日本の未来に魚はあるか?―持続可能な水産資源管理に向けて第21回  荒瀬ダムの撤去は球磨川と八代海の漁業にどのような影響を与えたか

2020年01月15日グローバルネット2020年1月号

豊かな球磨川をとりもどす会事務局長
つる 詳子(つる しょうこ)

●荒瀬ダム建設と漁業疲弊

荒瀬ダムは、熊本県の球磨川南部を流れる球磨川総合開発計画に基づき、河口から20kmの地点に1954年に建設された発電専用ダムであるが、流域住民の運動などにより、2018年3月に撤去された。八代海に流れる一級河川は唯一球磨川のみ。流域圏面積約1,880km2の球磨川は、八代海に大きな影響を与えており、流域には荒瀬ダムの後に瀬戸石ダム、市房ダムの三つのダムが建設された。

建設開始後、八代海にすぐに起きた異変は河口で行われていたアサクサノリ養殖であった。セメント屑が養殖用竹に付き、ノリが付かなくなった。その頃の河口の海面漁業者900名ほどのうち9割が冬季はノリ養殖をやっていたが、ダム建設後はノリの生育が悪くなり、3年後には3分の1ほどになった。場所や品種を替えたもののだんだんと収穫できなくなり、ノリ養殖者の数はさらに減少、荒瀬ダム撤去が決定した2002年には、わずか4名となっていた。他の魚介類については、漁獲量が減少したと感じたのは建設後10年ほど経過した頃からであったようだ。

それまで、魚や貝を踏まずには歩けないほど生き物がいたという干潟の生きものやアマモ場が加速度的に減少したのに漁業者は気が付いたが、どうして漁獲量や藻場面積が減少するのか、ダムとの因果関係を考えたことはなかったようである。荒瀬ダム撤去問題が浮上した頃、漁業者から聞き取りをしたが、「昔と比べたら、漁獲量も魚の大きさも3分の1なら、漁師の数も3分の1」と嘆く声が聞かれた。

1977年に1,682haあった球磨川河口の干潟は、2003年には680haにまで減少、藻場や砂干潟は消失し、泥~砂泥の干潟に変貌し、アマモ場面積はゼロにまでなっていた。漁業者(正組合員数)は、撤去が決定した2002年に約300人、撤去が開始された2012年も減り続けていた。

球磨川の内水面漁業(河川・池・沼など淡水における漁業)についても同様で、漁業者はダム建設後10年ほどして、アユやウナギをはじめ、ドンコやヨシノボリなど、すべての魚が減少していると感じ始めている。内水面漁業者はアユやウナギの生活サイクルは熟知し、その原因がダム建設にあることはすぐに気が付いた。その後、放流などの増殖事業の効果もなく、球磨川の魚種・漁獲量とも減少の一途をたどってきた。

●荒瀬ダム撤去後の球磨川・八代海の変化

球磨川流域の住民が、荒瀬ダム撤去を求めた一番の理由は、ダム建設後、度々甚大な被害を起こしてきた水害である。2番目が漁獲量の減少を含む環境の悪化である。地元にとって「百害あって一利なし」のダムに、「われわれはもう50年我慢した。もう球磨川を私たちに返してくれ」と広がった撤去運動は世論や政治を変え、撤去が決定。2012年3月31日に水利権が失効した荒瀬ダムは、2年間の準備期間をおいて、2012年4月から撤去工事に入った。実際の現場での工事となったのは9月1日からのことである。工事期間は6年間で2018年3月31日に終了。しかし、大きく河川や河口干潟の環境が変化し始めたのは、2002年に前知事が撤去を決定した後、撤去に備えてその年の11月から約2ヵ月冬季ゲートを全開した後からである。

撤去の効果は、ゲートが全開され水が流れ出すとすぐに起こった。ダム下流の減水区間になっていた1~2kmが流水区間に変わったのはもちろんであるが、ダム湖に発生していたアオコの発生や悪臭はすぐに消えた。一番驚いたのは河口近くで冬季に行われていた内水面漁協のアオノリ漁である。それまで30cmぐらいにしか成長しなかったアオノリが突如1.5~2mほどに。色も緑が濃くなり、味は大幅に良くなった。水の透明度が高まり、光が川底まで届くようになったためである。今では3~5m程にも成長している。

ゲート全開で変化が激しかったのは支流である。一番大きな支流の百済来川は、合流点から1㎞ほどがダム湖であったが、流れが戻ると水の透明度は一気に回復し、小魚が増え、カジカガエルが鳴き、渓流性のイトトンボが飛び出した。

