忘れられた地下水問題~持続可能な地下水の保全と利用に向けたガバナンスとは~主婦が守った地下水を令和時代へ

2019年11月15日グローバルネット2019年11月号

大野の水環境ネットワーク
大野市議会議長
梅林 厚子(うめばやし あつこ)さん

 日本には地下水管理のための総合的な国の法律がなく、その保全・管理は地方自治体に任されてきました。地下水が空気と同様に資源として位置付けられていなかったためで、わが国の地下水政策は大変遅れています。
 その現状と課題、そして国内の地下水保全の先進事例を紹介し、持続可能な地下水の保全と利用に向けたガバナンスの構築について考えます。

 

2014年3月27日「水循環基本法」が成立、4月2日公布。第3条には「水は国民共有の貴重な財産」と明示、第2条には「健全な水循環」が明瞭に定義された。人口3万4,000人余りの小さな自治体に住む私たちはこの日をどんなに待ち望んできたことか。これで今後50年、100年先まで、子や孫にこの地の宝である「地下水」を継承することができると歓喜に沸いた。同時に過去への責任と、未来への責任を果たすべく次のステージの始まりでもあると実感した。

水を守る運動が開始 県初の地下水保全条例が施行

福井県大野市は1575年、大野に入封した織田信長の武将、金森長近公が亀山に城を構築し、領民のために「町用水」を整備し上水路、下水路を備え、奥越前の中心地として町の繁栄を築いてきた。地形や気象状況による豊かな地下水は今日も約8割の家庭が直接地下水をホームポンプでくみ上げ、生活用水として使用している全国でも珍しい自治体である。

この町に異変が起こったのは1967年。市内で井戸枯れが多発。お米をとげない、赤ん坊のミルクが沸かせない、オムツも洗えない、台所を預かる主婦にとって「水」がないことほどつらいことはなかった。井戸枯れの直接の原因は、融雪のために大量の地下水を揚水したことだったが、水源地であるくぬぎ林の開拓、電力ダムによる河川流量の減少など大野市の地下水環境はその10年以上も前から変化しており、地下水融雪は井戸枯れに拍車を掛けることになっていく。そこで 1974年、「イトヨのすめない町はやがて人間も住めなくなる。地下水対策が手遅れにならないために」と主婦たちの水を守る運動が始まった。

1977年1月は異常寒波と豪雪により、市街地の約1,000戸以上の井戸枯れが発生。長い間雪に悩まされてきた市は行政、企業、市民とともに、手間を掛けずに雪を解かしてくれる地下水はまるで魔法の水のごとく、心と水を奪うことになった。生活に限界を感じていた主婦たちは「融雪をやめよう」と集会を開き「水を守る会」が発足されることとなる。

活動では、行政の進める融雪政策の禁止や大量揚水の企業への規制などを求めた。しかし「融雪や工業に水を使うなとは、今どき何を言っている」「井戸が枯れたら上水道をつくれば済む」「水が足りなくなったらダムの水を使えばいい」との声に、会設立者の野田よしえ氏は、女性の代表として地下水審議会に加わり女性たちのくらしの声を届けた。

同年10月、福井県初の地下水保全条例が施行。全国に先駆けて、地下水は公共のものであることを明示、地下水による融雪の禁止と工業用水に対する循環装置の指導や揚水量の報告義務(地域限定)等が盛り込まれる。その後野田氏は議会に進出し、水の保全を訴える。会は現場調査や科学的根拠を知るべく専門家を講師とする学習会を繰り返し、素人「科学者」として活動の輪を広げていった。

工業団地造成差し止め訴訟

1991年、水源地に化学薬品を使用する企業誘致の計画が持ち出された。1年前にクリーニング有機溶剤汚染が発覚した矢先であるにもかかわらず、市は広報で「公害の不安はまったくなし」と発表し、進出企業決定を報道した。会は汚染物質が地下水に影響することを立証し、同年7月、市を相手に「中据工業団地造成差し止め訴訟」を起こした。原告には食品業界の有志、「水を守る会」幹部、主婦代表の面々。老若男女が立ち上がり、いのちの水を守ろうとする市民のエネルギーは大きく、次第に広がりを見せた。訴訟却下の判決が下り大野の名水訴訟は、市内外に大きな波紋を投げ掛けることとなった。

