日本の沿岸を歩く―海幸と人と環境と第41回 北前船で栄えた港町 瀬戸の美味なタコが自慢 ―岡山・下津井

2020年08月18日グローバルネット2020年8月号

ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)

前月号掲載の取材地、日生から西に向かった。目指すは倉敷市の南端にある港町の下津井。下津井瀬戸大橋(下津井と香川県坂出市櫃石島間、全長1,447m)とも呼ばれる瀬戸大橋の下をくぐればすぐだ。岡山県を代表する民謡『下津井節』には、♪下津井港は はいりよて出よて/まともまきよて まぎりよて…と歌われている。意味は「下津井の港は入りよくて出よい。追い風を受けやすく、向かい風も避けやすい」。「風待ち・潮待ち」の良港であることがわかる。

●速い潮流でタコ足短く

下津井漁業協同組合(正組合員60人)の代表理事組合長の三宅章さんを訪ねた。下津井といえば、何といってもタコ(マダコ)が有名。訪れた5月下旬からタコのシーズンだ。三宅さんは下津井のタコの特徴を熱心に語った。

「下津井のタコは足が短いですよ。明石のタコに比べると2kgのもので4cmほどかな。身が太くて皮膚の部分が少ない。身が締まっているので味も最高です」

漁港の目の前の備讃瀬戸びさんせとは潮の流れが速い好漁場。タコが流れに逆らっている様を地元では「立って歩く」と表現する。貝類やワタリガニ、エビなどといった“高級食材”を食べているので、身が甘くて風味があるという。いささか誇張されているようだが、特徴を言い当てているようで食欲がそそられる。

タコを捕る漁法は伝統的なタコつぼ漁がメインで、多数のタコつぼをくくりつけた網を海に沈める「タコ縄漁」が知られる。他に疑似餌で一本釣りするタコ釣り漁、他の魚とともに捕まえる底引き網漁がある。

タコを一番よく知る漁師の三宅さんが勧める食べ方は、刺し身、ゆでダコ(からしみそで食べる)、タコ飯がベスト3という。スーパーでよく見かけるアフリカ産と比べると「全然違いますよ」と三宅さん。近年下津井タコの評判は高まっており、本格的なタコ焼き店などでは「下津井のタコを使っている」が人気を呼ぶキーワードになっている。

タコをおいしく食べられる加工品についても、下津井漁協はいろいろと仕掛けてきた。例えばタココロッケは漁協が独自開発したもので、福山の加工業者にタコを供給してコロッケを委託製造している。これが評判になると他の業者も追随して新たな下津井名物として普及している。

漁協は「せんい児島『瀬戸大橋まつり』」や「魚島フェスティバルin回船問屋」(今年は新型コロナウイルス感染拡大でいずれも中止)などのイベントでタコの天ぷら、タコ飯、タココロッケの3種類を販売する。ちなみに魚島とは魚が群れて島のように見えることから、岡山では八十八夜から約40日間を「魚島」と呼び、新鮮でおいしい魚介類を味わえるシーズンだ。

三宅さんから漁協のすぐ近くにある「キッチンまだかなや」で売っているタコバーガーを紹介してもらったが、あいにく休業日だった。

●魚価高い高級魚を狙う

下津井漁協では週末や祝祭日に「下津井とれとれ鮮魚市」が開かれている。取材した日は平日で、朝早くから魚の出荷作業が続いた。見るとゲタと地元で呼ばれるシタビラメが多い。午前4時半からの岡山市の市場に出すため、夜1時に車で出荷する。東京の豊洲市場や名古屋へも送るという。

漁協は魚価の高いマダコ、サワラ、マナガツオの漁に力を入れており、底引き網や潮流の速い場所に漁具を固定して魚を待ち受ける袋待網(バッシャとも呼ばれる)を主力にする。地域の海と魚に適した漁法だ。こうした高級魚は海外でも需要があり、流通先で冷凍加工され中国などに出荷されている。

海面漁業が厳しくなっている理由には、近年の海面養殖の技術、輸送保管技術の著しい進歩がある。養殖魚は旬に関係なく味が安定して価格も高く、反動で天然ものの価格が下落しているのだ。

海の環境も変化し、カブトガニやスナメリは見かけなくなって久しい。漁獲量の減少、漁業者の高齢化と減少が続いている。三宅さんは「今のままの漁業は厳しいでしょう。地元船は減っても香川県の漁船が下津井に水揚げしてくれるので助かっています。今後は、袋待網や、さわら流し網漁など規模の大きな漁業者は残るでしょうが」と不安を募らせる。

●北前船の歴史今に残す

漁業だけでなく厳しい状況は地域全体にあり、人口減少が続いている。だが、北前船の寄港地、金比羅(金刀比羅宮)参りの渡し場として栄えたという歴史があることは無視できない。

下津井が本格的な港町として栄えたのは江戸中期以降。漁協のすぐ近くにある「むかし下津井回船問屋」は北前船との交易を通じて莫大な財産を築いた商家「高松屋」を修復した建物。北前船の展示解説や食事ができる場所になっている。建物のある旧道沿いは、本瓦葺きの屋根や土蔵などが残っており、県の町並み保存地区に指定されている。

かつて海岸線には千石船で北海道から運ばれてきたニシン粕が保管されるニシン蔵がずらりと並んでいた。江戸時代から干拓が進んだ玉島、児島周辺では綿花が栽培され、それが伝統的な繊維産業を生んだ。綿花栽培の肥料にニシンかすが使われた。時間をたどれば児島発祥の日本のジーンズは北前船につながっていた。

1988年の瀬戸大橋開通後は児島半島の鷲羽山などが一時的に観光ブームになったが、下津井電鉄児島駅~下津井駅の廃止(1991年)、塩飽しわく諸島を抜けて香川県丸亀と結ぶフェリー航路の廃止(99年)など道路交通環境が大きく変化し下津井は北にある児島地区から取り残された地域になった。

人口減少に伴って空き家が増えており、「むかし下津井回船問屋」の隣に残る元回船問屋屋敷は1,500万円でネットに売却物件として出ている(7月16日現在)。地域住民は止まらぬ衰退に危機感を募らせていたが、近年になって地域再興への活動の成果が出始めている。古民家再生に取り組み、観光や地域産業を元気にしようという住民有志によるプロジェクトが昨年しもついシービレッジ株式会社へと発展。これまでに5件の古民家の売買・賃貸契約にこぎつけた。シービレッジのセンター長、矢吹勝利さんは「同じ倉敷市内で脚光浴びている美観地区に比べると、下津井には何倍も多くの歴史、文化の情報があると思います」。下津井の持続可能な発展を目指す矢吹さんたち有志は、下津井が持つ可能性の大きさを感じている。

3年前公開されたアニメ映画『ひるね姫~知らないワタシの物語~』は下津井が舞台で、脚本も書いた神山健治監督は広島県尾道市に向かう途中に下津井に立ち寄って気に入り、映画の舞台に決めたという。

帰りに下津井名物の素干しのワカメを買い、浜で小山のようになったタコつぼや廃線になった下津井駅の古い電車など気になる光景を見ながら下津井を離れた。

焦らなくてもいい、きっと歴史の町としてにぎやかさが戻るはず。筆者の予感はよく当たるのだ。

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