拡大鏡~「持続可能」を求めて第4回 街が海の生物に開かれる日~驚きの「葛西臨海公園」から考える

2019年04月15日グローバルネット2019年4月号

ジャーナリスト
河野 博子(こうの ひろこ)

駆け出しの新聞記者だったころ、江戸川区や東京都政を担当した。この10数年は主に環境分野を取材。西葛西という街に住んだこともある。葛西臨海公園にはよく足を運んだ。だがそのすごさを知ったのは最近のことだ。

国連防災世界会議で注目された「エコDRR」

干潟や湿地は津波や高潮の勢いを弱める。それを自然の盾として利用し、減災する。沿岸生態系(Eco)による災害リスクの減少(Disaster Risk Reduction)、短く縮めて「エコDRR」と呼ばれ、世界的に注目されている。

2015年3月、仙台で開かれた第3回国連防災世界会議を取材した時のこと。関連イベントのシンポジウムで、希少な動植物の生息地として知られる仙台市の蒲生干潟の地元高校生たちが行った「提案」に驚いた。干潟近くの旧防潮堤(高さ4.5m)は、2011年の東日本大震災の津波により壊された。宮城県と仙台市は、高さ7.2mのコンクリート製の防潮堤を再建し、その内側に事業所や工場を誘致するとしていた。

これに対し、高校生らは新防潮堤を陸側にセットバックした位置に建てたうえで土で覆って木を植え、その海側を「楽しい防災公園」にしたらどうか、と提案した。そこには、国の鳥獣保護区特別保護地区に指定されている蒲生干潟、野鳥観測所、ターザンロープなど遊具のある避難山、江戸時代の仙台藩物流拠点の一部を再現した舟溜まりなどが並ぶ。斬新な発想もさることながら、私が驚いたのは、この構想を描くために高校生らが東京都の葛西臨海公園を視察した、ということだった。「葛西臨海公園内の園路の下に防潮堤が埋まっている」との公園関係者からの説明に、高校生らはヒントを得たという。

高校生らの提案は日の目を見なかった。しかし、彼らの説明を聞いて、私は初めて葛西臨海公園のユニークさを知った。それは、防潮堤を覆う形で盛り土をしているため江戸川区で最も海抜が高い陸の部分と、広大な海辺からなる。

魚や鳥の楽園・三枚洲から海・浜・陸の連続性

小さな赤や黄色のバケツを持った子供たちの歓声が響く。干潮で海の下から現れた黒っぽい砂地を歩いた。写真を撮るのに夢中になるうち、私のゴム長靴がずぶずぶ沈み、抜けなくなってしまった。近くにいた大学生の助けで長靴から足を抜き、裸足になった。ヌルッとする泥の下を冷たい水が流れ、気持ちいい。

西なぎさ、東なぎさの前に広がる干潟は三枚洲と呼ばれ、400ha近く、ニューヨークのセントラル・パークの約2倍もの広さがある。ハゼ、アサリなどの魚介類が豊富で、ゴカイ類を餌とするシギ・チドリなどの渡り鳥が集まる。江戸時代から、春の潮干狩り、夏の海水浴、秋のハゼ釣りと、行楽地として知られた。

しかし、日本列島各地の干潟同様、1960年代前半(昭和30年代後半)には、ここを埋め立てる計画があった。それを吹き飛ばしたのが、1971(昭和46)年1月、美濃部亮吉知事が発表した東京都の「海上公園構想」だった。葛西臨海公園は、革新都政が生み出した「海上公園」の一つだ。

東京都職員(造園)として海上公園をめぐる計画・事業化の当初からそのすべてのプロデュースに参画した樋渡達也(ひわたし たつや)さん(88)は、「(葛西沖を埋め立てて市場などを建てる計画について)それはおかしい、東京の海を取ってはダメ、そこは鳥と魚と人の場所にしなさい、と言ったのが美濃部さん。海上公園という言葉をパッと出したのも美濃部さんです」と話す。

樋渡さんによると、美濃部知事と親しかった東大教授(水産学)の檜山義夫博士と釣り船業者らによる働き掛けが大きかった。1967年ころから、檜山博士らの「江戸前のハゼを守る会」が陳情などの活動を活発化させた。東京湾の漁業権は1965年に消滅している。「漁業者は漁業補償を得てすし屋などに転業したもののうまくいかず、釣り船屋を始めた人たちがいた。そのベースとなるハゼがいなくなっては困る。そこで、ハゼ釣りという文化を残そう、自然を保護しようという声を上げ始めた」と樋渡さんは当時を振り返る。

1964年には東京五輪が行われた。この年、『沈黙の春』(レイチェル・カーソン著、1962年に米国で出版)の日本語版が出て、自然を守ろうという機運が高まった。檜山博士らが「魚介類豊かな海を取り戻そう」と訴え、「野鳥の会」をはじめ自然保護グループが加わって、市民参加型による海上公園づくりが走り出した。

葛西沖の「海上公園化」を実現したのは、東京都の行政マンの力仕事だった。当時の都市公園法ではできなかった野鳥のサンクチュアリ設定などを可能にするため、1975年に海上公園条例を作る一方、土地区画整理事業を進めた。葛西沖には、通常は海面下だが引き潮になると現れ、所有権も設定された「水没民地」があった。都は公有水面埋め立て免許を取得し、水没民地を区画整理区域に組み入れたが、すべて埋め立てることはせず、緑の丘が海と交わる広大な公園を作った。

樋渡さんによると、通常は海岸線ぎりぎりに防潮堤を作りその内側の公園を守る形にするが、「海、浜、陸が連続していないと、海岸の生物は困る」ため、防潮堤は丘のような形の緑地に変わり、そこから海側の公園は、「猛烈なリスクを背負った。例えば、水族園は防潮堤の外側にある。高潮が来た時にどうするかは、水族園自身で考える、そういう覚悟をした」のだという。こうして、陸の葛西臨海公園、海の葛西海浜公園という広大でユニークな公園が出来上がった。

ラムサール条約湿地登録

葛西海浜公園の三枚洲は、2018年10月、アラブ首長国連邦・ドバイで開かれたラムサール条約第13回締約国会議にあわせて、国際的に重要な湿地に登録された。私費でドバイに駆け付けた「日本野鳥の会東京」幹事の飯田陳也(いいだ のぶや)さん(72)は、「長年目指してきたことが成った」と喜びをかみしめた。

▲長年の夢がかなって笑顔の飯田さん。後ろに見える三枚洲では、人々が春の干潟を楽しんでいた。(筆者撮影)

三枚洲では、コアジサシ、ホウロクシギなど多くの野鳥が見られる。今年2月の探鳥会ではスズガモ1万700羽、カンムリカイツブリは5,500羽も確認された。鳥だけではない。陸側の林には、トンボやクモなどさまざまな生きものがいる。

東京都は2020年の五輪を招致する段階で、西なぎさの対面の公園内にカヌー競技場(カヌースラローム)をつくる計画を立てた。野鳥の会は「全体が生きものの楽園になっている貴重な公園をつぶして競技会場にすることは許されない」と訴え、7年前から反対運動を展開。結局、競技会場は公園外の都有地に移された。

しかし、そもそも都はなぜ、樋渡さんら先輩たちが行った公園づくりを自ら否定するような計画を立てたのだろうか。生きものや生態系の豊かさ、重要性は、人間の開発や利用の前に、簡単に忘れられてしまうということだろうか。

「人間はすでにある干潟を利用することができても、干潟を作ることはできない」。春の三枚洲を歩きながら、樋渡さんが強調していたことを思い出した。

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