撤去による変化は、本格的な撤去工事開始前の河口干潟にも現れた。泥に足をとられ、まったく歩けなかった干潟はだんだん歩ける範囲が広がり始めた。砂地を好むカニや貝類が増え、泥質に住むヤマトオサガニの生息地は、砂が増加に伴い、チゴガニやハクセンシオマネキの生息地に変わり、さらに砂が増えるとコメツキガニの生息地になった。八代海の漁業者の実感はさまざまであり、きちんとした統計がなくダム撤去との因果関係は検証がなされていないため、断言はできない。しかし、撤去工事開始前から干潟の粒度分布調査やベントス(底生生物)の調査、漁業者の聞き取りをしてきた筆者が感じることは多くある。

ゲート全開後、歩けるようになった球磨川左岸干潟では、ハマグリやマテガイが増え、二枚貝を捕食するアカニシやツメタガイが増えた。とくに、絶滅危惧種となっていたミドリシャミセンガイが出現し、一番の優占種と思われるかのように増えたのにはびっくりさせられた。しかし、人が入れるようになったことから、ハマグリが再び減少するのと並行して、アナジャコ捕りのために干潟表面を10cmほど鍬で掘るために、表面を利用するカニや貝は再び減少した。干潟の一部に限られていたアナジャコ捕りが可能な場所も、人が歩ける場所が広がり、広範囲に広がっている。

藻場の面積も、国土交通省の調べでは、2007年にはゼロであったが、ゲート全開後の2014年には1.43km2にまで回復している。藻場が回復するとそこにエビや小魚が集まってくるので、ウナギも集まってくるようになり、タカンポ(竹筒)漁が30年ぶりに復活した。ウナギの漁期には、河口の魚市場の競り売りの3割をウナギが占め、球磨川河口産のウナギは今、キロ1万円を超える高値で取引されている。

干潟の底を利用するエビ・カニやヒラメなども、年によって増減はあるが、以前より好調である。2015年の地元新聞も「アカアシエビ好調。環境好転?前年比3倍」と報じているが、ダム撤去前の10倍の漁獲量があったという漁師もいた。球磨川由来の赤潮の発生も今はない。

一方、ダム建設前に流域の経済を支えたアユやウナギの増加は予想通りではあるが、増えていない。10km上流の瀬戸石ダムと下流の遥拝堰がその移動を妨げているからである。荒瀬ダム撤去で、ダム湖であったところにはアユの生息場や産卵場、釣り人は増えても、親アユは瀬戸石ダムに阻まれて下ることができず、ふ化した仔魚は遥拝堰のダム湖を生きて下れないためである。球磨川の魚種は、ダム建設後は20種前後で、ダム撤去後も種数はそう変化していない。ダム建設前の約60種には遠く及ばないのである。ダムや堰の存在が、移動性の魚種や汽水性の魚種の存在を許していないためである。

●今後の課題

ダム撤去の効果はあるものの、ここに来て再び川や干潟の環境が悪化していることは間違いない。ダム撤去で出現した河原や河床の小砂利は流されるが、瀬戸石ダムが上流からの砂利・砂の供給を妨げているために、径が大きな礫が目立つようになりつつある。ダム下流に特有なアーマー化(※ダムなどの河川横断構造物による流量の安定化と砂利流量減少などによって川床が固くなる現象)という現象が進みつつある。瀬戸石ダムと遥拝堰に挟まれた荒瀬ダムが撤去されても、依然としてダムや堰がある川という事実があり、ダム撤去で改善された河川の環境も瀬戸石ダムとダムがある川の下流の形態に変化しつつあり、八代海への栄養塩や砂の供給にも影響を与えている。干潟の改善もここに来てストップしているように思える。実際アマモ場の面積は広がっていない。

また、2011年3月の東北での地震により、八代海の漁獲量が増え、ブリ養殖の増大と養殖技術の進歩によりあらゆる魚がエサとして捕獲されるなど、乱獲が進んでいる。また、2016年4月の熊本地震で海底の地形が変わり、魚が捕れなくなったという声も多く聞いた。

ダムの問題以外も多くの問題を抱えている八代海ではあるが、八代海はそのほとんどが熊本県の管轄である閉鎖性水域である。荒瀬ダム撤去は、熊本県と漁業者の意識の改革で、豊かな海を取り戻せることを示している。

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