島観光ボランティアの会の事務局長を務める。「宮戸には戦時中、人間魚雷の基地があり、隧道が残っている。山桜やセッコクという珍しい花も咲く。遊漁船で隣の浦戸諸島と宮戸を結び、さまざまなコースを設ければ面白いことができる」。浦戸諸島には同じ志を持つ人たちがいて、協力し合う方向だ。木島さんは、櫻井さんたちの世代が本格的に動き出すことに夢をつなぐ。

石垣さんは「旅館、飲食店、お土産屋さんをもって観光という考えは、古いと思う。東松島市が目指すのは、地域に愛着を持つ生活者が地域資源を活用してお客さんにお越しいただく観光。農業、水産、あらゆる産業の人たちに輪を広げて考えていきたい」と話す。

観光・旅行客をめぐる各種統計によると、団体客が激減し、個人客が多数を占める。体験型プログラムの人気も根強い。車で急いで観光スポットを回るありきたりの旅は魅力を失っている。宮戸地区でも最近、歩く旅やトレイル・ランを楽しむ人が増えてきた。追い風は吹いている。

2008年、議員立法による「エコツーリズム推進法」が施行された。当時は、世界自然遺産登録地でガイドが自然環境の「通訳」として活躍するタイプが主流だった。その後、地元の住民が文化や産業など「地域の宝」を発掘し、旅人と共有するエコツアーも増えた。ただ、地元の思いと観光客の需要をつなぐ仕組みづくりは難しい。個別のニーズに対応しなければならないし、案内する側も農業、漁業者で専業ではないからだ。持続可能な仕組みをどう作るか。現場力とともに推進法を所管する環境省など4省庁の連携力も問われる。

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