忘れられた地下水問題~持続可能な地下水の保全と利用に向けたガバナンスとは~上下流の協働で守り育むくまもとの地下水

2019年11月15日グローバルネット2019年11月号

NPO法人くまもと未来ネット
大住 和子(おおすみ かずこ)さん

 日本には地下水管理のための総合的な国の法律がなく、その保全・管理は地方自治体に任されてきました。地下水が空気と同様に資源として位置付けられていなかったためで、わが国の地下水政策は大変遅れています。
 その現状と課題、そして国内の地下水保全の先進事例を紹介し、持続可能な地下水の保全と利用に向けたガバナンスの構築について考えます。

 

国連「生命の水」最優秀賞受賞

熊本市は2013年3月、オランダで開催された「世界水の日国際式典」において、「国連“生命の水” (水管理部門)最優秀賞」を受賞した。授賞理由は、上流域で行われる、市域を超えた湛水事業とさまざまな連携によって、熊本の地下水が守られているということ。また、行政区を超えた公益財団法人くまもと地下水財団の発足などで地下水を守っていることだった。日本からの受賞は熊本市が初めてであった。

地下水が豊富な理由

阿蘇には湧水群がたくさんある。その一つ、役犬原(やくいんばる)湧水群。田んぼや喫茶店の庭でも見られる風景だ。

火山活動によって雨水がしみ込みやすく、たまりやすい地質構造や地形ができる。日本は火山国ゆえ、地下水100%を上水道水源にしているところは多いが、規模において熊本市とその周辺域11市町村(熊本地域と呼ぶ)は、突出している。約100万人の上水道水源を全量同一地下水で賄っている。また、阿蘇のカルデラは人の営みがある点では、世界一の規模である。保水力の高い草原を維持し、農業を営み、林業を行っている。もともとの火山としての保水力と人の営みが生み出す地下水が、カルデラ内の地下水を豊富にした。

カルデラの中で白川と黒川が流れ、外輪山の切れた所で白川に合流。白川は硬い岩盤の上を流下するので、流域が広がらないまま有明海に注ぐ。江戸時代に、肥後藩主となった加藤清正が、白川に井手(用水路)の掘削を命じた。それによって、洪水が緩和され、水田を開くことができるようになった。井手は熊本市にも流れており、阿蘇の水が熊本市中に流れているといっても過言ではない。阿蘇の人びとのたゆまぬ努力によってカルデラ内の豊かな地下水が育まれ、白川の水も豊かになったこと、そして加藤清正によって掘削された井手によって開田が可能になったこと、それらが熊本地域の地下水を豊富にした。人の営みなしには、持続可能な地下水のことは語れない。

官民協働での取り組み

2000年、熊本市第2次環境総合計画の市民協働の部分を、直接市民に書いてもらおうという熊本市の英断が、熊本市の環境行政の、ある分岐点だったといえる。

環境に関する活動団体の代表が集められ、「協働とは何ぞや」「どんなことを盛り込めばいいのか」と議論百出。グループに分かれて、それぞれ、今抱えている問題なども盛り込みながら作業は終わり、解散する時に、進捗状況を検証し、実行する必要性から出来たのが、環境パートナーシップ会議熊本、通称エコパートナーくまもと、略称エコパだった。運営をする会議体と九つの作業部会で成り立つ。環境部局のそれぞれの課が担当となり、会議には必ず担当者が入った。

第2次環境総合計画立案から10年後の2010年に熊本市第3次総合計画の市民協働の部分を策定してエコパは役目を終えたが、この経験は以後のさまざまな場面で生きている。

同時期の市民の動き

1986年、新聞に熊本市の上水道水源である取水井戸から、高濃度の有機溶剤検出の大きな見出しを市民は見ることになる。きっかけは、IC工場集積地での有機溶剤漏えいだが、驚いた私たちは、水道水、有機溶剤、健康被害の学習会を続け、知り得たことを発表する集会を開くことになった。200人の会場に400人が来場。会場に入り切れないのに、帰る人はほとんどなく、終わるのを待って、さまざまな質問が出た。その時参加費が余ったので、報告集を作った。

しかし、関心が高かったのは一部の人たちで、集会で使ったスライドで手弁当の出前講座をしたが、「水道水が地下水100%て、手前みそタイ」「田んぼで水がたまるといっても、ダムがなくてドガンスットカイ」という時代だった。しかし今は、熊本市水保全課の努力によって、市内の小学4年生は地下水の学習をし、ほぼ99%(残りは転校してきた子供)が水道をひねると地下水100%のミネラルウォーターと、元気に答えてくれる。

水田は偉大な水がめなのに減反政策が

ザル田という言葉があるように、水田は地下水を涵養し、さらに脱窒効果もあるので、清冽で豊かな地下水が育まれることは市民でも知っていた。ところが、1970 年代から、減反政策が始まった。白川中流域の湛水について研究機関と協働で調査研究をし、市民向けの学習会にも早くから取り組んでいたのは、肥後銀行内にある財団法人肥後の水資源愛護基金(当時)。熊本の地下水問題研究の先駆けで、稲に代わる水田湛水を試みていた。そこに太田黒忠勝さんという白川中流域の農家の方が、熊本市への地下水を心配して、実験的に水張を始めていた。さらに、ソニーセミコンダクタマニュファクチュアリング株式会社が、NPO法人環境ネットワークくまもと(略称:かんくま、現NPO法人未来ネットくまもと)と協働で湛水事業のきっかけを作った。両者は2004年湛水協定を締結。減反田に水を張る事業が始まった。白川の堰から引いた水で湛水する、湛水が営農の一環であること、などさまざまな規定がある。

同年4月、公益財団法人くまもと地下水財団が発足。行政区を超えた動きができるようになる。

熊本地域の地下水保全の活動に、企業の存在は大きい。サントリーホールディングス株式会社の益城町津森での冬水田んぼへの取り組みは、白川中流域の湛水事業では冬季に水を張れないのを益城町の川からの通水で可能にした。また、震災時の農地復興には資金援助も含めて積極的に取り組んだ。菊陽町にある株式会社山内本店は、地下水涵養米(白川中流域の「水の恵み米」を使った「匠の味噌」の製造・販売にとどまらず、湛水事業への助成金の負担をし、自社内での節水にも取り組んでいる。

湛水事業が始まった 2004年の翌年、地下水の恩恵を受ける熊本市民も地下水保全活動の見える化を図ろうとエコパ(行政も含む)が提唱して始まった節水市民運動。それに連動してわくわく節水倶楽部を作り会員を募集。これに14万人が登録した。富士フィルムが進出するにあたって、かんくまの事務所に来訪。熊本では下流の熊本市で14万人が登録している節水運動があるとのこと。うかつなことはできないと、相談に来たと言われた。「ここに来てもらって良かった!」。これらの企業に対する立地地域の人びとの共通した感想である。

協働によりさまざまな施策が実現

地下水は上流の水の入り口を守らないと、量も質も守れない。また、住民の力を借りなければ、解決することができないという思いが、水行政の部署の人には強くある。そこに協働の経験が生かされて、さまざまな協働が実現している。2015年、熊本県の農政部は、「地下水と土を育む農業推進条例」を策定し、有機農業を推進している。その第一の柱に県民協働をうたい、その見える化で、農薬を使わない農地で生き物観察をするバスツアーを始めている。県民とともに立案していく中で出てきたものだ。

熊本県では、県民の誇る地下水を持続可能にするためのさまざまな施策が、県民市民協働で行われていることが、市域を超えた取り組みをたやすくしているのだろう。

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