日本の沿岸を歩く―海幸と人と環境と第39回 歴史と伝統を誇る海人のソデイカ漁―沖縄・糸満

2020年06月15日グローバルネット2020年6月号

ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)

午前5時に目を覚まして那覇市の宿を出ると、南へ十数㎞離れた糸満漁港を目指した。漁港に到着したものの、広い港は真っ暗。あちこち迷いながら、ようやく地方卸売市場に到着し、糸満漁業協同組合参事の城間辰也さんに会うことができた。

この日は低気圧の影響で風が強く、漁に出る船はほとんどなかったため、水揚げもわずか。城間さんに「ソデイカを見せましょう」と案内されて市場の片隅に。置かれていたコンテナは三つだけで、中を見ると、フィルムで巻かれた赤い筒状のものが見えた。漁獲後に船上で外套膜とひれの部分だけを残して処理されているので説明がなければイカとはわからない。他にはメカジキ2匹、メバチマグロ1匹と超閑散の光景。競りは午前7時から始まったが、十人ほどの競り人たちの「さみしいね」という声を聞きながら、普段のにぎやかな市場を想像するしかなかった。

●全国漁獲の半分占める

市場に出されたソデイカ

今回の取材テーマであるソデイカは、胴長1m、重さ20㎏以上にもなる大型のイカで、胴から左右にあるひれが着物の袖のように見えることから名前が付いた。沖縄ではセーイカ、一般的にはアカイカ(標準和名の種は別に存在)と呼ばれる。他にタルイカ、カンノンイカなどの呼び名もある。見慣れたミズイカ、スルメイカ、コウイカなどに比べるとお化けのようなサイズ。温帯から熱帯の海に広く生息し、日本海や太平洋で漁獲される。沖縄県の漁獲量はこの数年年間2,300~2,400t。全国漁獲量のかなりのウエートを占め、県内漁獲量ではマグロ類(全体の約6割)に次いで第2位にある。

ソデイカの肉は冷凍して解凍すると軟らかくなってうま味が増す。肉厚で程よい弾力があり、刺し身や天ぷらがおいしい。回転ずしなどで人気のイカだ。

城間さんは「ソデイカ漁の歴史は浅く、県外出荷がメーンです。地元での消費を拡大しようと、キャンペーンなどいろいろとやったのですが、すでにおいしくて多彩な沖縄の鮮魚があるためか、ソデイカを食べることは普及しなかったようです」と説明した。

ソデイカ漁に使う浮き

ソデイカ漁は1960年代に樽や桶を浮きにして疑似餌を付けた釣り糸を使う「樽流し立縄漁法」が但馬(兵庫県北部)で登場し、さらに久米島で改良された「旗流し一本釣り漁法」を糸満では1990年に導入した。

疑似餌と水中ライトを付けた釣り糸を水深400~500mに沈める。一度の漁で最大50本を使い、2時間から半日後に引き上げる。船上で頭と腕の部分は処理し、冷凍あるいは冷蔵して持ち帰る。操業は11月から翌年5月末で、5トン未満(一人乗り)と5トン以上(2~3人乗り)の漁船で近海を5~14日間かけて操業する。鮮度保持と漁協加工場での一次加工などの品質管理が本土の卸売業者に高く評価されている。

糸満におけるソデイカの漁獲は直近10年が500~600t/年で推移、近年はイカの供給不足で高値が続いている。漁獲回復のための資源管理が始まっているという。城間さんは以前に捕り尽くしたアカマチ(標準和名ハマダイ)の説明をし始めた。アカマチは沖縄の三大高級魚の一つで、サンゴ礁の水深300~400m付近にいる魚だが1980年をピークに漁獲量が減少した。県は保護区を設置するなどしてマチ類の資源回復に力を入れたが、目に見えるような成果は出ていない。その時の教訓が現在のソデイカの資源保護策に反映されているという。

●漁獲激減で資源管理へ

糸満漁協の漁獲は冬のソデイカ、夏のマグロが主体となっている。マグロはパヤオ(浮魚礁)に集まる魚を捕る。フィリピン由来のパヤオは回遊魚が流木に集まる習性を利用するもので、ブイのような浮力体を海の表層や中層に設置した人工漁礁だ。日本では1982年に宮古島近海に設置されたのが最初で、沖縄県では多く設置されている。

アカマチの不漁と入れ替わりにパヤオを使ったマグロ漁などが始まったことで、沖縄県の漁業が伝統的な沿岸漁業から大きく変化したようだ。

乱獲による漁業資源の枯渇について話していると、城間さんは「実は漁師の間では、『魚は捕ると増える』というのです。もちろん捕りすぎるとよくないのですが、適切に捕ると環境に応じた資源量で安定するようです」。以前取材した広島の林業会社の経営者から「木は切ってこそ森が元気になる。極相林は元気な活動をしていない」と聞いたことを思い出した。

後継者について尋ねると「漁師をしたいと沖縄にやって来た人が、最後は糸満にやって来る」と城間さん。実は糸満海人(ウミンチュ:漁師)は沖縄漁民の代名詞とされ、サンゴ礁の海で小型帆掛け漁船「サバニ」を駆使した漁業を行ってきた歴史がある。その様子は、大漁と安全航海を願う伝統行事「糸満ハーレー」のハーレー舟(サバニ)の疾走風景に重なるようだ。

『海の狩人 沖縄漁民―糸満ウミンチュの歴史と生活誌』(加藤久子著)によると、1884(明治17)年に糸満海人が水中メガネ「ミーカガン」を考案し、数十人が素潜りで魚を袋網に追い込む「大型追い込み網漁」を始めた。やがて沖縄周辺からフィリピン、シンガポール海域など遠洋へも出漁するようになったという。

労働力確保のために糸満独特の「糸満売り」と呼ばれる年季奉公制度があった。周辺の農村や離島から集めた子供たちが成人するまで漁労に従事する。やがて技術を習得し一人前の海人となると、出身地に戻ったり新たに移住したりして漁業の担い手となった。

漁港近くにある「糸満海人工房・資料館」(NPO法人ハマスーキが管理運営)は「沖縄県が世界に誇る糸満漁業の伝統文化」を次世代に継承しようと努めている。

●戦争終結の地を訪ねる

城間さんの話を聞き終えた後、「道の駅いとまん」に向かった。敷地内に糸満市物産センター遊食来ゆくら、糸満漁協のお魚センター、ファーマーズマーケットを合わせて4施設が一ヵ所に集まっている。糸満の食が一堂にそろい、台湾、中国、韓国などの外国人観光客が多い。旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」の人気道の駅ランキング2019で1位を獲得しただけあって規模も内容も充実している。

お魚センターに入っている鮮魚店には、真っ赤な「長尾ミーバイ(バラハタ)」や水色の紋があるマクブ(シロクラベラ)などとともに、アカマチがあった。40㎝ほどの大きさで1匹が4,000円以上もする。

糸満漁港周辺の取材を終えると、収穫時期を迎えたサトウキビ畑のそばを走って那覇市に戻った。『サトウキビ畑』(作詞作曲:寺島尚彦)の歌にある「鉄の雨」は雨のように撃ち込まれた銃砲弾。本島南部は多くの住民が犠牲になった沖縄戦終焉の地である。糸満市内のひめゆりの塔、「平和のいしじ」のある沖縄平和祈念公園、少し離れた旧海軍司令部壕(豊見城市)などにも立ち寄った。糸満で取材した漁業はほんの一部だけなのだが、当時の人びとの暮らしを想像しながら戦争の記憶に向き合ってみた。

沖縄平和祈念公園にある平和
の礎

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