公共下水道問題が本格化

1996年、協議が重ねられてきた公共下水道問題が本格化し、議会でも賛否の議論が白熱する。報道機関は全議員にアンケート調査を実施、公開。私はこの頃から本格的に会に仲間入りし、さまざまなことを学び、現場主義に徹した。

会では下水道工事による配管の敷設は地下水脈を破壊する、地下水位の高い所では敷設管に不明水が流入しコストがかかる等の理由により合併浄化槽による汚水処理を提案する。地下水への影響や公共下水道と合併浄化槽の費用比較、汚水処理の重要性等を6回にわたり新聞折り込みにて発信。学習会、講演会の開催、市内ショピングセンターでの展示会等を通じて、水の大切さを訴え続けた。身近な下水道問題は市民の関心も高く、会員は1,000人以上にも増え、改めて市民の地下水に対する思いを感じた。さらに、2代目の女性議員の活躍と男性会員が増えたことも頼もしく感じた。

下水道工事がスタート

2005年、市長は下水道整備にゴーサインを出し、賛成多数で議会も可決。折しも三身一体の改革により、国も膨大な費用のかかる公共下水道事業の縮小、見直しを自治体に通告していた時に市は下水道工事のスタートを切ったのだ。

しかし地下水を諦めることはできない。会では定期的に工事付近の地下水の水質調査を開始。大量の地下水を取水しなければ工事が進まない現場へも走った。地下水がごうごうと音を立て河川に流されていく。こんな工事をして地下水は大丈夫なのかと不安と危機感に襲われた。工事現場付近の住民からは、地下水が濁っている、水が出なくなったとの声。私たちは下水道本管にも潜り、本管の継ぎ目から滴る水を見逃さなかった。

しかし工事は粛々と進められ、手の打ちようがないむなしさに打ちひしがれた。悔しかった。会員も次第に減り、会の名称を改め次のステージに希望をつなごうと意気込むが、生活習慣が急速に変化する中で戸惑いも感じていた。

会から議員を輩出できなかった2007年からの1期4年間に下水道整備面積は拡大、上水道計画までもが拡張されていった。地下水保全管理計画、湧水文化再生計画等が策定されたが、地下水の保全が停滞、後退している感もあった。先輩方と地下水を守り、子や孫に残したいと活動を続けてきた私は、政策決定の場に出る決断をした。4年間の空白はあったが、この小さな自治体で水を守る活動団体から3代目の女性議員として、その責任の重さに身の引き締まる思いであった。

次のステージへ

2019年、建設事業費316億円の公共下水道大型プロジェクトは粛々と進められている。全体計画の中で、地下水位が高く課題が多いと先送りされてきた名水百選「御清水」周辺地域の工事の説明が始まった。説明を聞いた地域住民は地下水がダメになるのではないかと、市と議会へ、市民や「御清水」を訪れる観光客の署名とともに「名水百選御清水を残すための陳情書」を提出。この陳情に対して議会は、「継続審査」の判断をし、市に試掘調査の実施を求めた。また地域住民以外の団体からの「御清水エリアの公共下水道事業の見直しに関する陳情書」も「継続審査」となり、11月から追加試掘調査をすることとなっている。

いつでも蛇口をひねれば水が出て、使いたいだけ使える。どこへ行ってもペットボトルの水を買うことができる。そんな時代に地下水の大切さを伝えていくことは容易ではない。また人間とは問題が起こらないと大切なものに気付かないことがある。しかし市民は豊かな地下水の恩恵を肌身で感じている。清冽な地下水から作られるおいしい米、酒、みそ、しょうゆ、豆腐、和菓子等は市民の自慢。決して水のことを忘れてしまったわけではない。幾多の問題を解決しながら先人たちが守り続けてきた地下水はわが町の宝であり、令和まで命をつないできた水である。

御清水地区の下水道問題から、再びいのちの水を考える市民が増えることを願うとともに、市民と行政の信頼あるパートナーシップに基づき、健全な水循環の新計画策定と地下水保全条例の改正を目指し、令和時代の水のまち大野の次のステージの幕開けである。

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